「宇田川源流」【宇田川版教育論】 灘高校の性教育抗議に批判があるが私は擁護したい
「宇田川源流」【宇田川版教育論】 灘高校の性教育抗議に批判があるが私は擁護したい
毎週水曜日は「宇田川教育論」か「大河ドラマ」に関してお話をさせていただいている。ニュースの解説ばかりでは肩が凝ってしまうので、一週間の真ん中は少し気を抜いた話ができるようにということで、大河ドラマに関しては「現在よりも過去について、そしてテレビドラマということに関して話をする」ということを、また「宇田川教育論」に関しては「若者を教育するということを通して、日本の将来を考える」ということをテーマにしている。要するに水曜日は、いつの間にか「現在ではなく、過去や未来を語る日」というようなテーマになりつつある。もちろんそのようなことをはじめから企画したわけではないのであるが、いつの間にかそのようなテーマになっている。
今週は、なんと巨人軍の松田選手の引退試合を見ていたので、大河ドラマを見忘れてしまい、「教育論」しかできない状態なのである。いやいや、そろそろドラマも扱いたいのだが、困ったものだ。
さて、今回の内容は「性教育」である。進学校である神戸の灘高校が「性的同意」について「公民」の時間で二週にわたって講義を行ったという。
さて灘高校とは、日本有数の進学校で御三家と並んで東京大学に進学するベストテンの常連校であるといえる。特徴は「全寮制の男子校」であり、基本的には女性と会うという機会はほとんどないということになるのではないか。
さて、世の中の人々の壮大な誤解がある。それは「偏差値が高く、学力の高い人は、素行もよいのではないか」というものである。はっきり言って嘘である。いやどちらかといえば「素行が悪い方が多い」ということではないか。実際に、何か一つに秀でた人は、他の部分に非常に欠損が起きることがある。ある意味で人間の長所と短所を一つの面積にすれば、それは人間がすべて同じであろうと思う。その中で学力とか偏差値というところが大きくなっていれば、他の道徳的な部分が全くできていないということにつながる可能性がある。どちらかといえば、「不道徳」なのではなく「一般の常識とは異なる常識を持っている」という方が正しいのかもしれない。
昨今のジェンダーとか男女関係において、その「一般の常識と異なる常識を持った、学力の高い高校生」が学ぶためにはどうしたらよいのか。
「気持ち悪すぎる」灘高の「性教育講義」を揶揄した大人たちに批判殺到…現役在校生も反論
日本屈指の進学校として名高い兵庫の灘高等学校。そんな同校で行われた性教育を巡る“大人たちの反応”が波紋を呼んでいる。
きっかけは、9月19日に「JBpress」が配信した「『性的同意ってなに?』灘校生が甲南女子大生と学ぶ、生理の悩みとデートDV」と題された記事。これは教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏が、灘高で行われた、保険相談士の女性を講師に迎えて、女性の生理や性的同意について学ぶ授業についてルポするというもの。
記事によると、講義は夏休み明けの公民の時間に2コマ連続で行われ、前半は保険相談士の講義、後半は近隣にある甲南女子大の女子学生らを相手に議論するトークセッション。女性の月経や性的同意についての正しい知識について教科書的に学ぶだけでなく、議論を交えることで多角的な視点を持てるようにするのが狙いだという。
この記事がX(旧Twitter)上で拡散されると、進学校として知名度が高い灘高の取り組みに多くの反響を呼ぶことに。《公民の授業というのが画期的。どの学校でもこれがスタンダードな学習になればいいのにな》《こんな授業ができるのが圧倒的な強みですね。知ることは思い遣りの第一歩だ》と称賛の声があがった。
しかし、屈指の進学校かつ男子校ということを理由に、灘高の男子生徒が年上の女子大生と交流することを揶揄するような大人からの反応が。中には、灘高と甲南女子大の偏差値の差をあげつらったり、灘高の生徒は性的体験がないと勝手に仮定した上で、嘲笑するような声も。
性教育への取り組みを茶化すかのような声に対して、X上で灘高に在学中と見られる生徒のアカウントが反応。真面目な授業だったとし、誹謗中傷をやめるように呼びかけていた。
さらに、ネット上でもこうしたやり取りを受けて、批判の声が続出。
《灘高と女子大の性的同意の件、ネットにいるおじさんたちがあまりに気持ち悪すぎるし、いい年して高校生から正論で怒られてるの激きついし、教育を受けてないって悲劇だな》
《灘高生にも甲南女子にも失礼だわなこれ》
《授業受けた灘校生が、真面目に受けてるのに失礼すぎるって言ってたけど、これもだよね。 いい大人が授業を茶化して学生に諭されてるの恥ずかしいな。》
《灘高の性教育授業について茶化してる大人たちキショすぎ。凄い大事な取り組みだよ。女子大生がやってるからいろいろ言いたいんだろうけど歳が近いからこそ等身大に捉えやすかったりもする。こういう授業を真面目に受けてこなかった人たちは今後どんどん淘汰されていく世の中になるといいな。》
2023年09月26日 11時00分女性自身
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12268-2573626/
様々言われているようであるは灘高校の学生にとって、甲南女子大の女性たちはどのように映ったであろうか。逆に、「校則で縛られている女子高生などと語っても、高校卒業後の女性関係を学ぶことのできるところは少ない」というような判断であり、ディスカッションといいながらも、大学生のような自由に恋愛のできる女性たちと話をした方がためになるちうような判断ではないか。
もちろん、逆に「全寮制の男子高校生が、化粧をした女子大生と出会って、何を感じるのか」ということは非常に興味深い。ちなみに、私の母校の麻布の場合は、私が高校生の頃は非常に素行が悪かったので、周辺の女子高(現在の広尾学園もそのころは純心女子学園であった)からは出入り禁止になっていたほどだ。同時に、何も甲南山手女子大などを連れてくる必要もなく、普通に六本木などに行けば、派手な女性は多かったし、恋愛をしている学生も少なくなかった。何しろ周辺に実践女子高校:東京女学館、純心女子学園、聖心女子高、東洋英和女子高校と、女子学生を探すのはそれほど難しい環境ではなかったし、予備校に行けばかならず誰かいるというような感じではなかったか。そのようなところと、全寮制とは全く異なるのが現状であると思われる。
さて、このディスカッションがどのようなことが行われたのかは全くわからないし、内容も見えないが、何も別に茶化すような必要もないのではないか。まあ、日本人というのは嫉妬の社会であるから、そのような嫉妬が数珠巻いているといえば、その「社会的な嫉妬ということも勉強の一つ」なのかもしれない。何も気にする必要などはないのではないか。そのことよりも、まずは「しっかりと女性を学ぶ」ということが重要であり、そうでなければ、多分大学に行ってから苦労することになるのではないか。
学校が中心になって、「女性」「男性」を教えてくれるような学校は少ない。そこに恋愛小説や漫画などがあふれてしまい、また、発展的な(うちの母校はそうであったが)男子校ではエロ本(今は動画の世界なのだが、当時はやはり本が中心であった)などが多くあり、「耳年増」的な漢字と興味で物事を見てしまうことが多い。その湯女中で女子大生としっかりと議論ができるのはよいことであるしまた、本音で話すことができるのあれば、うらやましい限りである。
このように書いていて「宇田川版教育論」ではなく「土曜日」になってしまったような錯覚をしているのは私だけではないのではないか。
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