「宇田川源流」 日本テレビ関係者を出入り禁止にしたバーのきっかけとなった事件
「宇田川源流」 日本テレビ関係者を出入り禁止にしたバーのきっかけとなった事件
以前、私のブログには「マスコミ批判に関する一考」という連載があった。あれも毎週月曜日になっていて、現在の「日本万歳!」はその後継の連載であるということになる。「マスコミ批判に関する一考」は、同時、まだネットが「2チャンネル」「ヤフー掲示板」などのネット掲示板が中心であり、まだソーシャルネットワークサービス(SNS)がなかった時代に、情報を握っていた「マスコミ」は「第四の権力」などと自称していて好き勝手に報道をしていた。その内容は、当時から老害といわれている田原総一郎などがマスコミに対いて「政府に対するチェック機関」であって「政府に対する抵抗勢力・批判勢力である存在だ」などとうそぶいていた。
この影響が、民主党政権の誕生であり同時に「悪夢の3年半」といわれる時代の到来である。用い論この政権を作り出したのは、日本国民なのであるが、しかしその日本国民に対して「ミスリード」を繰り返し、場合によっては事実の報道よりも印象操作や扇動を中心にした内容を行っていた。「言論の自由」ならぬ「言論の身勝手」「報道しない自由」「嘘でなければ何を書いてもよい」という総じて「マスコミのモラルハザード」が発生したのである。
国民もバカではない。そのようにして「悪夢の3年半」を経験すると、当然に何が悪かったのかということを考えるようになる。とくに、その状態を冷静に見ていた当時の子供たち、つまり今の「Z世代」などは、一つには「民主党」という人々を全く信用しなくなった。そしてもう一つが「SNSなどを中心にした情報を入れるようにし、マスコミ、特にテレビ離れを起こした」ということになる。何か世の中を変えるという原動力がなくなった彼らは「自分の身を護る」または「将来にわたった安定を望む」というようなことになり、国をよくするなどの考え方がなくなった分、マスコミなどの「社会正義を気取った先導」に乗せられることなく、そのことによって自分の信じる内容をしっかりと追いかけるようになっているのである。もちろんその為に「陰謀論」などが増えてきているのであるが、その場合も変な先導に乗せられるよりはよいのかもしれない。
さて、本日のブログは、「第四の権力」といまだに勘違いしているマスコミの話である。
「日テレ関係者全員出禁」飲食店店主の投稿に集まる賛同「いまどき何を偉そうに」
《深夜にすいません… 日テレ関係者全員出禁とさせて頂きます。理由は本日来店された方がTVに出して売ってやる、今度この辺の特集やるから飛び込み取材を断るなだの、『お前の置いてるお酒はつまらない』だの…失礼な人間しかいないと判断した為です》
9月27日、都内のある飲食店の店主が、X(旧Twitter)でこんな投稿をおこなったところ、「テレビ局あるあるだ」とばかりに、共感する人が殺到した。
元放送作家だというユーザーのひとりは、店主のツイートを引用する形で、
《取材を条件に不遜な態度で「ああしろこうしろ」と勝手にプロデュースをはじめるテレビマンの勘違いは本当に多い。未だ「取材してやる」というスタンスに呆れる》
と糾弾。店主の元ポストに対しても、
《テレビに出してやる 人対人の関係で、この言い方がまず間違ってますね テレビなんて今や情報の中心ってわけでもないのに!》
《今どき自分で発信する事ができるのに、何を偉そうに》
など、店主を擁護する声があふれ、現時点で2980万回ものインプレッションを記録している。
さらに、店主がリプライで、このテレビ関係者が「日本テレビ制作部」で領収証をもらっていたことを明かすと、
《そういう話をしていて、日テレで領収書を切るなんて怖いですね、相当な殿様心理ですね》
という意見もあがった。
「店主は、テレビマンがいくつくらいの人なのか、制作会社の人間か、局の人間なのかまでは明かしていませんが、こうしたテレビ制作関係者による取材対象者への傲慢な態度は、しばしば問題になります。テレビ業界は下請けの制作会社への丸投げも多く、とくに、そういった下請けの制作会社スタッフによる取材トラブルは、たびたび起こっています」(芸能ライター)
また、テレビの出演者におごりが見られるケースもあるという。
「2018年3月には、お笑いコンビ『おぎやはぎ』の矢作兼が、テレビのロケ中にカメラの前をずけずけ横切っていくような年配男性について、ラジオ番組で『老害』『年寄りになるとああいうのが増える』などと発言して、ネットで大炎上しました。この発言には『テレビだからって公道をふさぐ権利はない』などの批判が多数、寄せられました。矢作は、ロケが通行人の迷惑になっていることは理解しているとも述べましたが、この件ひとつ取っても『こっちは天下のテレビ様でござい』的な、テレビ関係者の傲慢さがあらわれているように思います」(同前)
冒頭の店主の投稿に対しては、ほかにも、取材を受けたのに使われずボツにされたり、取材で強引な要求をされて嫌な目に遭ったなどの声が多数、寄せられている。一夜空けて、店主は自身のポストへの反響の大きさに驚きを述べるとともに、あらためて、
《正直日テレの企業云々は興味はなく、ただそう言う方には絶対に来て欲しくないだけです。コロナ後増えた飲食店員を見下す様な方が無くなってくれれば、と思います》
と投稿。こちらにも多くの賛同が寄せられた。
この件について、本誌は日本テレビ側に見解を取材している。回答が寄せられ次第、掲載する予定だ。
ただでさえ若者のテレビ離れが言われて久しい昨今。テレビ関係者は、これらの声にもう少し真摯に耳を傾けたほうがよさそうだ。
2023年9月29日 17時11分 Smart FLASH
https://news.livedoor.com/article/detail/25078364/
日本テレビ握りはないが、一応擁護しておくと、日本テレビの人がすべてこのような状況ではないと思う。同時に、日本テレビのテレビマンが、このようになってしまったのは、テレビが放映することを心待ちにし、また、報道されたことによって映像を公開して一生懸命宣伝に使っているような店が多いということももう一つの内容なのである。はっきり言って「身の丈を知らない」または「マスコミの効果や賞味期限などをわかっていない」人々が多く、マスコミに対して何か幻想を持っているようであるが、実際にそのような幻想を持つような相手ではないことはよくわかっている。
実際に「売れている店」というのは「マスコミで一時的に客が多く来る店」ではなく「身の丈に合った内容で、その客が長く、また新しい客を招きその客が徐々に固定客になって発展させる店」である。まさに「継続すること」が力であって「その内容を広く知らせて一時的な利益を得ること」が木庭ではないはずである。
ではなぜマスコミを多くの人が珍重するのであろうか。それは、マスコミによる影響力が「自分の身の丈に合っている」というように思ってしまっているという現象と「ブームが去った後の継続」まで考えていないからに他ならない。日本人の場合は「信用をつける」ことが最も優先される営業形態をしているのであり、その最たるものが京都祇園の「お茶屋文化」特に「一言さんお断り」の文化がその内容の代表格であろう。そのような信用を中心にした商売をすることが最も重要であり、その重要な信用無しで目の前の利益を得ようとすると、マスコミなどで騒いでもらうというような話になる。
さて、コロナウイルス禍があったのであまり参考にはならないが、5年前にマスコミが「新店」として紹介した店の、現在の残存率は、これは信ぴょう性のある統計結果ではなく、私の友人が個人的にビデオなどでカウントしたものでしかないが、約3割でしかないという。もちろんそれが正しい数字かどうかは、私の友人の個人的な調査であるが、では5年前に新店で紹介され流行っていた店が、今どれくらい残っているのか。ブームも亡くなってしまうと、結局は何もなくなってしまっているというのが現状なのではないか。
さて、結局は何が言いたいかといえば「信用を第一にする」という商売が日本人に最も合っているのにかかわらず、その「信用」を最も失い、なおかつまったく気にしないのがマスコミ、特にテレビ番組ではないか。
今回のこのバー(幸い私の家の近所なのだが)へのマスコミの対応を見ていれば、なかなかよくわかるものではないか。逆に、このバーは本当に大事なものを知っているということなのではないか。本来マスコミもそのような「信用」を大事にしてもらいたいものである。それが日本の文化なのだから。
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