「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 本能寺の変の「原因」は何かという歴史家の問いと現代へのテーマ

「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 本能寺の変の「原因」は何かという歴史家の問いと現代へのテーマ

 毎週水曜日は「宇田川教育論」か「大河ドラマ」に関してお話をさせていただいている。ニュースの解説ばかりでは肩が凝ってしまうので、一週間の真ん中は少し気を抜いた話ができるようにということで、大河ドラマに関しては「現在よりも過去について、そしてテレビドラマということに関して話をする」ということを、また「宇田川教育論」に関しては「若者を教育するということを通して、日本の将来を考える」ということをテーマにしている。要するに水曜日は、いつの間にか「現在ではなく、過去や未来を語る日」というようなテーマになりつつある。もちろんそのようなことをはじめから企画したわけではないのであるが、いつの間にかそのようなテーマになっている。

今週は「大河ドラマ どうする家康」である。

さて「どうする家康」というテーマから考えて、家康の内心の迷いがどのようになって、その時に家康はどのように決断してきたのかということをテーマに書いていると思われる。実際に、ドラマであるのだから、巷間伝わっている「史実」なるものや、先人の書いた小説の後追いをする必要はないと思う。もちろん、戦国時代に自動車があったりと時代が錯誤もはなはだしい現代劇にしてしまってはよくないが、そうではなく、当時の時代背景をしっかりしなっがら、家康が「現代人と同じ人間」として何を感じ、そして何を決断してゆくのかということを見るのは非常に面白い。

そのうえで、徳川家康というのは、或る意味で弱小豪族からなりあがて、様々な選択肢を巧みに潜り抜け、常に「正解」を選んで天下を取ったということが言える。天下統一をした豊臣秀吉と含めて、「それまでの権威や制度にとらわれない人が天下を統一する」というメッセージが強くあり、その中の選択肢をしっかりと見せてくれているというのは素晴らしいのではないか。現代の人々は、とかく「権威」とか「こうするんだという上司からの押し付け」などがあり、また、年長者も検証もなくそのようなことを考えてしまっているが、それでは天下を取ることはできないということを書いているのである。或る意味で、現代人に最も必要な「何か」を教えてくれている番組なのかもしれない。

【どうする家康】信長が明智光秀をフルボッコ!ネット震撼「麒麟の時より酷い」「どちらが真実に近いか?」

 嵐の松本潤が江戸幕府初代将軍の徳川家康を演じるNHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜・後8時)の第27回「安土城の決闘」が16日に放送された。「本能寺の変」を迎える展開となり、ネット上でも大きな話題となっている。(以下、ネタバレあります。ご注意ください)

 京の本能寺で信長(岡田准一)を討つ計画を家臣たちに明かした家康(松本潤)。並々ならぬ家康の決意に、家臣たちの意見は賛成と反対で真っ二つに割れるが、忠次(大森南朋)は、家康の決断を信じようと家臣団を諭す。

 やがて家康たちは信長に招かれ、安土城へ。だが酒宴の席で、家康は供された鯉が臭うと言いだした。接待役の明智(酒向芳)は「臭うはずもございません。徳川様は高貴な食事になじみがござらんのでござる」と釈明すると、信長は激高し、食器をひっくり返した。さらに申し開きしようとする明智の顔面を扇子で叩き、何度も拳で殴り吹っ飛ばした。追放を命じられた明智は「三河のクソ田舎者が!」と怒りをにじませた。

 明智がボコボコにされた様子にネット上では、「ひええええ めっちゃ殴るじゃん」「豪快な卓袱台(?)返し」「まったまった麒麟の時より酷い」「出た!パワハラ信長!」「ガチギレ」「やるんだ、このシーン」「家康を招いた食事会での鯉の一悶着、『麒麟がくる』の時と違う目線で楽しめるな」「麒麟が来るとはえらい違いの明智光秀。どちらが真実に近いのか?」「本能寺の変に直結しそうな」といった声が寄せられた。

2023年07月16日 21時00分スポーツ報知

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12265-2448215/

 さて、徳川家康の「どうする」の選択に関しては、巷間よく言われている。三大選択は「三方ヶ原」「築山殿処分」「本能寺の変後の伊賀超え」といわれるが、弱小豪族が飲まれないようにするためには、その三つの選択以外にも様々なものがあったに違いない。そもそも今川家から織田に乗り換えたこと、そして今川家と戦うということもそうであるし、また、姉川戦いなど様々な合戦で小さな選択肢はたくさんあった。また本能寺の変ののちも、武田家の編入(甲州信州の併呑)や、小牧長久手の戦いなども大きなかけであったろうし、なによりも、関ヶ原の戦いにおいて豊臣の天下をひっくり返す選択であっても、そんなに簡単なものではないだろう。

そのように考えると、その選択に至った伏線というものはかなり様々な意味で現代に、様々なことを教えてくれる。

さて、その中で歴史愛好家が興味があるのは、「なぜ本能寺の変が起きたのか」ということであろう。「正親町天皇陰謀説」「足利義昭陰謀説」「豊臣秀吉陰謀説」「長宗我部元親陰謀説」など様々なものがあり、その中の一つに「徳川家康陰謀説」も存在する。いずれにせよ、織田信長という「たぐいまれな伝統の破壊者」に対して、また部下に対する苛烈な扱いという意味においての「パワハラの代表者」に対して、様々な人が織田信長を理解せず、そして織田信長に不快な思いをしていたことは間違いがない。現代の「パワハラ」や「独裁的なやり方」に対する一つの安置が「本能寺の変」であるというような解釈になっている。

その意味で、今回の「どうする家康」では「豊臣秀吉陰謀説」と「徳川家康陰謀説」があり、その複線の上に「明智光秀が個人的な恨みなど(追放ともいわれているので)」で実行したということのように見える。

逆に言えば、当初から「虎とウサギ」にたとえられた信長に対して、その信長が最初から最後まで「怖い人」という扱いになっており、また「乱暴者」というような描き方をしている。この書き方だと「なぜ今まで反乱がおきなかったのか」というようなことにもなり、松永久秀などの反乱ももう少し丁寧に書けば、面白かったのかもしれないという感想になってしまう。

家康の心情は非常によく書かれている。しかし、この時点(今回)信長を討つというようなことを言うくらいであれば、愛妻(とこのドラマでは書かれていた)築山午前の死の前に、しっかりと抵抗をしていればよかったのではないか。まあ、人間というのは「失ってから、大事なものの重要性を見出す」というようなこともあるので、物事が終わってから合理的に判断などはできないが、しかし、その家康の選択は「人間として無理がない」というよりは「現在の若者にありがちな」内容になっているのかもしれないと思うのである。そのように考えれば「Z世代」といわれる人々の選択肢と、徳川家康を重ね合わせて考えれば、様々な価値観を見せながら、最後に何が起きるのかということを見て選択できているかが問われる。その意味で「現代の人々にしっかりとしたメッセージ性のあるドラマ」にはなっているのではないか。

宇田川源流

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