「宇田川源流」【土曜日のエロ】 トランスジェンダーの境目を決めたデンマークの裁判所

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 トランスジェンダーの境目を決めたデンマークの裁判所


 今週も「土曜日のエロ」の日になった。土曜日はいつも、エロを考えながら人間の本質について考えてみたいと思う。日本人に限らず、人間は必ず本能の部分と理性の部分の二つの部分がある。まさにその二つの部分のうち、人間は社会性ということを言うために、常に理性的であり本能の部分を隠してゆくということになるのである。いつものブログは、常に「理性の世界の話」をしている。理性の世界の話で、なおかつその理性の世界のあるべき姿と現実の社会の違いをそのまま記載していることになる。実際に、人間が機械のような理性の話ばかりではなく、必ず感情の世界があるので、うまくゆかない。その間所の世界の事を「エロ」と読んだり「欲」と読んだり、あるいは「気まぐれ」と呼んだりしていて、その内容によって理性的な世界がうまくゆかなくなっているのである。

 さて、そのような話の前に、今週はどんなことがあったのかを見てみよう。

 今週は、北朝鮮のミサイルというか「人工衛星」が打ち上げがあり、それがまた「失敗」した。珍しき北朝鮮の政府が失敗を認めるという事があったのはなかなか面白い。今回の人工衛星に関しては、日本などは当然に弾道ミサイルと同じであるとして反対していたのであるが、今回は「事前の予告」もあり、また「失敗を認めるという」事もあった。そのうえ、飛んだ方向も沖縄県の方向(南シナ海の方向)であったのだ。ある意味で、今までの軍事演習としてはなっていたミサイルとは何かが違う気がする。

これは、多分だが、中国の方向に発射しなければならない何らかの理由があり、なおかつ中国とは対峙したくないので、「中国向けに」出したアナウンスであろうと考えられる。その内容がしっかりと見えれば、それほど不思議ではない。逆に言えば「事前予告」があることから、南に飛ぶのであろうと予想をしておかなければならないというようなことではないだろうか。

まあ「主観」と「客観」はかなり異なる場合がある。日本の法律はもともとは客観的な事実を重視していたが、徐々に最近は「人権」にかかわるところは「主観」を重視するように変化しつつある。まさにエロの世界も同じなのである。

未手術のトランス女性受刑者、男子刑務所で服役すべき デンマーク裁判所

 【AFP=時事】デンマーク東部高等裁判所は24日、性別適合手術を受けていないトランスジェンダー女性の受刑者(62)について、引き続き男子刑務所で服役すべきとの一審判決を維持する判断を下した。

 この受刑者は加重レイプの罪などで服役中の2015年、法的な性別を男性から女性に変更したが、性別適合手術は受けていない。

 裁判所は判決で、この受刑者に女子刑務所での服役を認めた場合、「他の女性受刑者にとって看過できない安全上のリスク」をもたらすと述べた。

 同国の法律では、脱衣を伴う受刑者の検査は同性の者が行わなければならないと定められている。だが、裁判所は、ここでの性別は「生物学的な性別として理解されるべきだ」と判断。この受刑者に男性が脱衣を伴う身体検査を行ったり、男性刑務官の監視下で尿サンプルの提出を求めたりすることは法律に違反しないと述べた。

 さらに、この受刑者を男子刑務所に収容しているのは、法律上の性別に対する認識不足によるものではなく、安全評価に基づくもので、同受刑者の権利を侵害するものではないと判断した。

【翻訳編集】AFPBB News

2023年5月25日 12時32分 AFPBB News

https://news.livedoor.com/article/detail/24301100/

 「心は女だから女性と同じ扱いにいてほしい」ということを認めろというのが、現在のジェンダーレスを主張する人々の話である。もちろんそのような心の在り方はあるのかもしれないが、実際にその「心理」が真実であるのかどうかということが大きな問題になる。実際に「生殖能力がある」ということは、間違いなく「男性としての機能」が存在しているのであり、心がときめかなくても、体が反応することは十分にありうるわけである。同時に、その心理が本当であるということも全く証明できないということになる。つまり「自己申告」でそれを信じろという、かなり乱暴な内容になってしまっている。

 日本をはじめとして、「ハラスメント」という法律制度が出てきてから、なぜか「主観で相手を処罰する」ということが普通になってきている。しかし、その主観というものは、そんなに信じられるものであろうか。人間は嘘をつくという生き物でありまたその時の気分で全く異なる話をする場合もあるのだ。そのように考えれば、主観そのものの信憑性を考えなければならない状態であり、それが証明できなければ意味がないということになる。

 本来法律というのは「客観的な事実で処分することにより、法の下の平等が実現される」ということが重要であり、単純に「かわいそう」などの「感情論で人を処罰する」ということはおかしいということになるのである。しかし、なぜかハラスメント法制もまた、ジェンダーレスなどの法制も「かわいそう」などの感情論が先行してしまい、その法律論が崩れてしまい、いつの間にか法の下の平等が実現できない状態になってしまっているのではないかという気がするのである。

 さてそのような中デンマークの裁判所は、性適合手術を受けていない、つまり肉体的には男性のままである「法的には女性」の受刑者に対して、男性刑務所において服役すべきという結論を出した。これは、「肉体的に男性のままであれば、事故が起きる可能性がある」というものであり、なおかつ「生物学的な性別として理解されるべきだ」<上記より抜粋>と判断したのである。要するに、「客観的な事実」「生物学的な性別」で物事を判断すべきであり、主観的な内容で判断すべきではないという判断を下したのである。

 はっきり言って「法律はこうあるべき」ではないか。常に客観的で、「同様な事象を客観的に持たれる人に対して、同様の扱いを受ける」べきであり、そのことが法律における法の下の平等なのではないか。そのように考えられ、また、そのことが「他の人々の安全につながる」ということになるのではないか。

 そのように考えるべきでありそれができないのであれば、法律は何か別な要請をすべきである。安易に、主観を法的判断に混ぜ込むべきではなく、それは、「エロ」に関しても同じなのではないか。もちろん、このことは「安全評価に基づくもので、同受刑者の権利を侵害するものではないと判断した」<上記より抜粋>ということは、間違いないであろう。逆に「性適合手術を受ける自由があるにもかかわらず、その手術を受けなかった理由」ということにも注目すべきではないか。

 「エロ」には、当然に主観に基づくものがあるが、一方で、その主観に基づくエロだけではない問題も生じるのである。

宇田川源流

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