「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 金ケ崎撤退の「小豆袋」のエピソードの新解釈

「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 金ケ崎撤退の「小豆袋」のエピソードの新解釈

 久しぶりですが、水曜日は大河ドラマ「どうする家康」について書いてみようと思う。しばらく書いていない間に、家康の話はずいぶんと進んでおり、金ケ崎の撤退にまでなていた。以前、これを書いた時には、浜松城に入場した時であるから1568年(永禄11年)の事である。今回は、それから2年進んで「金ケ崎の退き口」と言われる所の話になった。1570年(元亀元年)の事である。

「金ケ崎の退き口」とは、織田信長が越前(福井県)の朝倉義景を攻撃したところ、同盟関係にあった妹婿の小谷城(琵琶湖東岸)の浅井家の裏切りにあい、挟撃の危機に瀕した。そのため木下藤吉郎(豊臣秀吉)と、信長の同盟軍の徳川家康が「殿」(後衛)となって、信長本隊が信長勢力地まで帰還するのを援護したのがこの戦いである。

当初は織田方が優勢に合戦を進めていたが、信長の義弟である盟友北近江の浅井長政が裏切ったという情報が入った。はじめ信長は「虚説たるべき」(『信長公記』)と述べとりあわなかったが、次々に入る知らせに事実と認めざるをえなくなり、撤退を決意した。織田・徳川軍は越前と北近江からの挟撃を受ける危機にみまわれたからである。朽木元綱の奔走で朽木谷を越え、京に撤収した。織田軍が長政の裏切りを察知した理由については、近江・若狭方面の外交・諜報を行っていた松永久秀が浅井方の不審な動きに気づいて通報したと『朝倉記』には記載があるが、信憑性に疑問が持たれており実際には不明。また『朝倉家記』によると、お市の方が信長に袋の両端を縛った「小豆の袋」を陣中見舞いに送り挟み撃ちの危機を伝えたという広く知られた逸話があるが、この逸話は後世の創作と指摘されている。

【どうする家康】疾走死「阿月」が一夜明けてもネットで話題「いだてん」連想する声多数

 16日のNHK大河ドラマ「どうする家康」で反響を呼んだ、十里(約40キロ)以上を駆け抜けて使命を果たすと命尽き果てる壮絶死を遂げた少女阿月(伊東蒼)の話題が一夜明けた17日もSNSで続いている。

 阿月は、織田信長(岡田准一)の妹で近江を支配する浅井長政の妻・お市の方(北川景子)の侍女。信長が徳川家康(松本潤)を従えて朝倉義景征伐で越前・金ヶ崎に陣を構えた頃、長政は朝倉側に寝返ることをお市に明かす。朝倉・浅井から挟み撃ちに遭う前に織田・徳川軍を退却させるべく、健脚自慢の阿月が伝令を志願し、険しい十里以上の道のりを走って金ヶ崎へ。家康側に「お引き候へ」というお市の言葉を伝えて息絶えた。

 マラソンの由来であるマラトンの戦いにまつわる故事のような話。SNSでは17日も「マラトンの伝令の戦国時代版でした」などと振り返るツイートが続いた。「マラソンの父」金栗四三(中村勘九郎)らを描いた4年前の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」への言及も少なくない。

「今回は『いだてん』回だった」「いだてんリスペクト?」「いだてんを思い出してる勢がいっぱいいて嬉しい」…。

 阿月は男児と競走しても相手を寄せつけなかったが、女性を理由に蔑視される。「いだてん」では、女中から女子体育の先駆者になったシマ(杉咲花)が、ひそかに走り始める場面があった。阿月の姿に「シマちゃんを思い出していた」とのツイートもあった。

2023年4月17日 12:18 東スポWEB

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/260503

 さて、今回のドラマは「小豆」が創作であるということに注目し、その「小豆」が「阿月」という女性が出てきて、お一のメッセージを伝える為に、40キロ走るというようなストーリーになっている。元々の逸話が「創作である」とされているので、そのことを変えて何かにしたというのは非常に面白い発想である。まあ、「真実」があり、それが伝承されるときに言葉だけが取り上げられたり、あるいは、何か関連することに関して強調されて言われてみたりというような感じで、伝承になるということは十分にありうることである。そのことから、「真実」を持ちびき出すというのは良いのかもしれない。

しかし、その走りの中で、かなり多く回想シーンがあり、その為に「なぜ浅井長政が裏切ったのか」などは、徳川家康の言葉の中で行っている呂いうような感じになってしまっていた。同時に「走っただけで息絶えてしまうのか」ということもあり、なかなか難しいという感じになるのではないか。ドラマであるから説明臭い内容は必要がないような感じではあるが、しかし、大河ドラマであるのに歴史上のイベントが全く見えていないような感じなのではないか。

記事の中では「いだてん」というようなことが言われているようであるが、私から見れば、太宰治の「走れメロス」を思い出させるような感じであった。まあ、「良い話」になれば、何でも似たような感じになるのかもしれないが、しかし、そのような話の中に、様々な内容を見てゆかなければならないし、テーマを入れてゆかなければならないのかもしれない。

それにしても「小豆袋」を「阿月」にしてしまうということがなかなか苦心を感じる物語になっていたのではないか。そのようにしてオリジナリティを出さなくても、良いような気がするのは私だけではあるまい。

宇田川源流

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