「宇田川源流」 岸田首相が遊説先で襲撃されたことについて
「宇田川源流」 岸田首相が遊説先で襲撃されたことについて
安倍首相が凶弾に斃れてから9カ月、また、首相が遊説先で襲撃された。安倍首相の時と異なるのは、今回は警備がある程度しっかりと行われたということと、岸田首相に被害がなかったということである。ちなみに本書を書いている時点でけが人が2名いたということであるが、それ以上の被害はない。
まずは今回の内容を見てみよう。
岸田首相が和歌山県の衆議院補欠選挙において、遊説中、和歌山県雑賀埼漁港において、観客の一人が円筒形の「モノ」(これがのちに爆弾とわかる)を投げ込み、次を投げ込む前に、近くにいた一般人(漁民と報道されている)が取り押さえ、その後警護員(SP)が、行ったというような状況であったということになる。
本件に関して、問題点を集約すれば「昨年7月の安倍首相の事件については、現在の警護状態で活かされているのか」ということが最大の問題であるということになる。もちろん具体的な内容になれば、「観客と要人の距離」「観客の一人一人の荷物チェック」「事件での警護体制」「一般人を巻き込んだことの問題点」「二人の負傷者を出したことの問題点」その他にも細かいところは様々なあるが、総じて「選挙期間中の要人警護」ということで考えられるのではないか。
あえて言えば「選挙中」ということは、基本的には「一般人有権者との距離を狭めて、握手などをして親しみを見せる」ということになるのであり、その分、右手を「握手」などで拘束された状態で、無防備に一般有権者の前に表れることになる。また、演説などの場合は、当然に、無防備な状態で不特定多数の観衆の前に出てくることになるのであるから、そこも警護が必要である。そのような意味で、「警護そのものも難しい」ということはよくわかるのであるが、しかし、その中を警護しなければならないということになる。
なおこのことは、今週末の「オンラインサロン休日コラム」で書こうと思っている。
首相遊説先で爆発音 男逮捕
15日午前11時25分頃、岸田首相が訪れていた和歌山市雑賀崎(さいかざき)の雑賀崎漁港で爆発音がし、白い煙が上がった。警察当局によると、首相にけがはなく、聴衆にもけが人は出ていない。発煙筒のような物が投げ込まれており、和歌山県警は20歳代とみられる男を現場で取り押さえ、威力業務妨害容疑の現行犯で逮捕した。
自民党本部によると、首相は、衆院和歌山1区補欠選挙(23日投開票)の応援演説のため同漁港を訪れていた。この日午前、同漁港を視察。その後、午前11時25分頃から演説する予定だったが、演説直前に爆発音がしたという。
現場に聴衆は200人以上いた。目撃者によると、首相は漁港で海産物を試食し、自民党公認候補とともに聴衆の前に立って演説しようとしていた。この際、長さ15センチほどの銀色の発煙筒のようなものが投げ込まれた。
現場からは「きゃー」という悲鳴が上がり、男1人が取り押さえられた。警察官らの「離れろ」の大声が響いた直後、「バーン」という爆発音が聞こえ、白い煙が上がった。首相はすぐに警護員に囲まれてその場から避難した。逮捕された男は20歳代とみられる。
男が取り押さえられた現場には、投げ込まれた物とは別に発煙筒のようなものが落ちていた。
警察関係者によると、現場では警視庁の警護員(SP)や県警の警察官らが警戒に当たっていた。
昨年7月には奈良市で安倍晋三・元首相が選挙応援の街頭演説中に銃撃されて死亡し、警察庁は要人警護の見直しを実施。都道府県警が作成する警護計画案を警察庁がチェックするなど、国が主体的に関与する仕組みに変更していた。
同漁港では、警視庁の警護員(SP)や和歌山県警の警察官らが警戒にあたっていた。
自民党の茂木幹事長は、「先ほど首相と話をしたが、けがはないということだ。民主主義の根幹をなす選挙期間中にこのような暴挙が行われたことは、極めて遺憾であり、強く非難する」とのコメントを出した。
2023年04月15日 11時44分読売新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-2286309/
なぜ日本は街頭演説型なのであろうか。これは、建築家の故黒川紀章氏の著書などに書いてあるが、ヨーロッパなどの町には「広場」というものが存在し、その広場と広場を道でつなぐ形で行っている。そのことから、「広場」がそのまま演説などの場所になっているのである。実際に、その広場の中心に噴水があったり、あるいは、その中で大道芸があったりというような感じになっている。当然に選挙活動などもその広場が中心になるのである。その為に「広場を封鎖する」ということで簡単に会場ができることになる。
しかし、日本の場合には「広場」はない。神社の境内などはあり、そのようなところでお祭りなどができるようになっているが、しかし、わざわざ政策的に作った「広場」は存在しないのである。その為に「路地」や「路面」ということが一つのことになる。欧米では「広場を中心にその周辺に店ができ、カフェができて人が集まる」ということになり、路地などには、現代な別にしても、昔は店などは少なかった。しかし、日本はそのような物がないので「商店街」というようなことになり、そのうえで、「道そのものが広場のようになる」という形になるのである。
この事から「街頭演説」ということが中心になるのであり、その道の中でも人が集まれるような場所が、演説場所になる。駅前などの広場も、実際には、広場の中ではなく、駅に続く道の一部であると解釈されるのである。その為に、「広場がないアジア」は「街頭演説が中心」になる。当然い「街頭演説」は「道路」で行うので通行の妨げにはなることはないということになる。道は、生活の中心になり通行路になるのであるから、そのようになるのは仕方がないであろう。その中での演説になるので、「道路を封鎖(つまり演説時間帯は通行や生活を中止させる)」か「危険を顧みずに演説」かどちらかになるのである。その中での警備ということになるので、アメリカなどよりも難しいということがあるのだ。その意味では警備は大変である。
その為に日本ではかなりの部分は、「性善説」に併せて警備を行うしかない。このように襲撃されるのも昔からあり、社会党の浅沼稲次郎などは、会場での演説の時に襲撃されている。
とはいえ、「日本の文化」であるから、当然に、警備はしなければならない。その警備を怠ることは許されないのである。
この辺の詳しい事情は、オンラインサロンに譲ろうと思う。
0コメント