日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第一章 朝焼け 19
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第一章 朝焼け 19
その日の前日、天皇皇后両陛下は、葉山の御用邸に向かって移動された。毎年2月になると、天皇皇后両陛下は、特別な行事などがない限り、保養を兼ねて葉山の御用邸で過ごされることが慣例となっている。皇居はその間に、様々な施設のメンテナンスを行うのである。その為に、天皇皇后両陛下がいなくなり、その代わり様々な出入り業者が入って、宮内庁の職員と共に施設のメンテナンスを行うのである。
皇居の周辺は、天皇皇后両陛下という、皇居の「主」が御用邸に向かってしまって留守になっているということを知っている人にとっては、何か間が抜けたような警備になっているように見える。もちろんそんなことはないのであるが、この日は、皇宮警察のトップも日頃休みが取れないことから、葉山御用邸に行幸された翌日から一週間休みになってしまうので、やはり緊張感はいつもよりも少し薄れていたのかもしれない。特に様々な、いつもとは異なる年に一回しか着ていない業者が来るので、皇居の出入りに関しても多少は甘くなっている。警戒をしない人が増えるということは、逆に警備が甘くなるということである。
「今日は」
皇居の祝田橋交番の警官が、そこに入ってきた4トントラックを止めた。
「ああ、庭の手入れに」
運転手は顔を出して身分証を提示した。そこにはいつも皇居を行っている業者名が書かれている。もちろん顔写真入りだ。
「いつもの人と違うのじゃないか」
交番からもう一人の警官が出てきた。ここの交番はいつも4人体制だが、この日は3人になっていた。あと一人は見回りをしているのであろうか、それとも、やはり天皇皇后両陛下がいないことや、皇宮警察のトップがいないことから、少し緊張感が緩んでいるということなのかもしれない。
「ああ、あいつ風邪ひいてしまって。」
「そうなのか」
そう言うと、疑わしい目をして交番の建物の方に戻っていった。
「門を開けてもらっていいですか」
「うん、ちょっと待って」
初めに対応した、いかにも好々爺という感じの警察官が、別に何も問題はないが、手続きに必要という感じで言った。
「ちょっと待てばいいんだな」
そう言うと、運転手の男は助手席にいる男と目を合わせた。
「ところで、お巡りさん。待つならば、今のうちにトイレに行きたいんだが」
「トイレかい、それならば、ちょっと遠いけど、前の広場の奴使ってくれるかな」
好々爺の警察官は、そう言うと、道の向こう側にある建物を指さした。そこには警察隊のバスが数多く並んでおり、何人かの警官はその横で、まだしふとではないのか、少しくつろいだ様子だ。
「じゃあ、トラックを横に寄せて行ってきますから、その間に手続き終わらせておいてください」
男たちはにっこり笑うと、トラックをあまり邪魔にならないところに移動し、そのまま二人とも出ていった。運転席には、男のカバンと思われるものがそのまま置いてあったが、作業着のポケットはやけに膨らんでいて、なおかつ、小物入れなのか、ウエストバックが腰に巻き付いていた。
「おかしいなあ、あいつらこんなに素直に車を離れるのか」
交番に戻った警官は、首をかしげながらトラックに近づいてきた。好々爺の警官は、トラックの運転席に彼らがかばんを置いて行っているので、安心したようである。
「あいつ、登録は」
「それがないんですよ」
「ない」
好々爺の警官の顔が一気に曇った。
「まさか」
微かであるが、ピ・ピ・ピと電子音が聞こえる。
「逃げろ」
好々爺の警官はもう一人の警官に言うと、慌てて走り出した。
「なに」
「爆弾だ」
三人目の交番にいた警官は、非常警報を鳴らした。しかし、その時、一瞬閃光が走ったあと、何も無くなっていた。好々爺の警官ももう一人の警官も、何かに吹き飛ばされ、そして堀の中に落ちていった。交番の中の警官は、交番の建物と一緒に崩れた。
ちょうどその時、祝田橋を挟んだ建物、つまり警視庁と警察庁の間でもほぼ同じ規模の爆発が起きた。警視庁の建物は、トラックがいた側のガラス窓はほとんど割れ、下を歩いていた一般の人々を直撃した。もちろん、建物の中にいた人も多大な損害を受け、けが人が多数出てきた。警察庁も同じで、かなりの被害が出てきていた。建物は、黒くすすけてしまい、壁の一部は剥がれ、下の方は大きくえぐれていた。
当然に、祝田橋交番の周辺もかなりの被害である。しかし、石垣はほとんど問題がなく、もともと「江戸城」として残っていたところはそれほど大きな問題ではなかったが、城壁などはボロボロになり、また、トラックが止まっていた周辺のアスファルトは、大きくえぐれていた。当然にそこにあったはずのトラックは跡形もなく消えてしまっており、皇居の周辺をマラソンしていたのであろう人が、血を流してうずくまっていた。
「救急車」
どこからともなく、そのような声が聞こえた。皇居前広場に留まってた警察隊のバスは爆風によって横倒しになり、くつろいでいたと思われる警察官たちも、皆ふきろばされたり、あるいは横倒しになったバスの下敷きになって呻いていた。少なくとも一般人のけが人を救助できるような状態ではなかった。
日本であると思わせるのは、大手町丸の内のビルから多くの人が出てきて、いち早くけが人の救助に当たっていた。ちょうど地下鉄二重橋前の駅から上がってきた人々も、その応急手当の輪の中に加わった。一瞬にして冬の東京は、戦場のようになってしまい、皇居前広場はさながら野戦病院の様相を呈していた。
「あまり近付かないでください。まだ爆発物が残っている可能性があります」
駆けつけてきた警察官は、交通整理と集まって切る人の整理、そしてけが人の救助と、手分けをして行っていた。施設などもないので、のどがつぶれるんおではないかというような、あらん限りの声を上げている。
それでも、多くの人はその言葉を意に介せず、目の前のけが人の救護をしていた。
自動車は完全に封鎖されていた。東京駅から皇居前を通って、丸の内、霞が関、そして国会に抜ける道は完全に封鎖され、警察車両、救急車両、そして自衛隊の車両が優先されていた。逆に他の道は、渋滞が発生した。
「もう一つ行くか」
皇居前広場ではなく、そのまま二重橋の前のオフィスビルに入り、地下のトイレに入った松原は、大きく鈍い爆発音と、その後の騒ぎを見ながらオフィスビルを東京駅の方面に出ていった。横にいる男に、ウエストバックの中のもう一つのスイッチを見せると煙草をくわえた。
「ボス、煙草は喫煙所に行かないと怪しまれますよ」
「そうだな。変なところで足がついてもよくないからな」
二人で笑うと、歩道に用意された喫煙所の中に入り、煙草に火をつけた。さすがにこの状態で、ゆっくりとたばこを吸っている人などはいない。特にこの辺は昭和60年代には三菱重工爆破事件など、様々なテロがあったことから、このようなテロ行為があった場合には警戒する人が少なくないのである。
「まあ、俺たちはテロを気にする必要はないけどな」
松原は、そう言うと、ウエストバックの中に手を入れて、ちょうど煙草に火をつけるためにライターを燈す感じで、スイッチを押した。
「ドン」
遠くでやはり爆発音が聞こえた。二人は喜ぶでもなく、何の感慨もないように、ゆっくりとたばこの煙を吐き出していた。
その頃、通称国会通りといわれる道はかなり渋滞していた。通行止めが多くなったので、仕方がない。全く車が動かない所で、外務省の隣に止まっていた2トントラックが爆発したのである。外務省と財務省の建物の間で爆発が起きたために、外務省の壁は崩れ、その周辺の自動車は吹き飛ぶように大きくゆがんだ。中には火を噴き、火災が発生した車もあった。爆発の規模は小さかったが、渋滞していただけに、被害は大きくなった。
「帰ろうか」
松原は、国会通りの結果などは見ずに、そのまま東京駅の方に出ると、日本橋まで歩いて地下鉄に乗った。
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