「宇田川源流」 これも毎年書いている「紅白歌合戦」についての雑感(新・マスコミ批判に関する一考)

「宇田川源流」 これも毎年書いている「紅白歌合戦」についての雑感(新・マスコミ批判に関する一考)


 本日から、普通の「宇田川源流」に戻すことにしよう。といっても、年初放談をしていたほどの内容であり、実際にそれほどのニュースはない。まあ、政権批判をしても野党批判をしても、またアメリカ批判や中国批判をしてもどれでも何となくなるクリアのネタはあるのだが、しかし、そのような話をしても正月早々あまり面白くない。それ以上に、読者の皆さんの「共感」がないのではないか。そのように考えて、この「毎年の正常なブログの一回目」は非常に苦労するということになるのである。

 そこで、毎年いつも行っているのが「紅白歌合戦」についてである。

 実は、この「宇田川源流」になる前のブログ、2008年から行っていたものであるが「宇田川敬介のニュースC級解説」というものがあったのだが、実はそれはニフティのココログが、サーバー以上が出て、やめてしまったのであるが、まあ、その中で人気の連載が、毎週月曜日に行っていた「マスコミ批判に関する一考」ということであった。実際に、当時は国会新聞社という新聞社にあって、その中で、特に他の新聞などの政治部の話などがよく見えていたので、その内容をしっかりと書き、「彼らの報道」と「現実」がどれほど異なるのかということをしっかりと文章にして残しておいたものである。しかし、ブログも新しく「宇田川源流」にしたことだし、またマスコミ批判に関する一考も500回を超えて、マンネリ化してきたのであっさりと辞めてしまった。そのマスコミ批判に関する一考を辞めた後の連載が「日本万歳!」である。

 さて、その昔の「マスコミ批判に関する一考」の人気企画が、「紅白歌合戦」であった。当時は、小林幸子さんが、「巨大なセットとも思える衣装」で出現(本当ならば登場であるが、あれは出現とした方がぴったりだと思う)し、また演歌の大御所がトリを取るというような形であった。北島三郎さんや和田アキ子さんがその中の一人であったことは間違いがない。

 しかし、最近は「若者受け」を狙うというような形から、まあ、たくさんの若い歌手(といっても私は昔そのような状況を喜んでいたのであるが、私自身が年を取ったということもあるのかもしれない)が出てきている。

 ところで、今年の紅白歌合戦は、昨年までとも何かが違う気がしたのであるが、どうであったであろうか。

紅白の審査結果で「会場が変な空気に」 紅組優勝も...ゲストと観客の「温度差」くっきり

 「第72回NHK紅白歌合戦」が2021年12月31日、東京国際フォーラム(東京都千代田区)から生放送され、紅組が2年連続の優勝を果たした。

 会場にいた観客と視聴者の投票では、どちらも紅組が優勢という結果だったが、番組の「ゲスト審査員」6人は全員が白組に投票していた。

■大泉洋「審査員は白でしたけどね」

 第72回NHK紅白歌合戦は、テレビ視聴者「視聴者審査員」、国際フォーラムの観客「会場審査員」、番組に出演するゲスト「ゲスト審査員」の3グループによる投票で勝敗を決した。各グループの投票の多かったほうに1ポイントが入る仕組みで、2ポイント以上を獲得した組が優勝となる。

 ゲスト審査員には、三谷幸喜さん、清原果耶さん、坂口健太郎さん、石川佳純さん、小池栄子さん、谷真海さんが参加。6人全員が白組に投票し、白組に1ポイントが入った。

 一方で「会場審査員」は、紅組に1110票、白組に1000票。「視聴者審査員」は紅組に218万9150票、白組に195万6996票を投じた。結果、紅組が2ポイントを獲得し優勝した。紅組の優勝は今回で33回目となる。

 ゲスト審査員の投票では白組が圧勝だったのにもかかわらず、観客や視聴者たちの投票が紅組を勝利に導いた。司会を務めた大泉洋さんは「紅でした!紅でしたか・・・!審査員は白でしたけどね」と驚くようにコメントした。

 SNSでも「紅白審査員は全票白組なのに視聴者投票で逆転紅組優勝は熱すぎるな!」と感動する声があがった。一方で、ゲストと視聴者ら一般人の投票結果の違いに、苦笑いするような反応も漏れている。

「会場がちょっと変な空気になってたの草生える」

「紅白の結果、審査員票ガン無視で草」

「なんとも言えない空気で終わった」

2022年01月01日 13時52分 J-CASTニュース

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12144-1403500/

 あまり目立ちたくないので、あえて題名からは外したのであるが、今回の紅白歌合戦のテーマ「カラフル」というのは、どうなのであろうか。まあ、「LGBT」などを含む「多様性」ということがあったのかもしれないが、それならば「紅白歌合戦」とくに「合戦」ではなく普通の歌謡ショーでよいのではないか。歌番組も「題名」だけを伝統に基づき、内容は「合戦」要素を全てとってしまい多様性ということで終わってしまうということは、何か大きな違和感があったような気がする。

 現在の様々な動き、例えばアメリカのニューヨークタイムスが始めた「自虐史観キャンペーン」からの、黒人を奴隷にしたということでのリンカーン大統領などの銅像を倒してしまう「歴史の改竄」などと全く同じ状態であり、当時の環境や社会的な状況を考慮し、その中で判断できる「正義」を尽くした人々を「現在」の価値観に照らして、そのままそれを断罪するというのは、あまりにもおかしな話ではないか。日本では「死者に悪人なし」ということが言われているのであるが、しかし、今回も「紅白歌合戦」という「男性歌手と女性歌手を分離し、その男女のどちらがより素晴らしいパフォーマンスを見せるのか」ということを競うものであり、その中の「男女」というのは、区別の一つの基準でしかなく、そこに差別の意思はないのである。

 逆に、これが「東西対抗」というような者であった場合、「地理的な差別がある」とか「地域的な多様性が書けている」というようなことを言うのであろうか。何か強い違和感を感じるものがあるのではないか。また「合戦(対戦)形式が良くない」というようなことであるならば、本当に歌謡ショーにすればよいことであり、優劣などはつけなければよいのである。もちろんそれでパフォーマンスが保てるのであるならばというような条件が必要になるのであるが。

 一方、すでに伝統を破ってしまっている部分も少なくない。例えば「その年に流行した歌」ということで基準があるはずであったが、なぜか「出場する歌手の代表曲」ということになり、いつの歌だか全くわからないような、昔の曲が出てきてしまう。本来は「全く知らない歌であっても、その年に流行した歌」ということにすればよいのであるが、なぜかその部分はコンセプトがすでに崩れてしまっている。

 コンセプトが崩れてしまい、結局単なる歌謡ショーになってしまっている状況で、視聴率を上げようという方が難しいのでは会ないか。司会をやっていた大泉洋さんや川口春奈さんなどは、完全にスケープゴートとしか言いようがない。そのようにコンセプトが崩れてしまっているので、上記の記事のように「視聴者」と「会場」とで全く異なる評価になってしまったのであろう。

 この番組に関しては、もう一度コンセプトをしっかりと見直す必要があるのではないか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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