祝 オリンピック開幕 「多様性」とは個性を無くすことではなく「違う相手を受け入れ許容すること」ではないのかという疑問を持った開会式

祝 オリンピック開幕 「多様性」とは個性を無くすことではなく「違う相手を受け入れ許容すること」ではないのかという疑問を持った開会式


 7月23日、オリンピックが開幕した。実際にはその数日前からソフトボールなどの予選は行われているが、これはあくまでも予選なので、本戦は開会式から跡ということになる。

 本日までの間に日本は金メダルを多く取得したということもあれば、そうではなく。期待した選手が予選落ちをするなど、様々な感想を持っている人がいるのではないか。スポーツであるから「勝負事は下駄を履くまでわからない」といわれる。まさにそのような結果になっていることが、スポーツの面白いところではないか。

 さてそのオリンピックに関して、開会をめぐって様々な意見が出された。実際に、マスコミの一部には中止すべきだなどといっているし、また、開会したのちまでも「開催に疑問がある」などということを言っている。それならばオリンピックの報道をしなければよいのに、なぜか中継などを放映している。一貫性がないというかなんというか。

 一方「批判されない」オリンピックの体制ではないということが一つ挙げられることも確かであろう。なんといっても、辞任した人が多すぎる。まずはエンブレム問題のデザイナー佐野氏。盗作なのかオマージュなのか、大きな問題になった。この時は、オリンピックそのものの仕事(デザイン)に関しての問題であり、盗作ということになれば、それはかなり大きな問題であるから、この時は議論を呼んで当然と思っていた。しかし、一年延期そのうえ無観客からかもしれないということで、開会式の演出の野村萬斎氏や椎名林檎氏の辞任、その次に森オリンピック組織委員会会長の女性蔑視発言とされる内容。これに関しては実際は女性蔑視ではないような気がするのであるが、日本のマスコミの悪意を感じる。そして演出の佐々木氏、音楽の小山田氏、その後の演出の小林氏と、まあ辞任をする人がよく出てきたものである。

 一つにはオリンピック組織委員会の身の上調査がおかしいということや、どういうプロセスで決めているのかなどが全く明らかにされていないということ、そしてもう一つは、そのような発言がどのような背景で出てきたのかなどを全く行わず、ただ問題視して事件を起こすマスコミの体質。この二つが大きく問題になったのではないだろうか。

MISIAのレインボードレスに米NBCも注目 偶然の一致に「似てる」「ただ驚き」と話題に

   NBCが比較画像投稿「そうなる運命だった」

 東京五輪は23日、開会式が東京・国立競技場で行われ、歌手MISIAが「君が代」を歌った。レインボーカラーのドレスが話題を呼んだが、五輪の放映権を持つ米放送局「NBC」も注目。同局のロゴと比較し「そうなる運命だった」と記載している。

 MISIAは裾が広がったレインボーカラーのドレスをまとって国家を独唱した。全米で開会式を中継したNBCは衣装に関心を寄せ、同局のロゴとの一致に注目している。

 スポーツ専門局「NBCスポーツ」の公式ツイッターではMISIAの姿と同局のロゴとを並べて「そうなる運命だった」と投稿。これにコメント欄では「このドレスは美しい」「ゴージャスだ」「似てるね」「ただ驚き」などと反響が寄せられている。

「多様性と調和」を掲げる東京五輪。レインボーフラッグはLGBTの象徴とされる。(THE ANSWER編集部)

2021年7月24日 16時49分 THE ANSWER

https://news.livedoor.com/article/detail/20583590/

開会式のピクトグラム男、好演を米メディア称賛「人気をさらう」「言葉の壁を超えた」

   ピクトグラムを表現したパフォーマーが話題に

 東京五輪は23日、東京・国立競技場で開会式が行われた。国内外で話題となっているのが、終盤に登場したパフォーマーだ。今大会の競技ピクトグラムを“実演”。青と白のウェアで全身を包み、テンポのいい動きで盛り上げた。米メディアも「人気をさらった」「言葉の壁を超えたパフォーマンス」などと脚光を浴びせている。

 開会式に現れた“ピクトグラム男”が海外でも称賛されている。青と白のシンプルな配色で全身を覆ったパフォーマー。表情は分からないが、音楽に合わせてコミカルにピクトグラムを表現してみせた。サポート役がボールや水際の波なども作り出す。途中、ラケットを落とすハプニングもあったが、やり切って拍手を浴びた。

 好演が日本の視聴者の間で大きな話題となっていたが、米メディアも注目している。米紙「ワシントンポスト」は「東京五輪開会式で人間ピクトグラムが人気をさらった」との見出しで記事を掲載。「セレモニーの中で最もエネルギッシュな姿を見せていたのは人間ピクトグラムを演じていたパフォーマーたちだったかもしれない」と評価した。

 米放送局「NBC」の国民的人気番組「トゥデー」も、公式サイトに「東京は41の競技を人間ピクトグラムで表現し、開会式を魅力的なものにした」とのタイトルで記事を掲載。「東京五輪開会式では、言葉の壁を超えたパフォーマンスが行われた」などとつづっている。また、大会公式サイト英語版の記事では「素晴らしいダンスに五輪開会式は人々に『ピクトグラムって何?』という疑問を持たせた」と関心を抱かせるものであったと特集していた。(THE ANSWER編集部)

2021年7月25日 6時43分 THE ANSWER

https://news.livedoor.com/article/detail/20585823/

 今回の開会式、テーマは「多様性」であるという。そしてそのことから、多様性を表す「虹色」がモチーフとなったドレスで、MISHAさんが、君が代をうたった。実際に、「日本国」で行っているので、国歌斉唱は当然である。

 しかし、そのほかのパフォーマンスは、日本という国を感じさせるものは少なく、なにか「多様性」という言葉を勘違いしているのではないかという気がしてしまう。「多様性」とは、本来各国が自分の個性、アイデンティティを発揮し、そのうえでその個性の違いをお互いが認め合うことであって、「無国籍」にしてしまい個性を無くすことではないはずである。しかし、今回のオリンピック、全体に「無個性」になってしまっているのではないか。そんな気がしてならない。

 もちろん「競技」そのものは各国んアスリートが各国の国威と各選手のプライド、そして今までの練習の成果をぶつけ合って戦い、そして、試合が終われば、お互いのすべて、国家や文化、環境の違いなどをすべて受け入れて、相手をたたえる。それが勝っても負けても相手をリスペクトするということが最も大きな内容ではないか。「個性を無くす」ことではなく「違いを認めて違う相手を受け入れる」ことの心の許容性や寛容さこそ、最も重要にしなければならないものであるはずで、無個性というようなことを重視するような話ではない。今回の開会式の演出において、あえてどの部分とは言わないまでも、何かそのようなことが心の中をかすめたことは否めない事実である。

 一方、上記の記事には書かなかったが、「ドローン」などは、なかなか面白い内容であった。日本の先進性、日本の科学技術を存分に発揮したのではないだろうか。これも同じで(こじつけではあるが)「古きよきもの」「新しい最新の便利なもの」という二つの違い、良さ、そして味わいをしっかりと認識して、その違いを抱擁する力を持つことの重要性が中に隠されているということになる。実際に、世の中ではジェネレーションギャップというような話が少なくない。これは日本という国に限らず、または会社や組織だけではなく、どの国であってもそのような考え方の違いがある。

 おりんぴっっくとは一つのルールの中で、それら国家や地域、文化の地下街をすべて飛び越えて、また政治的な背景なども無くし、同じルールの中で一つの競技を行い、そのルールの中での審査で、競うものである。もちろん競うことそのものがおかしいというような偏狭的な考え方がるが、しかし、本来「戦い、相手の実力や精神を知り、そのうえで相手を尊敬する」ということこそ、重要なのであり、その辺が全くわからないような人がいるということが、もっとも恥ずかしいことなのではないか。

 今後の競技も、私は日本を応援する。もちろん、オリンピックを行った以上は、成功を収めてもらいたい。そのためにルールを守って応援することが最も良いのではないか。

宇田川源流

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