「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 しっかりとした現代の社会風刺を付けたドラマ攻勢に満足

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 しっかりとした現代の社会風刺を付けたドラマ攻勢に満足


 水曜日は大河ドラマ「青天を衝け」について書いている。いや、これが見ているとなかなか面白い。それも、しっかりと「ドラマである」と思って見ていると、なかなか面白い作りになっているのである。

 あえて「ドラマであるという見方」をすると、まずは「歴史を知っている」ということが重要である。正しいものを知っていると、何が違うのかが見えてくることになる。もちろんこの「正しい」という言葉の中にも、様々なところがある。歴史上の出来事、または人の生死などに関しての情報を変えてしまうというのはなかなか難しい。まあ、病死を暗殺とするなどは昔からよくある手法なので、その辺は何とかなるのであるが、それでも実際に戦争が無かったのに有ったようにしてしまったり、書面があるのになかったことにするようなことはさすがに、最近のドラマではしないのではないかという気がするのである。しかし、人の性格やそこから出る記録に残っていない言動などに関しては、「何が正しいのかわからない」のである。

 そのように考えた場合「正しい」と自分が信じているとか、あるいは、高名な歴史小説家の描いた世界観を踏襲しているかどうかということになってしまうものでしかないのである。新しい解釈をするなどの事があっても問題はないはずであり、また、人によって見えている内面が変わってくるということがある。

 そのうえで、自分なりの歴史、それは本当に自分の主観から出てくる歴史で構わないのであるが、その自分内の歴史を知って入れば、「ドラマで書かれていることが、自分の思っている正しい歴史とどこが異なるのか」ということになる。そして、もう一歩前に進めれば、その違いが何からきているのかというようなことを、ドラマの制作者や、あるは脚本家などの感覚になって自分との「違い」を楽しみにするということができるようになれば良いのではないか。

 歴史というのはその事実を変えることはできない。しかし、「なぜその事件が来たのか」ということや、「解釈」もっと言えば「その当事者の心情」を楽しむことはだれでもできるものではないか。その当事者本人に会うことはないし、また、その当時に見ていた人と会うこともない。そう考えれば「正解」はないのである。

 大河ドラマは、その意味でそのような楽しみ方もできるのではないかという気がするのである。

青天を衝け:草なぎ剛“慶喜”覚醒!? 久光ら「天下の大愚物」とバッサリ! 視聴者も「快なり!」

 俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)第14回「栄一と運命の主君」が5月16日に放送された。同回では、薩摩藩が天皇に信頼の厚い中川宮(奥田洋平さん)を取り込んでいることに気付いた慶喜(草なぎ剛さん)が、中川宮を問い詰め、その場にいた島津久光(池田成志さん)らに「天下の大愚物、天下の大悪党だ」と言い放つシーンが登場。SNSでは「薩摩に一泡」「慶喜くん、天下の大愚物とバッサリ」「ほれるわ、つよぽん慶喜」「いまだかつてないカッコいい慶喜公」といった声が上がった。

 また慶喜は、慌てて駆け寄ってきた松平春嶽(要潤さん)に「私はあくまで徳川を、公方様をお守りします」「(徳川に)政権の返上はさせませぬ」と決意表明。この日を境に、参与たちによる会議は消滅し、京での政治主導権を幕府の手に取り戻すことに成功した。

 慶喜が、家臣と共に「快なり!」と祝杯を挙げるシーンもあり、視聴者も「快なり!快なり!!」「みんなで『快なり!』と言いたい」「見てて気持ち良かった。快なり!」「慶喜覚醒!快なり!」と盛り上がっていた。

 「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。

MANTAN WEB 2021年05月16日

https://mantan-web.jp/article/20210516dog00m200018000c.html

 第14回の大河ドラマ「青天を衝け」は、歴史的に言えば、「参与会議」ができたときの事である。十四代将軍徳川家茂が、孝明天皇との間において蜜月時代を迎え、孝明天皇の話を受けて、幕府が横浜港の閉鎖を本気で成し遂げようとした時の事。薩摩藩の島津久光が様々な暗躍絵御おこない、また、越前の松平春嶽が独自の正義感で行動をしていた時代の事である。ある意味で「開国派」と「攘夷派」というだけではなく、立脚している学問が「林派朱子学」なのか「陽明学」なのか「蘭学」なのか、「折衷朱子学」なのか、それとも「後期水戸学」に立脚して物事を考えているのか、そのような「人生哲学」に関する内容までがドラマに描かれることはないが、しかし、そのようなことまで考えながら見ていると面白い。

 今までどことなく頼りなかった徳川慶喜が、急に豹変し、中川宮や島津久光との間に対立軸を作ってゆく。攘夷派とも言い切れない「現実的な考え方」の徳川慶喜に、渋沢栄一という陽明学的(尾高惇忠が心即理の掛け軸をかけていたので、その教えがあったと考えるべき)な新風を吹き込まれ、何か人が変わったようになるというのは、なかなか面白い。もちろん、史実とは異なると思うが、渋沢栄一を主人公とするドラマであるということを考えれば、このようになるのであろうということを見ればよいのではないか。

 もう一つ、今回面白いのは、渋沢栄一の言葉である。実際に、徳川慶喜と面会した後、平岡円四郎にたしなめられ、自室に戻る。そうすると、その中で「自分たちが知らない徳川慶喜」が、世の中のイメージとか自分たちが思っていたものとは異なり、様々なところで活躍していることを知る。平岡円四郎は「ちっとは世の中がわかったか」という言い方をするが、これは、間違いなくNHKの社会風刺である。そもそも面会などがあるとは思えないので、このくだり全てがフィクションに違いない。これは、昨年SNS上の、それも本人にあったことが無いにもかかわらず、テレビからのなんとなくにイメージで「正義感」からその人を攻撃して自殺に追い込んだ事件があった。まさに、攘夷派が徳川慶喜に対して持っている感情も同じで、「日本をよくしたい」と思い、正義感と義憤で様々な行動を起こす。しかし、真実は全く異なるところにあるというようなことである。そのような「社会風刺」が必ず大河ドラマというかNHKのドラマの中には入っている。

 攘夷派も、開国派も、そのような「義憤」で暗殺をしてしまう。私が小説で書いた中では、まさに佐久間象山などはそのような「正義感によって、嘘の噂話から暗殺されてしまった」ということになる。人はい死んでしまっては生き返らない。佐久間象山の暗殺犯は、そのまま刀を置いてしまったという。

 まさにそのような昨年来のSNSの事件を、幕末の攘夷の志士になぞらえて描くというのはなかなか興味深い。

 大河ドラマはこのようにして楽しむのがよい、という模範のようなドラマではないか。

宇田川源流

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