「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 徳川慶喜と渋沢栄一の出会いやその二人の中にある魂をどのように描くか
「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 徳川慶喜と渋沢栄一の出会いやその二人の中にある魂をどのように描くか
あまり大きな動きがないというのが、私の周辺の「青天を衝け」の評である。まあ、もともと渋沢栄一自身、全く戦争や合戦に出たことはないのであり、その意味では、「戦」を中心に人の死生観を見対等人には物足りないかもしれない。ある意味で、「戦のない大河ドラマ」は、歴史を知っている人からすれば、その先の歴史的な出来事の背景や伏線が様々見えているということになるので、なかなか面白いのであるが、逆にドラマとしてしまえば、あまり動きのないドラマというような形になってしまうということになるのである。
実際に、今回の中で徳川斉昭が、息子であり水戸藩藩主の徳川慶篤とその弟で一橋家当主、後の十五代将軍徳川慶喜に対して「公方様(幕府)と天子様(朝廷)が対立することがあれば、わが水戸家は、公方様に弓を引くことはあっても、決して天子様に弓を引くことがあってはならない。それが水戸家の掟である」ということを硬く言う。このことから、歴史を知っている人からすれば、鳥羽伏見の戦いのあと、江戸にもどった徳川慶喜が、勝手に謹慎し、江戸城を明け渡して、上野寛永寺に入り、その後、江戸無血開城が決まったのちには水戸に引き上げてしまうということを想起する。当然に、その時に徳川慶喜に従って水戸迄護衛したのが渋沢栄一なのである。
あの時、なぜ慶喜は戦わなかったのであろうか。また、なぜ鳥羽伏見の戦いやその後の大阪城においても戦場を放棄したのか、そのようなこともすべて、父の徳川斉昭の指導、「水戸家の掟」が深く関与していることが見えてきているのではないかと思うのである。
藤田東湖がいなくなる、そして、そのことによって水戸藩が混乱をきたし、その混乱の中で、大きな問題が様々に出てくることになる。薩摩の天璋院篤姫の婚礼における薩摩藩のやり取りと、一方で、一橋藩に来た美賀姫と徳川慶喜の関係、この二つが対照的に書かれていたのも、なかなか面白い対比である。それがそのまま「幕末の対応」の違いとして出てきてしまっているのではないか。
このように、幕末の歴史を知っていれば、その歴史に対して様々な伏線を感じることができる。特に「合戦」がないので、その「合戦」に物事をつなげる必要がなく様々なことを見ることができる。そのことは、歴史が好きな人にとっては非常に面白いのかもしれない。
NHK大河「青天を衝け」吉沢栄一と草なぎ慶喜の笑撃初対面にネット騒然「連れ◯◯◯とはw」
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の第6話が21日、放送され、吉沢亮演じる主人公、渋沢栄一と、のちに江戸幕府第15代将軍となる徳川慶喜(草なぎ剛)が劇中で初対面。衝撃的な2人の出会いにネットが騒然となり、「笑ってしまった」「素敵すぎる」「まさかの…」などの書き込みがSNSに相次いだ。
「日本資本主義の父」と言われ、新一万円札の顔ともなる実業家の渋沢栄一の人生を描く同作。2人の初対面は、第6話の終盤で描かれた。
信州と上州の紺屋まわりに出かけた栄一は、その道中で偶然、馬に乗る慶喜の一行と出会った。休憩中の栄一が用を足そうとして道ばたに立っていると、そこに慶喜らが通りかかった。草むらに立つ栄一を見つけ、慶喜の付き人が「おい!」と声を掛けると、栄一は驚いた表情で振り向いた。栄一は慌てて用を足すのをやめようとしたが、慶喜は「構わぬ」と言って馬から降り、そのまま栄一の隣にスッと並んだ。戸惑う栄一に慶喜は流し目を送り、一緒に用を足した。
この展開を受け、ツイッターには「すごい出会い方w」「栄一と徳川慶喜の出会いがまさかの状況で笑ってしまった」「出会いが素敵すぎる」「慶喜様と栄一の初めての出会いが連れションw劇的過ぎるw」「栄一と慶喜様の邂逅がまさかの立ちションとはw」「栄一と慶喜の出会いがあれとは まったく予想できなかった笑」などのコメントが殺到。慶喜が流し目を送るシーンは14日放送の次回予告でも紹介されていたことから、「慶喜ぽんの素敵な流し目笑顔は…立ちションかーい!」という声や、「怒られるんかと思ったら君もやるんかーい」というツッコミも見受けられた。
イケメン2人のまさかのバックショットを「慶喜と栄一の並んでる姿が美しかった」「2人後ろ姿素敵ですね」「二人並んだカッコいい後ろ姿がまさかの連れ◯◯◯とはw」と絶賛する視聴者も少なくなく、この盛り上がりを「まさか慶喜と栄一の連れションがこんなにTLを占拠するとはw」と喜ぶネットユーザーもいた。
iza(イザ!) 20210322
https://article.auone.jp/detail/1/5/9/185_9_r_20210322_1616375831781438
さて、今回の内容は「女性の取り合い」ということで、尾高千代の取り合いが様々なことで出てくるということになる。片方で「妻」に苦労している徳川慶喜、そして妻に支えられている徳川斉昭というような対比が非常にうまく書かれている。
そもそも、今回の大河ドラマ「青天を衝け」は「深谷農村部」と「江戸城」という二つの対比を作って、その二つの内容をうまく重ねながらドラマを進めている。その進め方は、将来その中心人物である渋沢栄一と徳川慶喜が、重なり、そしてその後渋沢栄一が幼少の頃、(今放映している若い時分)の経験から様々なことを考え、そのことから企業を起こしてゆくというようなことに繋がってゆくことになる。
その中では尾高淳忠の影響などがあって、初めのうちは尊王攘夷を掲げていたということを考えなければならないが、一方で、開国後、そして明治維新後は開国してくれたハリスなどに様々な顕彰を行っているというようなことがある。その思想の変遷や、考え方の変わり方がどのようなタイミングで、どのように書かれるのかということがなかなか興味深いのではないか。
日本の資本主義の乳というように書かれていることは少なくない。しかし、もともと「米本位制」であり、武士が政治と経済を支配していた時代に、尾の中で渋沢栄一が何を考えたのか。その変遷ということが、そのまま明治維新において「武士の世界」から「天皇の治世」そして「民主主義」へ変化する冬至の「庶民」の平均的な考え方ではないのか。そのような考え方があることによって、日本人は明治維新と急激な開国を受け入れることができたのではないかというように考えられる。その日本人の歴史的な変遷をどのように考えるのかということをドラマで、様々な形で訴えるということが、ドラマとして面白いのかもしれない。
そして今回は、その「身分の違う二人」が初めて出会うシーンがあった。
まさに、二人で立小便をしているというものであるが、これは、当然にドラマの捜索であろう。戦国時代、北条父子を攻める小田原の陣において、対抗豊臣秀吉は、石垣山一夜城の横で徳川家康と立小便をし、その中で、関八州に国替えを命じるということになる。ある意味で徳川幕府というのは、そのことから江戸に幕府を開いたということになるのであるから、「立小便」というのは、何か様々な意味がある。ある意味で「幕府の初代将軍の徳川家康の立小便」と「幕府の最後の将軍の立小便」というのは、なかなか意味が深く良いのかもしれない。そして、将来的に徳川慶喜が徳川宗家を次いで駿府に戻ることを考えれば、「江戸に入る人」と「江戸から出てゆく人」が立小便でその時に結審する人と一緒に会うということになる。まさにそのような「対比性」が今回のドラマでは非常に多くあるのではないか。
そのような楽しみがあることは、なかなか興味深いのかもしれない。
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