「宇田川源流」 謝罪撤回を許さない「ジャスティスハラスメント」の世界になった日本の元凶は何か

「宇田川源流」 謝罪撤回を許さない「ジャスティスハラスメント」の世界になった日本の元凶は何か


 このブログも、「ココログ」というプラットフォームで行っていることから考えれば、すでに13年以上行っており、ほぼ毎日更新しているということになれば、さすがに様々なことを書いている。その中には様々な減少やいろいろな内容を引用したり、あるいはラジオやテレビで言っていることを感心してこの中で紹介したことがあった。当然に、私が気が付かなかったことを、そのまま的確な表現で話してくれている人がいれば、それは紹介したいと思ったのである。

 さて、今回そのようなことを思い出したのは、今はすでに無くなってしまっているラジオ番組なのだが、昔、東京地区のFM「J-WAVE」の土曜日の深夜に行っていた番組「ロケットマンショー」という番組の中で、そのパーソナリティのふかわりょうさんが言っていた「ジャスティスハラスメント」という言葉である。当時、何のことであったかわからないが、「何かの表現をして、その表現が誰かを傷つけるかもしれないという場合、その傷ついた本人がクレームを言ったり、謝罪を求めるというのは普通であるが、最近(その放送の頃)は、○○が傷つくかもしれないから不快、というように、自分とは関係がなく、狭い領域の正義感によって、徐々に表現ができなくなってしまっている。特にお笑い(ふかわりょうさんは一応芸人である)などは、そのような笑いができなくなってしまい、かなり大きな問題なのではないか。お笑いができなくなるだけならばよいが、全ての人が表現の自由といいながら、ここで言うようなジャスティスハラスメントに晒されて表現ができなくなるのは、非常に問題が大きくなり、結局誰が権利を守られるのか全く分からない、被害者不在で加害者だけが出てくる世界になってしまい、集団でその加害者をいじめをするような世の中になってしまうのではないか」というようなことを言っていたのである。

 ふかわりょうさんに関しては、まあ、あまり面白いというような感覚は思わんかあったが、この番組に関してはかなりよく聞いていた。そして、その内容はかなり素晴らしかったのではないかという気がする。実際に、「ジャスティスハラスメント」によって、本当に窮屈な世界になったのではないか。今のマスコミ報道と、そして集団いじめ的な報道は、結局どこに向かいたいのであろうか。

慶大准教授が渡辺直美“侮辱問題”に私見「マジだるい」「謝罪撤回を許さない社会になった」

 慶應大学特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏が18日、ニュース番組「ABEMA Prime」(ABEMA TV)に出演。東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出を統括するクリエーティブディレクターの佐々木宏氏(66)による、渡辺直美“侮辱問題”に私見を述べた。

 若新氏は「僕、このご時世、嫌になっちゃったけどね。マジだるいなと思って」と切り出し「このニュース見てゲンナリしたのは、発言は問題なんだけど、謝罪と撤回を許さない社会になったこと」と指摘した。

 佐々木氏は昨年3月、グループLINE内で当該発言をしたが、他のメンバーから非難されすぐに謝罪、撤回している。それだけに「『自分の感覚間違ってた』ってことを素直に謝って、良くしていくことが大事。なんで過去の話で謝って撤回してるのに、今の仕事を辞めなきゃいけないのか」と憤まんやるかたない様子。

 続けて「謝罪せず認めなかったとかだったら、まだ分かる。『そうなんだ』って分かったケースはむしろ見習うべき…はおかしいかもしれないけど、そうやって『私ズレてた』ってことを、認めていける年配の人が増えていく社会が理想。だから、何なのかな?って」と首をかしげた。

 さらに「謝罪撤回が許されない社会になってしまうと『何も言わない』ってなるから、かっ達な議論もできなくなるし、アイデアも出ない社会になる」と指摘。「何か間違ったことやっちゃって『時代錯誤だ』って言われて、謝罪撤回しても許されないぐらいなら、何もしないほうがいいってことになる。誰も(開閉会式の)企画にかかわりたくないんじゃないすか? どんな演出しても『それはズレてる』『それは…』」と言葉が止まらず、進行役の平石直之アナウンサーから「若新さん、そろそろ。言いたいことはよく分かりました」とたしなめられた。

2021年3月18日 22時49分 東スポWeb

https://news.livedoor.com/article/detail/19872903/

 今回その「ジャスティスハラスメント」の犠牲になったのは、東京オリンピックの開会式、閉会式の演出を担当している佐々木氏である。事件に関しては、すでにわかっている通りであるが、一応簡単に復讐すれば、芸人の渡辺直美さんについて、演出家の中で様々なことを話し合っている中で、オリンピックをオリン「ピッグ」として、豚の格好をさせた渡辺直美さんを出演させるというものである。

 もちろんそれが最終の決定ではないし、また、その案はある意味で会議中の中の「ジョーク」であり、まあ、客観的に危機なおかつ週刊誌報道のように煽りながら文字化すれば、あまり質の良い物ではないかもしれない。しかし、まあ、多くの人が会議中に誰かを小ばかにしたようなことを言うことは少なくないし、またジョークも少なくない。少し極端な例も少なくないし、そして、そのような「ばかばかしい案」をたくさん出す中で、それも「タブーのない忌憚のない意見」を多くの人が自由に、時には身勝手に、出すことによって様々な素晴らしいものが生まれるのである。

 本来は、そのような会議の様子がマスコミに漏れることがの方が大きな問題である。まさに「機密情報保護ができていない」ということであり、ネタ元となる人は、はっきり言ってどこに行っても信用されないし、機密漏洩をしたということでレッテルを張り、誰もがそのような話をその人の前ではしなくなるようなことになるであろう。

 「謝罪撤回が許されない社会になってしまうと『何も言わない』ってなるから、かっ達な議論もできなくなるし、アイデアも出ない社会になる」と指摘。「何か間違ったことやっちゃって『時代錯誤だ』って言われて、謝罪撤回しても許されないぐらいなら、何もしないほうがいいってことになる。誰も(開閉会式の)企画にかかわりたくないんじゃないすか? どんな演出しても『それはズレてる』『それは…』」<上記より抜粋>

 私自身この慶應大学特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏については、本人と会ったこともないし、この番組も全く見てはいない。しかし、この文章に出てくるところは全く同じ意見である。「自由な発想」ということを推奨しながら常にタブーを背負っているなどということが許されてよいはずがない。ブレーキを踏みながら前に進めといっているのと同じだ。そのようなことで、自由な発想が出て来たり素晴らしい演出が出てくるのであろうか。

 このことを問題にしている文春も「では何がしたいのか」「どうやって、開会式のアイデアを出すのか」ということが大きな問題であろう。そこまで言うならば、文春の編集会議の中をすべて公開し、誰も、世の中の人が不快にならない会議をしているのかということが大きな問題になるし、他のマスコミもこれを報道するならば、そのような覚悟を持って臨むべきであろう。

 自分たちだけは聖域などと思っているマスコミこそ、最も大きな「ジャスティスハラスメント」が必要なのではないか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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