「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 様々な心が絡み合った本能寺の変と希望を持った最終回

「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 様々な心が絡み合った本能寺の変と希望を持った最終回


 2月7日に大河ドラマ「麒麟がくる」が最終回を迎えた。いろいろと感想があると思うが、少なくとも物語として非常に素晴らしい出来であったと思う。最終回は18.4%、最後のシーンは21%を超えたといい、同時間帯のすべての番組の中でトップとなったという。

今回の「麒麟がくる」は、日本事情最大の謎として存在する「本能寺の変」に向けて、明智光秀(長谷川博己)と織田信長(染谷将太)の関係がどのように変化していって、本能寺の変になるのか、ということが非常に巧みに書かれている。

すでにドラマはあったので、あえてかくが、本能寺の変のシーンで、信長は謀反が光秀であると知ると涙を流しながら笑みを浮かべる。何か自分を止めてくれるのが、やはり光秀であったというような、それでいて夢が途中で終わった、そしてその後をやるには光秀では頼りないというような複雑な思いがあったのではないか。信長には光秀に対して主君でありながら何らかの甘えがあったと思う。その甘えを理解してもらえなかったことなどあるのではないか。

一方、同じシーンの光秀も涙を浮かべている。ちょうど信長と初めて会ったシーンなど信長と光秀の思い出が、まさに走馬灯のように回想が流れ、そして光秀の眼には涙がたまっている。この時の光秀も思いも様々あるのではないか。

ドラマというのは、何も史実をそのままなぞるものではない。当然に、歴史的な物語を通して現代の人に何かを訴えるということがその主題になる。そのために、史実とは異なる内容があっても、そのことによって「訴えることが強まる」というのであれば、それでよいということになるのである。

当然に、本能寺の変の記録は沢山あるが、信長の気持ちや光秀の気持ちまで書かれているものはない。そのために、様々な解釈があることになるが、その解釈の中でも二人の心をしっかりと見た内容ではないかと思う。

麒麟がくる「本能寺の変」染谷信長に熱狂!名言も登場

 7日、長谷川博己主演の大河ドラマ「麒麟がくる」(NHK総合・毎週日曜20時~ほか)が最終回を迎え、織田信長を演じた染谷将太の熱演が「泣ける」「鳥肌モノ」と反響を呼んでいる(※ネタバレあり。最終回の詳細に触れています)。

 本作は、長谷川演じる智将・明智光秀の謎めいた前半生にも光を当て、光秀が斎藤道三(本木雅弘)、足利義昭(滝藤賢一)、信長らに仕え、戦のない平らかな世をつくろうと戦うさまが描かれた。

 最終回では、信長から将軍・足利義昭を殺せと命じられた光秀が、苦渋の決断として「我が敵は本能寺にある。その名は織田信長を申す」と謀反を決起。天正十年6月2日の早朝、光秀の軍が本能寺を取り囲み、信長の寝込みを襲った。

 信長は、軍を率いているのが光秀だとわかるなり「十兵衛(光秀)、そなたが……そうか……」とつぶやき、笑っているとも泣いているともとれる表情を浮かべた。そしてあの名言「是非もなし……」をつぶやくと、ネット上では「キターーーーーー!」と大盛り上がり。矢が刺さった肩の血をなめる仕草や、弓、槍、刀を用いての大立ち回りも話題に。

 いよいよ追い詰められると、「わしの首は誰にも渡さぬ」「わしを焼き尽くせ」と家臣(森蘭丸)に命じ、命果てた。

 光秀へのさまざまな思いを感じさせる染谷の演技に、視聴者は「最高の信長像」「圧巻の本能寺の変」「切ない」と大興奮。光秀が初めて信長を見た浜辺のシーンがフラッシュバックで差し込まれ、炎上する本能寺を見守る長谷川の愁いをたたえた名演にも絶賛が寄せられている。

 信長は、昨年3月1日に放送された七回「帰蝶の願い」のラストで初登場。2019年3月に行われた出演者発表会見では、染谷が「自分の口から織田信長という名前が出ているのが不思議です」「誰が演じるんだろうと楽しみにしていたので、まさか自分が演じることになるとは思ってもみませんでした」と照れくさそうに話していた。(編集部・石井百合子)

シネマトゥデイ 2021/02/07 22:45

https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/movies/e9-ba-92-e9-ba-9f-e3-81-8c-e3-81-8f-e3-82-8b-e3-80-8c-e6-9c-ac-e8-83-bd-e5-af-ba-e3-81-ae-e5-a4-89-e3-80-8d-e6-9f-93-e8-b0-b7-e4-bf-a1-e9-95-b7-e3-81-ab-e7-86-b1-e7-8b-82-ef-bc-81-e5-90-8d-e8-a8-80-e3-82-82-e7-99-bb-e5-a0-b4/ar-BB1dt23Z

本能寺の変はなぜ起きたのか、ということに様々なことが言われている。まあ、しかし、人間というのは、何か大きな決断をするときに、何か一つの事だけで決めるのではなく、多くのことから決断する。様々なベクトルがあり、そのベクトルはバラバラに存在しているのであるが、その指し示す方向はすべて一つの方向になってしまっている。まさにそのようなことがしっかりと書かれていた感じがする。

お互いがお互いをわかっていて、わかっているから将来を案じ壊さなければならない、祖の関係こそが非常に素晴らしいのではないか。人間とはこういうものなのではないか。その日本人の考え方ということで言えば、現代の日本人も同じであり、今回の光秀と信長の残したメッセージは受け取れたのであろうか。

そしてもう一つ、最後のシーンが話題になった。最後のシーンは、光秀が「死んだ」とされた後、駒(門脇麦)が、足利義昭(滝藤賢一)の元を訪れたのちに町中で明智光秀に似た人をみつけた。そして追いかけるが追いつけなかったということになる。もちろん他人の空似ということもあるし、生き残ったというような様々な解釈ができる。もちろん解釈は視聴者に任されているのではないか。あえて、「麒麟が光秀自身の姿を借りて姿を現した」というような解釈にはならないであろうか。その光秀が託したとくがわいえやすが、後の世の中では江戸幕府を作り260年の平和の世を作るのである。私は、光秀が生きていたとか天海になったではなく、そのように解釈したい。

さて、「麒麟がくる」はこれで終わってしまった。まだまだ話したいことはたくさんある。しかし、まあ、あまり長く書いてもいかがかと思う。

来週からは渋沢栄一を主人公とした「青天を衝け」が始まる。私が今小説を書いている山田方谷の孫弟子にあたる。その渋沢栄一もなんとなく注目したい。

今回の「麒麟がくる」は沢尻エリカ事件に、コロナウイルス、様々なことがあったにもかかわらず、本当に感動できる話になったと思う。この内容を支えたスタッフの皆さんや演者の皆さんに感謝。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000