「日曜小説」 マンホールの中で 4 第一章 2


「日曜小説」 マンホールの中で 4

第一章 2


 何かがおかしかった。善之助は目が見えないだけに、目が見えている人よりも良く物事が見えることがある。

昔、映画の座頭市というものがあった。その中のセリフで、現在では差別用語、放送禁止用語が含まれるということで、放送しないしビデオなどでしか見ることはできないが、その中で「目明しさんより目暗のあっしらの方が、世の中がよく見えるんでございます」というものだ。目明しというのは、昔で言う十手持ち、言い方を変えれば岡っ引きといって、町奉行の役人ではなく、町人などでその部下になっている者のことを言った。今でいえば、少しニュアンスは違うが警察官や交通取り締まり官のような者であろうか。

 ちょうど元警察官であった善之助が、今になって目が不自由になてしまったというのは、まさに、「目明し」が「座頭市」になったかのような話であり、その両方の感じが見えてくる。

 その「座頭市」になって、世の中がよく見えるというのは、善之助からすれば、耳や鼻、空気から入って来る情報が今までよりも先鋭化しているということになる。

実際に、今までと同じものだけであるが、しかし、さわるものや聞くものが、今までよりも新鮮に聞こえ、また集中力が増すので、より一層敏感に物事を感じ取ることになってしまっているということになるのである。

実は、目以外の所からの情報は、本来はもっと様々な情報が他に人にも来ているはずであるが、しかし、その情報を目から入って来るものもあるので処理しきれていないだけなのかもしれない。その代わり目から入って来る情報が全く入ってこないということになる。

 まあ、そのような感覚の違いは別にして、実際に善之助からすれば、その空気感は全く異なっていた。何か、街の中が「騒がしい」のである。

「何があったんだ、それともこれから何かが起きるのであろうか」

 善之助は、何か嫌な胸騒ぎがした。

「この頃、毎週ごみの収集所のごみが荒らされているんです」

 いつもの町の相談会である。一人の主婦が、いかにも買い物帰りというようなネギと大根の入ったエコバックをもって、相談会に立ち寄った。もともと相談会に来るような気はなかったようであるがなんとなく、ちょっと気になることがあったかのように立ち寄ったのである。

「ほう、ごみが荒らされている」

「そうなんです」

「どんなふうに」

「いや、なんだか猫とかカラスとか、そういった動物がごみを漁っているようで」

 ごみの問題は、意外と相談会の中には多い相談である。どこどこの誰がごみの出し方が悪いとか、ごみの後を掃除しないとか、あるいは、外部からの人が自分のごみ捨て場にごみを捨ててゆくなど、様々な相談があるのだ。その中でもごみを荒らされるという相談はそんなに珍しいものではない。

「人間が袋を開けて中身をのぞいたり、あるいは中身を持て行ったりというのではないのですね」

 人間が、プライバシーの問題をかいくぐって、誰かをストーカーするなどの場合は、ごみ袋を開けて、目指すものをもってそのまま逃げてゆく場合が少なくない。この場合は、ストーカー犯罪の予備軍ということで警察の出番である。

実際にそのようにしてストーカーが予防されたことは少なくないので、相談会も実績がある。しかし、ご近所トラブルと今回のような野良猫やカラスとなれば話は別だ。しかし、ごみが散らばていては街の中の衛生の問題ということになる。

「それでは、何か食べ物を漁っているというような感じでしょうか」

「それが、今までならばごみの上に網をかけて、猫とかカラスとかが来ないようにしていたんですけど、最近の猫とかカラスは、急に狂暴化したみたいで、その網を食いちぎって、網の下のごみ袋をやるんですよ。

「網を食いちぎるんですか」

 目の見えない善之助には、当然に、網そのものが老朽化しているとか、あるいは網が弱い材質であったなどの問題ではないかと思った。

「いや、それがビニールでできている。ちょうど魚の漁に使うような網なんですよ」

「それはなかなか強力な網ですね」

「それがいとも簡単に食いちぎられて」

 にわかに信じられるものではない。しかし、それくらい凶暴な猫やカラスがいるなんて言っても、そんなことは信じられない。誰かが人工的にナイフか何かで傷をつけておいて、その傷の所を偶然食い破ったとしか思えないのである。

「そうですか。わかりました。で、どうしましょう」

「そうね、猫やカラスの対策をしてほしいんですよ」

「わかりました。」

 別に解決方法などはない。役所に猫やカラスの駆除を依頼するしかないのである。しかし、善之助には何かがひっかかっていた。しかし、それ以上どうすることもできない。まさか、ごみ収集所にカメラを付けるわけにもいかないし、また、猫やカラスの為雄わなを仕掛けるのもあまり現実的ではない。そのように考えれば、記録を付けておくしかないのである。しかし、数日後ほぼ同じような内容が他の地域からも来たのである。

善之助は、関所に赤い紙を貼った。


「じいさん、どうした」

「いやいや、次郎吉さんよ。実は相談会をしているのだが、その中で最近街の中の猫やカラスが凶暴化しているというような話になっているんだ」

「凶暴化。人でも襲ったか」

「いや、ごみ収集所の網を食い破るとか」

「そりゃ凶暴化というよりは元気なのか、あるいはよほど腹が減っていたか」

「まあ、そういう考え方もあるが」

「まさか爺さん、俺が夜活動するからって、猫の観察をしろというのではないだろうな」

 次郎吉は、少々笑いながらそう言った。まあ、最近は退屈であるから、観察しろと言われれば、観察をするつもりであった。

「いや、さすがにそんなことは頼めないよ。しかし、何かおかしい気がする」

 善之助は、相談できるのは次郎吉しかいないとばかりに話し始めた。

「何が」

「どうも、動物が凶暴化しているような気がする。次郎吉ならば話せると思っているが、なんとなく街の空気感が変わっているような気がする。なんというか、全体が殺気立っているというか、あるいは何か困ったことになりそうな感じだ。」

「なんとなく騒がしいというのは、俺も感じているんだよ。爺さん。でもな、鼠の国の住人が猫の観察というのもあまりうれしいものじゃないからな」

 次郎吉はなんとなく笑った。

「次郎吉さん、別に猫の観察を頼もうというのではないが、なんとなく、胸騒ぎがするんだ。その胸騒ぎの原因を突き止めてもらいたい」

「凶暴化した猫の原因ということかい」

「結局はそうなるのかもしれない。しかし、何か重要なことが起きそうな気がするんだ。」

 次郎吉は善之助の想像よりもあっさりと引き受けてくれた。

「じいさん、俺の予想だが、何か東山が関係しているような気がするんだ。あそこから出てきたもの、いやあそこに出してはいけない何かがあったのではないか」

「ふむ」

「じいさん。それならば一つ頼みがあるのだが、役所に行って東山資金の中、できれば武器がたくさん入っていたところに何があったのか、そのリストをもらってきてくれないか」

「それはまだ解析が終わっていないだろう」

「まさか俺に盗めと言っている訳ではないよなあ」

 次郎吉は笑った。まあ、金塊を盗むよりもリストを盗む方が楽だ。まだ終わっていないということは、多分、担当者のパソコンの中に打ち込まれているであろうから、忍び込んでパソコンの中にウイルスを仕込めばよいだけである。しかし、そんなことをしなくても戸田か斎藤に言えば、もらえるのではないか。

「戸田に頼んでもらってくるよ」

「何を言っているんだ。頼む必要はないじゃないか。だいたい、あの資金はじいさんと俺で探し当てたものじゃないか」

「そうか」

「まあ、それが来てから考えよう」

 次郎吉は、それだけ言うと、善之助を帰した。その時、関所といわれるマンホールの前で魚が一匹跳ねた。

「じいさん、魚が跳ねてる」

「魚は跳ねる物生き物だろう」

「いや、猫よりも魚かもしれない」

 次郎吉は、注意深く川に目を向けた。

宇田川源流

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