「宇田川源流」 日本外務省の「事なかれ主義」を「大人の対応」などといってごまかす態度そのものが日本国の国益を損ねる害悪である

「宇田川源流」 日本外務省の「事なかれ主義」を「大人の対応」などといってごまかす態度そのものが日本国の国益を損ねる害悪である


 菅義偉内閣になって、外交に関してあまり期待する人がいなくなった。実際に2019年9月以降、菅義偉氏は官房長官と拉致問題担当大臣を兼務していたのである。そのために、アメリカに行って官房長官であるのにトランプ大統領やポンペオ国務長官と会談している。しかし、アメリカでの評判はあまり良いものではなかったし、また、その後拉致問題が前進することはなかった。

正直言って菅首相はあまり外交が得意ではない。まあ、コロナウイルスの対応などを見ていると、「安倍首相の方がよかった」というようなことを言う人も少なくないのであるが、まあ、その辺のところがなかなかうまくゆかないものである。歴史上は、江戸時代、田沼意次の政治に対して、様々なスキャンダルがあるとして、多くの人がその内容を批判し、結局のところ、田沼意次を失脚させてしまった。しかし、その後を受けた寛政の改革の白河藩主松平定信が行うのであるが、その潔癖な政治に対して多くの人が壁壁とする。「きれいすぎる水では魚が住まない」というようなことが言われるようになり、たとえ腐敗政治だったとしても、生活も豊かで文化も花開いた以前の華やかな「田沼時代」が恋しいと、失脚した老中田沼意次を民衆は懐かしんだのだ。そのときに生まれた歌がこれだ。寛政の改革と田沼の腐敗政治をくらべて風刺した狂歌が歌われるようになった。

「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

もちろん、安倍内閣が汚れていたという話ではないし、菅内閣が住んでいる清廉潔白な政治をしているという話ではない。しかし、とかく民衆というものは、「その時の政治を批判して、結局より住みにくい場所を作りだしてしまう」というようなことを平気で行ってしまうものでありそのことが江戸時代から続いているということになっているのではないか。そういえば「悪夢の民主党政権」も「一度やらせてみよう」「自民党にはもうあきた」といって、その時の政権を批判した結果であり後先考えない民衆とマスコミの暴挙であったと思う。

「尖閣」スルー、茂木氏に批判 日中外相共同発表、大人の対応?

 沖縄県・尖閣諸島沖での中国公船の活動を正当化した同国の王毅国務委員兼外相の発言を受け流したとして、自民党外交部会で26日、茂木敏充外相を批判する声が上がった。「その場で反論すべきだった」というのが理由で、尖閣に関する日本の立場を明確に発信するよう外務省に申し入れる方針だ。

「中国は傲岸不遜」 共産・志位氏

 問題視されたのは24日の日中外相会談後の共同記者発表。茂木氏が尖閣に触れ、「(領有権に関する)日本の立場を説明し、中国側の前向きな行動を強く求めるとともに、今後とも意思疎通を行っていくことを確認した」と語った。これを受ける形で、王氏は「日本漁船が釣魚島(魚釣島の中国名)周辺の敏感な水域に入る事態が発生し(中国海警局が)やむを得ず反応しなければならない」などと述べた。

 日本の立場と相いれない主張だが、茂木氏は反論しなかった。日中双方が順に発言して終了する段取りだったためだが、インターネット上で「情けない」「失望した」などと批判が広がった。

 外務省幹部は「言い合いになって相手の土俵に乗ってもしょうがないので大人の対応をした」と説明する。ただ、26日の外交部会でも、収まらない出席者から「中国の主張を黙認することになりかねない」などの指摘が相次いだ。外務省側は「直前の外相会談や翌日の外務報道官会見で日本の立場はしっかり主張している」と釈明した。

2020年11月26日20時34分 時事通信

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020112600839&g=pol

さて、それにしても外交はひどい。もちろん、今回の内容は茂木外務大臣が批判されるものである。はっきり言ってしまうが、茂木大臣も私からすればそれほど外交が素晴らしい人であるとは思っていない。マスコミというのはなぜここまで何も物を皆に野かと思ったのが「ハードネゴシエーターの茂木氏は今回外務大臣で留任」などということを言い、また政治評論家(テレビにご出演の先生方なのだが)もそのことを否定しない。そういえば、菅内閣ができたときも、菅首相を「仕事人」「仕事のできる内閣」ともてはやしていたが、どこを見てそのような評価が生まれてきたのかあまり良くはわからない。

まあ、私の講演や勉強会に参加いただいた方は、このようなことを言ってもあまり驚かないと思うのであるが、実際に、私はそれでもよいと思っている。日本においては「リーダー」というのは「協力で指導力のあるリーダー」というのは「独裁者」と呼ばれて不満が下にたまる。実際に天照大御神が天岩戸に隠れた時代から、日本は、ずっと合議制で物事が進んできている。大化の改新であっても談山神社のあったところで「語り合って物事を決めた」ものであり、その後も「摂関政治」といえども公家の合議制であり、源平であっても鹿ケ谷の陰謀のように、どこかに集まって物事を決めていた。江戸時代も老中の合議制であったことを考えれば、平和な時代で戦争などの緊急事態以外は必ず合議制で行っていたのである。

そのように考えた場合、菅首相が「全知全能ですべてにおいて指導的な指導者」である必要はなく、「閣議のメンバーがしっかりと役割の仕事を行い、その仕事を統括してまとめる仕事をすればよい」のである。逆に言えば「『菅イズム』のようなものがあり、それを各大臣がしっかりと実現すればよい」のである。

しかし、今の菅内閣にはその『菅イズム』が感じられないのである。なんとなく『安倍内閣の惰性』で動いているような感じであり、またそこに『菅内閣であるからという緩み』が出てきてしまっているのではないか。

その最も大きな表れが、「王毅外相が尖閣問題を発言した時に、その場で反論できない茂木外務ぢ人」である。完全に外務省の役人の「事なかれ主義」に押されてしまい、波風が立っても日本国としての正当な立場を主張することのできる状況ではなくなってしまっている状態である。これこそ「『菅イズム』が伝わっていないことの全体のゆるみ」であり「官僚がやりやすいような政治に大臣が引きずられている」という状況なのである。

外務省幹部は「言い合いになって相手の土俵に乗ってもしょうがないので大人の対応をした」と説明する。<上記より抜粋>

このような内容が「事なかれ主義の弱腰外交」なのではないか。はっきり言って外交交渉というのは、相手が怒ろうが何をしようが、自国の主張と正当性をしっかりと「どのような場でも主張し続ける」場所である。そうでなければ「あの時に黙認した」と上げ足を取られることになる。そうなった場合に、この外務省幹部(なぜマスコミはこのようなことを主張した外務省幹部の個人名を出さないのかも疑問)はどのように責任を取るのか。今までできなかったことで、どれだけ日本の資源が失われ、そして日本の国益を損ねているのか。そのように国益を損なっても「高級を蝕み、多額の退職金をもらう上級国民と非難されている」ことを国民が許すのか。そして、そのような官僚に責任を取らせないことは、茂木外務大臣や菅首相の責任にはならないのか。

野党の人々がこのような外交に対する質問をする能力がないので助かっているが、本来ならば、こちらの方が国民の非難が高まるところである。今後菅内閣がどのように巻き返すのか。それともこのまま外交はだめなままなのか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000