「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 珍しく足利義昭の「覚慶」時代を書いているドラマ作りとその裏の人々の内容が興味深い
「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 珍しく足利義昭の「覚慶」時代を書いているドラマ作りとその裏の人々の内容が興味深い
先週は、台風の接近に伴う特別番組になってしまったので、放送が休止されてしまった。そのために第23回は、12日に放送されたのである。今回の麒麟がくるに関しては、そのように何かと中止されたり延期されることが少なくない。何度も書いているが、沢尻エリカ問題、オリンピック、オリンピックの延期、コロナウイルス禍とあって何かと落ち着かない。しかし、これは大河ドラマだけの問題ではないので、そのことを様々に言う必要はないのかもしれない。逆に来年の大河ドラマであってもオリンピックがあったり、またコロナウイルス禍に関しても終わっていないというような状況になるので、条件はあまり変わらないとも思うのであるが、実際に今年がその「テストケース」のような感じになってしまうので、そこをどのようにするのかということは、非常に大きな問題になってくるのではないか。
さて、そのような中で今回の麒麟がくるは、「明智光秀の若いころ」をしっかりと書くというテーマになっており、あまり大河ドラマでは見ることのできない場面がさまざまに見ることができる。例えば、「斎藤道三と織田信秀の戦い」などと言う場面はあまり書かれていない。大河ドラマ「徳川家康」の時に、今川義元と織田信秀の「小豆坂の戦い」は描写があったが、実際にそれほど詳しいものではない。そもそも織田信秀が出ることが少ないのであるから、まあ、そのようなものであろう。
では、今回見て興味深かったのは、「足利義昭」つまり還俗する前の「覚慶」である。実際に、足利義輝が三好三人衆や松永久秀に暗殺され、その時に細川藤孝などが抜け出て覚慶が奈良の興福寺から脱出し、そして、還俗して義昭になるのである。その時に「なぜ細川や三淵は、義輝の傍で守らなかったのか」「なぜ義昭は脱出できたのか(奈良は松永久秀のお膝元であった)」「第十四代将軍足利義栄はどうやって選ばれ、どうやって廃嫡されたのか」など、史実ということではなく、そこをどのように【ドラマ】にするのかということがかなり重要な状況ではないかと思うのである。
【麒麟がくる】第23回、失墜していく義輝の叫び「感慨深いシーンになりました」
NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)。8月30日に約3ヶ月ぶりに放送を再開したと思ったら、今月6日は台風関連ニュースのため放送休止に。2週間ぶりに放送された13日、第23回では、いよいよ将軍・足利義輝(向井理)が崖っぷちに追い込まれていった。
義輝の文を手に織田信長(染谷将太)のもとに向かった明智光秀(長谷川博己)だったが、肝心の信長は美濃攻めに苦戦しており、話どころではなかった。代わりに取り次ぎを任された木下藤吉郎(佐々木蔵之介)からは、京で三好長慶(山路和弘)の子らによる義輝暗殺計画のうわさがあると聞く。しかも裏で糸を引いているのが松永久秀(吉田鋼太郎)であると知り、衝撃を受ける光秀。すぐに大和の松永のもとを訪ね、その真意を問いただすも、松永は「義輝はもはや将軍の器ではない、このままでは世が治まらないので、殺しはしないが追放するつもりである」と告げる。
結局、なんの役にも立てなかった光秀。義輝は、すべてを察して寂しげな表情をみせ、光秀に「欲を言えば、もっと早くに出会いたかった」とやるせない気持ちをぶつけた。
「義輝の『遅かった!』という言葉には、光秀ともっと早く分かり合える関係になりたかったという思いだけでなく、何か達観した、覚悟のようなものがあったように思います。将軍とはいえ一人の人間。その危うさのようなものが感じられ、とても感慨深いシーンになりました」(公式ツイッターより)と向井。戦国時代は「実力次第でのし上がれる分、切られるのも一瞬。その渦に飲み込まれたらギャンブルのような人生になっていくのだろうと想像します」と語っていたが、第23回では失墜していく義輝と、いつの間にか信長のお気に入りに出世していた藤吉郎が、より対照的に描かれていた。
2020年09月13日 22時20分 ORICON NEWS
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12173-792028/
今回の麒麟がくるは、そのへんのところがしっかりと書かれている。歴史というのは様々なつながりがある。第15代将軍がいれば、当然に14代までの将軍がいるからそのような状況になる。しかし、なぜかそのようなことはドラマとして書かれることがなく、クライマックスばかりの集合体のような感じになってしまう。大河ドラマがそのような存在になってしまうので、昨年の「いだてん」のような戦争のない大河ドラマが人気がなくなってしまうということになる。
本来は「人生はみなドラマ」であり、その人生をしっかりと書くことによって「大河」が成立するのであるが、しかしそのような人生をしっかりと書く、また人の性格や性質、そしてその周辺の人間像を書くということができないような感じになってしまうことによって、人間ドラマではなくなってしまっているのではないかという気がする。
もちろん、平凡な人の話を書いていてもあまり面白くない。また企業家の人生ならば、「プロジェクトX」などで全く構わないのであるが、歴史者でなければ書けない「殺し」という場面や「戦争」という、人間にとって究極の状況を描写する状況を作り出せない状況では話にならないのである。
さて、今回足利義輝と明智光秀の二人のシーンがなかなか良かったという声が多い。その意味では戦でも何でもない。織田信長の稲葉山城攻めを全く無視して、足利義輝と明智光秀焦点を合わせたのはなかなか興味深い。
また、松永久秀を演じる吉田剛太郎のすごみのある演技もなかなか良かった。足利義輝の何が悪いのか、その辺はうまく表現できていなかったかもしれないが、少なくとも三好長慶という人物の死と、足利義輝の暗殺ということはかなり密接に関係があるということになった感じがする。
さて、今回のポイントは「覚慶」である。やはり謎の人物であるが、その人がなぜ信長と対立し、最後に槙島城で戦い、そして、追放されるのか。その辺のところの「根底」つまり、義昭の人間性ということが、この中で書かれてきているのである。そして、すでに今回足利義輝の密書が信長にわたった。つまり、信長の上洛は「将軍からの要請」があったということになるのである。
このように今回の麒麟がくるは、様々な伏線があり、それがうまくつながってドラマになる。単純な内容ではないという感じで、実際の人間もそうなのだということを知るのである。そう考えると面白いドラマである。
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