「宇田川源流」 新型コロナウイルスの第二波が懸念されている中で声高に解散総選挙を騒ぐ野党とマスコミの「国民不在」
「宇田川源流」 新型コロナウイルスの第二波が懸念されている中で声高に解散総選挙を騒ぐ野党とマスコミの「国民不在」
ここのところ安倍政権の支持率が下がったといって話題になっている。まあ、下がるであろう。それは基本的に「失政」ではなく、そもそも論として、日本人は憲法から実生活そして教育に至るまで「緊急事態」ということに関して全く何も習っていない。
世界の教育を見ていればわかるが、いかに生き残るか、そしていかに国(または属している集団・村など)を大切にするかということを習い、そしてそのコミュニティに対する責任を果たすことを習うのであるが、なぜか日本人だけはそのような内容を習うことは全くない。
そのためになぜか権利意識ばかり肥大化し、いつの間にか他人を誹謗中傷しても全く何とも思わないし、集団に対する責任を尽くさなくても罪悪感を全く感じない人が多くなってしまっている。
イギリスのスコットランドでは、「もしも、スコットランドとイングランドが戦争をして、あなたの家に瀕死のイングランド兵が助けを求めて入ってきた。その後に、スコットランド軍が来て、イングランド兵をかくまっていないかと問われ、もしも匿っていることを隠したら村ごと焼き払うと言われた時、あなたは家に逃げ込んできたイングランド兵を差し出すか、それとも助けるか」というようなことを、小学生が真剣に議論している。
同じイギリスという国家の中の問題であり、なおかつ内戦などをしているわけではない。しかし、「敵とはいえ瀕死の兵の人命」と「自分に属している集団」ということの選択を迫られる場面でどのように考えるのかということを訓練しているのである。
日本では、「不快だ」などといって学校に苦情が来るであるが、そのような「緊急事態に関する教育」は必須項目なのである。
このように考えるといかに先進国の中において日本は緊急事態ということを国民が全く考えていないかということが見えてくる。そのような緊急事態に関する観念がないと、「何が大事なのか」「何を重視しなければならないのか」ということが全くわからなくなってしまうのである。
そしてそのような当たり前のことがわからない人々の最たるものがマスコミと野党である。
秋の衆院解散 否定的な見方
来年10月21日の衆院議員任期満了まで1年5カ月を切った。衆院解散のタイミングとして、早ければ今秋との声もあるものの、新型コロナウイルス感染症の収束が見えず、内閣支持率も急落する中、否定的な見方が大勢。来年も夏に東京五輪・パラリンピックが控え、安倍晋三首相の選択肢は狭まっている。新たな不祥事が発生すれば、首相の手では解散できなくなる可能性も否めない。
◇年内は環境整わず
「解散は今秋か、来年1月召集の通常国会冒頭しかない」。首相と最近面会したベテラン議員はこう語る。周囲には選挙準備を指示しているという。新型コロナ感染拡大は、緊急事態宣言が全面解除されて一区切りがついた空気が広がり、与野党議員の間では解散時期が話題に上り始めた。
ベテラン議員がこう想定するのは、来年7月に任期満了を迎える東京都議選と東京五輪がほぼ連続し、この間は衆院解散を打ちにくいためだ。公明党が、都議選と衆院選の間隔を空けるのが望ましいとの立場を崩していないこともある。
ただ、自民党内では今秋の可能性について「とても選挙をする環境にはならない」(幹部)というのが共通認識だ。新型コロナの影響で経済悪化の底が見えない上、前東京高検検事長の定年延長や検察庁法改正の試みで示した安倍政権の手法が「恣意(しい)的」などと強い反発を招き、世論の信頼を大きく損ねた。得意とする外交上の重要課題も行き詰まり気味で、支持率が上向く材料は見当たらない。
来夏の五輪・パラリンピック後は、9月末に首相の自民党総裁任期満了、10月には衆院議員任期満了が迫り、事実上、解散時期の選択の余地がなくなる「追い込まれ解散」となる。一方、コロナが収束せず、五輪が中止となれば、末期を迎えた安倍政権は求心力を失いかねない。いずれの場合も、総裁選前倒しも視野に「ポスト安倍」に解散を委ねる展開もあり得る。実際、竹下派幹部は「解散は総裁選の後ではないか」とみる。
◇河井前法相の買収疑惑も
一連の政治日程とは無関係に、政権基盤に深刻な打撃を与えかねないのが、政権中枢に近い自民党の河井克行前法相の地元政界に現金が配られた疑惑だ。検察当局は、前法相の公職選挙法違反(買収)容疑での立件に向け、調べを進めている。展開次第では「安倍首相の下では選挙は戦えない」との声が与党内の大勢となり、解散どころか政権運営が立ち行かなくなる可能性もある。
一方、野党は早期解散への警戒を解いていない。立憲民主党の枝野幸男代表は29日の記者会見で、次期衆院選で争点化を目指す新たな政権構想を発表。「いつ解散があってもおかしくない。最短のケースを常に想定し続けるしかない」と野党陣営を引き締めた。 【時事通信社】
2020年05月30日 15時03分 時事通信
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-678512/
支持率が下がったら、国民の信を得ていないのであるから解散総選挙または、総辞職となるのは政治の原則であろう、そうでなければ、政権はレームダック化し、政治に空白が起きる。しかし、それは失政による場合であり、基本的には政治そのものではない場合には、その原則が適用されないということも理解する内容である。
実際に、「緊急事態」や「戦争」発生に関しては、当然に、それは政治的なものではない。ましてや日本国憲法には緊急事態条項がないのであるから、それらの対処には「平時の対応」をもって行わなければならない。そして、その平時の対応で緊急事態に対処した場合の責任は失政といえるのかということをまずは検証しなければならない。
しかし、今の不勉強なマスコミと野党、そして与党の一部(石破氏など)は、そのような当たり前のことは全くわかっていないで、そのままわけのわからないことを騒ぐのである。
もちろん、実際に新型コロナウイルスにおける対応が不評である場合もあるが、実際に「死者を少なくした」ということは間違いがない事実であるし、結果を残している。まあ、失政といえば、せいぜいマスクが届かなかったくらいであって、それ以外の対応は少なくともベストではなくておベターであったために結果が残ったと考えるべきである。
一方他の部分もある。秋元議員によるIRの贈収賄事件に、河合前法相夫妻による公職選挙法違反事件、まあ、この二つをもって政治不信などというがそれは政権の責任といえるものではないし、また、オリンピックの延期も現政権の帰責事由ではない。
これらのことを考えれば、別段解散総選挙や総辞職に値する内容は基本的にはない。逆にこれくらいで(とはいえ秋元議員などの当事者は辞職に値すると思うが)解散総選挙や総辞職ということになれば、その次に政権をになった人々や野党が政権をとった時にも同様な状況で総辞職をするのかということが問題になる。
政権を欲しいばかりに、自分たちでもできないことを平気に主張するその対応が、以前の「悪夢の」民主党政権になったのである。
「解散は今秋か、来年1月召集の通常国会冒頭しかない」。首相と最近面会したベテラン議員はこう語る。周囲には選挙準備を指示しているという。新型コロナ感染拡大は、緊急事態宣言が全面解除されて一区切りがついた空気が広がり、与野党議員の間では解散時期が話題に上り始めた<上記より抜粋>
そもそも追い込まれ解散になるとか、変なことを言っているが、現在が「緊急事態」つまり「非常時である」というようなことそのものが見えていない。まあ、頭が悪いとしか言いようがない。
では、この言に従って解散総選挙になったとしよう。第二波の新型コロナウイルスが、選挙に伴う人の移動でどれほど拡散するのであろうか。それとも、選挙活動を一切しないで解散総選挙を行うということなのであろうか。また、第二波の中で、投票所に多くの人が足を運ぶということを想定しているのであろうか。「外出自粛」という状況でやっと抑えられた現在の状況を全く考えていないあまりにも無責任なことではないのか。
現在、第二波が懸念されている中で「解散総選挙」を主張する人々(議員及びマスコミを含む)は、いずれも、新型コロナウイルスを拡散し、多くの人を死に至らしめようとする人々であり、それこそ「自粛警察」などが行動してその考え方や行動を改めさせる必要がある。このような政治家やマスコミが、多くの日本国民を犠牲にしても平気な顔をしているのである。
あなたはそのような人々を支持しますか?
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