「宇田川源流」【外出自粛の時こそGWのエロ】男性の永遠の憧れ「巨乳」が人を救う
「宇田川源流」【外出自粛の時こそGWのエロ】男性の永遠の憧れ「巨乳」が人を救う
ゴールデンウィークのエロもなかなかいい感じである。ここのところ毎年ゴールデンウィークとお盆休みには「エロ」にしている。まあ、小難しいことを言っていてもよいのであるが、残念ながら、そのようなことよりもエロの方が多くの人に様々訴えかけることが少なくないことになんとなく気付いたのである。
さて、あえて言っておくが、エロというものの、やはり「人間の本質」であるという。人間は、片方で「社会的生き物」として「理性」や「秩序」ということを求めるのであるが、一方で、人間は「肉体を持った動物的な生き物」というようなことがあり、「本能」とか「勘」あるいは女性などにはよくある「生理的に」というようなことが様々に出てくるものである。人間は、ある場面で「動物的」であり、ある場面で「理性的」というようなことになってくる。その使い分けが、多くの人の中で同一に訪れるものであれば、問題はないが、同じ現象であっても本能的に反応する人と理性的に反応する人が様々あり、その本能的な部分も理性的な部分も複数に物事があるから面白いのである。
この「本能的な部分」を解析しなければ、当然に「理性的な部分」を全く理解できなくなってしまう。ある意味で、本能的な部分を仏教の世界では「煩悩」と呼んでおり、それを制限すること、つまり本能的・動物的な部分を完全に制御することによって、「悟り」と表現しているのである。
しかし、人間である以上本能の部分が存在しないということはあり得ない。仏教でも「生臭坊主」なる存在があるのは、まさにその状態であるといえる。
このように考えた場合、「本能的に生きる人々をどのように考えるのか」ということが政治の目的でありなおかつそれを収攬して意思決定を計るシステムが民主主義というのである。
逆に言えば、「本能的な部分」を知ることこそ、ある意味で「人間の本音」であり、「建て前」とは全く異なる。その本音の部分の一部分「子孫繁栄」といわれる部分が「エロ」なのだ。
胸部を撃たれた女性、シリコン埋め込みのおかげで命拾い カナダ
(CNN) カナダのトロントで至近距離から銃弾を浴びた女性が、胸部に埋め込まれていたシリコンバッグのおかげで一命をとりとめたという症例が、このほど医学誌SAGEに報告された。胸部のシリコンバッグに命が救われた症例が報告されたのは初めてだったとしている。
医師によると、被害者は30歳の女性で、事件は2018年に発生。詳しい経緯は不明だが、胸部を撃たれて自力で近くの救急外来を受診した。話もできる状態だった。
銃弾は左胸に当たって胸骨を突き抜け、右側の肋骨を砕いていた。シリコンバッグのおかげで銃弾がそれて、心臓などの臓器に当たらずに済んだとみられる。
「左側には心臓と肺がある。もしも銃弾が胸部を突き抜けていれば、はるかに深刻な、恐らくは命を脅かすようなけがをしていただろう」と医師は振り返る。
女性の右胸の下からは、銃弾のような物体が見つかった。女性が誰に銃撃されたのかは不明で、使われた銃も見つからなかった。
医師団は女性のシリコンバッグを摘出し、傷口の手当てをして、抗生剤を処方するなどの処置を行ったと報告している。
シリコンバッグは豊胸手術や乳房の再建手術に使われるもので、米国では生理食塩水を詰めたバッグとシリコンジェルを詰めたバッグが承認されている。
2020.04.22 CNN
https://www.cnn.co.jp/world/35152744.html
さて、そのエロの中で、男性は「筋肉」というものかあるいは「頭脳」ということが問題になる。しかし、女性が社会的に活躍するようになると、男性の「強さ」ではなく、男性の「やさしさ」を求めるようになってくる。たくましい男性ではなく優しいマメな男性を求める傾向にあるというのは、まさに、女性の社会進出が決定的になってきて、その内容が徐々に本能的な部分にまで影響してきたということに他ならない。
一方で、男性が女性に求めるものは、一部のマゾヒストを除き、女性のやさしさや女性らしさというものを求めている。
百年くらいのスパンで男性の女性に対する意識を見れば、外見の部分はかなり変わっているものの、一方で、その内面性は変わっていない。「女性らしさ」とか「家庭的」という表現が出てくる。外見的にも女性らしさということが前面に出て来るが「女性的な体」ということが、その価値観が異なる。
江戸時代の美人の表現で最も代表的なものは「小股の切れ上がったいい女」であるし、平安時代くらいになれば「髪はカラスの濡れ羽色」というような感じである。いずれも「胸」に関してはあまり重視されていない。ある意味で「髪」「小股」というような女性の見える場所から女性を想像するようになっている。一方当時「巨乳」や「ヒップが大きい」というのは「鳩胸出尻」といってあまり女性として魅力があるものではなかったのである。今では美人とか巨乳といわれて珍重される女性は、江戸時代はあまり良い女ではなかったということになる。
しかし、女性の胸の大きさを強調するようになってきたのは、1970年代からで、ある意味でアメリカ的価値観である「ウーマンリブ」とともに上陸してきたは暗いものの価値観であるといえる。女性が社会で活躍するときは、基本的に、下半身などに目を向けることが憚られる。そのことから、上半身まあ、会議などで机の上越しに見える姿の中の中で女性的な価値観を見えるところで最も目立つ部分に、男性との違いを求めたということになる。つまり「男性との違い」であるから、筋骨隆々での胸の張りとは異なる豊かな丸みを帯びた胸、同時に、下半身に対する欲求から「胸と胸の間にできる谷間」ということが非常に男性に珍重されるようになるのである。谷間ができるためには「巨乳」でなければなだめで、その巨乳を多くの人が欲しがるようになるのである。
さて、当然にその女性も「巨乳」ということにあこがれるようになり、そして美容整形で胸にシリコンなどを入れるようになるのである。
その「シリコン巨乳」が人を救ったという事件である。いや、ここまで長い解説であった。
銃弾は左胸に当たって胸骨を突き抜け、右側の肋骨を砕いていた。シリコンバッグのおかげで銃弾がそれて、心臓などの臓器に当たらずに済んだとみられる。<上記より抜粋>
まあ、シリコンによって銃弾がそれたということである。このほかにも、シリコンバッグによって自動車の衝突事故において、シリコンがクッションになって助かったなど、様々な「豊胸シリコンによる命拾い事例」がある。私のように江戸時代的な感覚のある人物にしてみれば、あまりにも大きすぎる胸は少々違うという気がするし、また、不自然に胸だけでかいのもあまり良いとは思えないのであるが、しかし、女性というのは男性にはない曲線をいかに表現するかということが最も魅力的なのではないか。
そのように考えた場合、その女性的な曲線を強調することは「人命も救う」結果になるということになるのではないか。そのような意味で女性が魅力的になってくるのは、人間にとって良いことであると私は思う。
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