「日曜小説」 マンホールの中で 3 序
「日曜小説」 マンホールの中で 3
序
春のかわらには、菜の花の黄色がよく似合う。
対岸は芝生とサイクリング道路になっているので、ゆっくり横になって黄色の花の揺れるさまを見ていると、目の前を自転車に乗った女学生が長い髪を風になびかせて走ってゆく。そしてその学生が通り過ぎた後にまた黄色の花が対岸に見える。
何とものどかな一日である。
泥棒といえども、太陽の光を見ないわけではないし、また、地下にしかいないわけでもない。たまたま職業が人目をはばかるということだけである。まあ、炭鉱夫や地下のバーの店員、風俗嬢などもあまり太陽の当たる仕事をしているわけではないので、別に泥棒だけが特別というわけではない。ただ、平日の昼にこのようなところで寝ていると、浮浪者かあるいは失業者に見られてしまうのである。
日本人というのはどうも「周辺の人は自分と同じ」少なくとも「自分の周辺にいる人々と同じ内容で存在する人」というような感味であり、自分の理解の範ちゅうを超える人や自分の「常識」という感覚的状況を超えた存在に関しては、その人を受け入れることができない。
そのために、風俗嬢などと同じで、昼間にある程度清潔な格好をして外でのんびり過ごしている人がいると、その人をなぜか避けて通るようになってしまう。ある意味で「村意識」というような「同調欲求」が非常に強く、それ以外は排除してしまうなかなか難しい存在である。
先ほども「何あの人、こんな昼間から昼寝してて」「何か変な人じゃないかしら」などと横目で見ながら聞こえよがしに話をしている女性たちがいた。買い物をしている主婦なのか、あるいは子供を保育園に送った後のママ友というようなやつなのか、いずれにせよそのような嫌味を聞こえよがしに言うような感じである。
何か疑問があるならば、本人に聞けばよいのにそのようなことはしない。なぜか聞こえよがしに大声で嫌味を言い、そのまま通り過ぎてしまう。そのようにして自分の中の違和感を他者にぶつけることによって、普段のマンネリ化した自分の境遇のうっ憤を晴らしているのに過ぎないのである。
まあ、もちろん近づいてこられても全く面白くないし「会社が休みなんです」と答えるだけの話だが、しかし、そのような「違和感を他人にぶつけるような家」こそ、「家の中がギスギスしていて非常に狙いやすい」家なのである。
泥棒の目からすれば「家族仲が悪い」「家の中に隙間がある」ということは、そこにあったものがなくなってもお互いに関心のなくなった家族がなにかをしたとしか思わない。「ああ、なんか最近見ないな」と思うだけで、それ以上のことはないのだ。そのうえ「常識」という日常的な習慣にとらわれているために「非日常」の最たるものである「泥棒が入る」などという事態は全く想定していない。そのことが、自分が盗んだ後の発覚を遅らせることになる。
ましてやそのような家の場合お互いに書く仕事をしている場合が少なくない。へそくりなどはまさにそのような感じだ。それこそ、泥棒からしてみれば、狙いどころである。そのような物品や金銭は盗んでも誰も文句は言わないし、また被害者も公にできない。そもそも元々は存在しない物なのだから被害と認識されることは少ないのである。
そのような感じで言えば、「ないものをとる」ということになり、それこそ、最高の泥棒になるのである。
「さて、さっきの御婦人のどっちにしようかな」
今日のようないい日は、何か良いことがある。
何しろ向こうから「泥棒に関心がある」とサインを送ってくれたのであるから、こちらもそのサインに応えてあげないといけない。先ほどの婦人の身なりを思い出し、どちらのほうが、「不要な物品」がありそうかということを考えるのである。
金がありそうというのはすぐにわかる。問題は、そのようなことではなく「不要な物品」を取りに行くのであるから、どちらの家庭が問題を多く抱え、家族の中に不要なものが多いかということがある。その不要な物こそ「お宝」なのである。
「こんなところにおったのか」
何か聞き覚えのある声である。
「まさか」
「おう、善之助じゃよ」
せっかく芝生の上でゆっくりしていた。狙いを定めながらなんとなく陽だまりの中でうたた寝しようとしていたところだ。夜の仕事の時間まではまだ時間があるから、十分に休むことが可能なはずだった。しかし、そのような時になぜか「疫病神」が来たのである。
「爺さん、人がせっかく休んでいるのに」
「おうそうか」
「だいたい、爺さん、なんで目が見えないのにここにいるってわかったんだ」
「そりゃ、さっきオバさんが二人、何か嫌味を言っていただろう。まあ、こんな時間にこの川べりで寝ているなんて、浮浪者か泥棒ぐらいしかいないからな。それで、浮浪者ならばそんなことを言うはずがない。何しろ見た目でホームレスとか失業者はすぐにわかる。まあ、そういうことで考えれば君しかいないんだよ」
「他にも泥棒はいるだろ」
「まあ、そうだな。でもまあ、他の泥棒はこそこそしているが、君くらいになると堂々とこういうところに出てくる。そこまでの大物の泥棒は君くらいしかいないだろう」
全く、道理である。次郎吉にしてみれば、「次郎吉」と大声で言われないだけありがたいと思わなければならない。
「で、なんだ」
「また仕事だ」
「今度も幽霊か」
先日、小林というばあさんの幽霊騒ぎに付き合ったばかりである。
「いや、違う」
善之助は、横に腰かけようとした。
「爺さん、仕事場に行くか」
「ああ、そうしようか」
二人は立ち上がって、そのまま歩いて行った。
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