「宇田川源流」 地下鉄サリン事件から25年という時の流れはあの事件を風化させたのか?

「宇田川源流」 地下鉄サリン事件から25年という時の流れはあの事件を風化させたのか?

 皆さんは地下鉄サリン事件をご存じであろうか。

とりあえずウィキペディアによる解説をそのまま書いてみよう。

<以下抜粋>

地下鉄サリン事件は、1995年(平成7年)3月20日に東京都で発生した同時多発テロ事件である。警察庁による正式名称は、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件。<中略>宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。1995年当時としては、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のないテロリズムであったため、世界的に大きな衝撃を与えた。<中略>

死亡者14人、負傷者約6,300人。

 <以上抜粋>

 事件数日後には警察の強制捜査が始まり、実行犯や製造犯及び首謀者の松本智津夫が逮捕され、一連の事件の公判で死刑などが言い渡されている。教団は事件により宗教法人の認可を取り消されたが、信者の集団は「アレフ」や「ひかりの輪」などに名を変えて存続している。守備応社はすでに死刑判決を得ることとなり、すでに死刑が執行されている。

さて、この事件すでに25年も昔のことだ。私が新入社員の年であり、なお勝阪神大震災で、まだ関西は大阪ならばなんとかなっているが神戸などはまだまだ復興が果たされていない時期である。その時期にこの事件が発生しかなり大きな衝撃があったのである。

ただ25年前ということは、今の20代の人はほとんど知らないということになる。30歳の人で、当時5歳ということになる。幼稚園や小学生ということになり、その時の記憶が詳細に残っているかどうかということになる。

もちろん、私はすでにマイカルに入社後のことである。


心の隙に入り込んだオウム 元信者男性「麻原元死刑囚は解脱していなかった」

 オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた3日後の平成7年3月23日、滋賀県警に逮捕された男性は、勾留中に読んだ新聞や週刊誌で「宗教弾圧ではなかった」と実感したという。教団を去り、元信者となった男性(51)は産経新聞の取材に、25年前をこう振り返った。「科学の限界を超えたものを見たいと思っていたときに現れたのがオウムだった」

 「エネルギーが落ちる」

 現在東海地方で暮らす男性は当時教団で、猛毒のサリンをはじめとする化学兵器の製造を担当したとされ有名大学や大学院の理工系出身者らを中心に構成されていた集団「科学技術省」に所属していたという。

 教団は7年3月20日に地下鉄サリン事件を起こす。男性によると、その後、山梨県の旧上九一色(かみくいしき)村(現富士河口湖町、甲府市)にあった教団施設「サティアン」に強制捜査が入るとの情報がもたらされると、科学技術省の幹部が「警察官に触られるとエネルギーが落ちる」と言いだし、男性は光ディスクやフロッピーディスクなどを持ち出すことになったという。

 「周囲にはまだ切迫した雰囲気はなく、避難訓練みたいな感じだった。2、3日もすればほとぼりも冷めて戻れるだろうと考えていた」

 サティアンを出てから、京都にある、出家する前に働いていた教団が経営する食品店に立ち寄ろうとしたという男性。途中の静岡県で職務質問を受けた際、免許証を取り返そうと警察官ともみ合いになり、警察署に身柄を確保されたという。

 1日ほどで釈放されたといい、その後店を訪問。教団施設に戻ろうとしていたところ、事件が起きた。車内で仮眠をとっていると、滋賀県警の警察官に声をかけられ、逃走した。

 「逃げていると、頭上にヘリが飛ぶようになり、最後はあちこちでサイレンの音が鳴り、何台ものパトカーに追いかけられた。なりふり構わず走り回っていたが、縁石に乗り上げてしまった」

 「精神的に空白だった」

 道交法違反容疑で逮捕され、後に公務執行妨害や証拠隠滅の疑いで再逮捕された男性。勾留中に新聞や週刊誌を見て、「宗教弾圧ではなかったんだ」と実感したという。教団にいたときに「弾圧」を信じていた一例として男性は、教団が外部からの毒ガス攻撃に対処するためと称して、設置していた「コスモクリーナー」と呼ばれる空気清浄機を挙げた。

 「何十億円もかけてコスモクリーナーを作っていたので、『弾圧を受けて毒ガスをまかれている』という話について、嘘でここまでしないだろうと思った」

 一方、麻原彰晃(しょうこう)元死刑囚=執行時(63)、本名・松本智津夫(ちづお)=について「つまらないことを注意されたことや、身辺に多くの女性をおいていたことなどがあり、逮捕前から解脱の域に達している人ではないと思っていた」という。

 当時を「物質的には豊かだったけど、精神的には空白な時代だった」とした上で、教団に身を寄せた理由を「科学の限界を超えたところの“何か”に挑戦したいと考えていたとき、目の前に現れたのがオウムだった」と振り返った男性。地下鉄サリン事件から25年となった現在、「神的なことを自称する人がいても冷めた感じでみている」という。

2020年03月21日 19時24分 産経新聞

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12274-603837/


 当時マイカルの法務部にいて、東京に出張していた。その東京出張の時に起きた事件である。はっきり言ってしまえば歩いて五度さぼっていたので、たまたま事件の電車に乗らなくてよかった、ある意味自分的に言えば死ぬことを免れたといえる。まあ、それ以降は何が起きたのかもわからなかったので、結局テレビで東京の様子を見る以外にはなかったのであるが、それにしてもなかなか酷い事件であった。

さて、私から見れば、日本でほぼ初めて起きた無差別の化学薬品テロであり、生物兵器や化学兵器というものに関して、世界に衝撃を与えた事件になった。同時に、その被害者がどのような苦しみを持つのかということに関して、日本は先んじて経験することになる。当時、日本は核兵器の被災国と、同時に化学兵器テロの被災国という二つの被災国になったのである。

さて、このことから見てわかるのは、日本は実は意外とこのような被害からの復興が早くまた、その内容を忘れ去ってしまうことが早いということである。実際に、阪神大震災もかなりの被害であったし、この地下鉄サリン事件も、それが自然のことであるのか、あるいはある集団による人為的な犯罪であるかは別にして、その被害を被ったということに関して、大きな教訓を得られる立場にありながら、そのことをかなりポジティブに受け入れ、そしてその内容をもって大きな内容になっているということになるのではないか。

実際に被害者や現在も後遺症の残っている人には申し訳ないし遺族にはお悔やみの言葉しかないが、しかし、実際にこれらの事件の解決が現在の政治に活かされているとは思えない。今回のコロナウイルスに関しても、なかなか自衛隊が表に出なかったことや、あるいはこれらの被害の隔離などができなかった現在の政治に対し、医者や病院、厚生労働関係者になってはかなり大きな経験になっており、医療崩壊をさせないようなしっかりとした対応をしているといえる。

そして、医療崩壊を起こさせるような主張をする人を、審議などのメンバーから外しているというような状況で、しっかりとした対応をしていたのではないか。

日本はとかく「政治は三流」といわれるが、まさに、このような事件や事故をしっかりと教訓に変え、それに対する対応ができるのかということが全く見えていないということになるのである。

では、加害者側、つまり教団側の方はどうであろうか。

当時を「物質的には豊かだったけど、精神的には空白な時代だった」とした上で、教団に身を寄せた理由を「科学の限界を超えたところの“何か”に挑戦したいと考えていたとき、目の前に現れたのがオウムだった」と振り返った男性。<上記より抜粋>

現在の日本の教育制度においても社会的な内容においても、彼らの「精神的な空白な時代」をしっかりと埋めるような社会になっているのであろうか。そのことはかなり疑問であるとしか言いようがない。

子供の教育が「物質的に豊かではあるが精神的に空白になってしまう状態」がどのようにして生まれるのかなどのことを、社会全体、国家全体で考えないといけない状態なのではないか。

様々な視点で、「事件の再発を防ぐ」ということができていないことが大きな問題である。

宇田川源流

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