「宇田川源流 日本万歳!」 「萌えキャラ御朱印帳」が許される日本の文化の懐の深さ
「宇田川源流 日本万歳!」 「萌えキャラ御朱印帳」が許される日本の文化の懐の深さ
月曜日は「日本万歳!」の日である。毎週月曜日に之鳴門、今週も一週間働かなければならないというような感じで、少し憂鬱な気分になる。「マンデーブルー」というと、先日誰かに聞いたのであるが、まあそのような状況を何とか払しょくしたいと考えているのである。実際に、日本人は「日本人のやる気が充実していて、なおかつ何か困難に立ち向かっているときに、最大限の力を発揮する」という特性があり、そして皇紀2680年ずっと、その日本人の特性を元に継続して国を盛り立ててきたのである。その間には自然災害も、戦争(大東亜戦争だけではなく、元寇や白村江なども含む)や、疫病など、様々な困難があったが、日本はすべてそれを克服し、乗り越えてきたのである。その日本人の力を今こそ発揮すべきであると思い、その日本人の誇りを思い出していただきたいと思っているのである。
さて、現在はその「疫病」が流行しているときである。もちろん、致死率などから考えれば、気にしすぎではないかというような気がするのであるが、それでも、やはり死に至る人がいるし、また、その病気に関してもよくわからないというのが現状であろう。そのように考えた場合、現在こそその困難を克服すべき時なのではないかという気がするのである。
しかし、日本人というのは「その克服」をするときというは二つの特色がある。
一つは「神頼み」である。なんといってもことわざにもあるように「困った時の神頼み」であり、疫病であっても、病気治癒の祈祷をお願いするし、天明の浅間山噴火などでは、皆が高台にある神社に集まって難を逃れている。このような事例から見ても「多くの人が集まって神頼みをする」というのが一つの特色である。
そしてもう一つは「すぐに生活に戻る」ということである。関東大震災の後の外国人の目撃談によると、焼け野原となった東京で、一人の婦人が背中に子供を負ぶって米を研いでいるという。外国ではわが身の不幸を嘆き強化に行きそして政府に何をしてくれるのかを求めるのであるが、日本人は自分でできることを自分で行い、自分ではどうしようもないところだけを他人にお願いするすごみがあるという。まさに、それが日本人なのである。
住職が自ら描いた「セクシー萌えキャラ御朱印帳」に賛否の声
神社仏閣に参拝した証である「御朱印」が大ブームとなっている。いまや御朱印は、賽銭やお守りと並ぶ貴重な収入源。参拝客を増やすため、デザイン性の高い御朱印帳や、期間限定の御朱印を用意する神社や寺院が全国に急増中だ。
そんな中、アニメのイラストを御朱印に使用する神社や仏閣が登場し始めた。中でも愛知県にある浄土宗の寺院が提供している“萌えキャラ”の御朱印が話題になっている。記者が寺を訪れると、御朱印目当てと思しき参拝客が10人以上列をなしていた。
実際に御朱印帳を見てみると、寺が作成しているとは思えない“萌え”ぶりに驚いた。「聖観音菩薩」というキャラクターは黒いロングヘアーの美女。スケスケの薄い絹の衣からこぼれんばかりの大きな胸に目を奪われる。もう一人のキャラクターである「馬頭観音」は対照的なスレンダータイプ。Tバック姿で“女豹のポーズ”をとっている。
この寺が「萌えキャラ御朱印」を始めたのは昨年9月のこと。これらのイラストは住職自ら描いたものだという。
近年、アニメや漫画のファンを見込んで、萌えキャラを町おこしや宣伝キャンペーンに利用する例は非常に多い。行列を見る限り、この「萌えキャラ御朱印帳」は成功に見える。
しかし、萌えキャラを使ってのPRには批判があがるケースも出ている。昨年10月には、日本赤十字社が献血促進キャンペーンのポスターに、漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』に登場する胸が強調された女子大生キャラのイラストを起用して「過度に性的」などの声が寄せられた。
今年2月には、JAなんすん(静岡県沼津市)が、同市を舞台としたアニメ『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを特産物のPRイラストに起用。イラストを見た人から「女性キャラのスカートが透けているように見える」などの意見が寄せられ、掲示物を撤去した。
この愛知県の寺の「萌えキャラ御朱印」も、ネット上で賛否両論の声が噴出している。「寺社の経営手段のひとつだから問題ないのでは」という意見がある一方で、「性的な表現に感じて不快に思う人もいる」という声も出ている。
住職に取材を申し込むと、「メディアへの取材は一律にお断わりしている」との回答だった。個性的過ぎる御朱印は今後も議論を呼びそうだ。
2020年03月02日 16時00分 NEWSポストセブン
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-581723/
時は移って、令和二年。
困った時に神頼みをするというのは、今も昔も変わらない。「御朱印」が流行している背景には、お守りでは「神様同士がけんかする」という、俗信があり、そのことから何か思い出になるものということで、安値で各寺社において個性が違うものとして御朱印が流行している。また、女性の間ではなぜか「縁結び」の神社などが多く存在する。基本的に、「結婚願望がない」のであはなく「結婚をする相手以外ない」というよりは「妄想の中の理想と現実の人間では完全に離れているのにその現実にうまく適合できない人が増えた」ということが事実であろう。特に、社会の進出の中で、男性よりも男勝りであったり、仕事ができたりすると、女性は基本的に理想が高くなってしまい、その理想の相手に会うまで仕事を継続することになる。継続は力なりといい、その継続によって、女性の成績が良くなることによって、より縁遠くなるということになる。
そのような社会現象を解消するために「困った時の神頼み」が行われえることになる。身近な例で申し訳ないが、なぜか、周辺に独身の男性と独身の女性が多いのであるが、それがうまくマッチしないのであるから、困ったものである。
さて、そのように「縁結び」を中心にし、そのうえで家庭内などほかの悩み事もあって「神頼み」が増え、御朱印をもらう人も少なくなくなった。そのことから、御朱印がブームになっている。当然に御朱印の中には、「その寺院の特色となるな絵」や「伝説などをモチーフにした印」があり、また、御朱印長にはもう少し柔らかく子供の喜ぶデザインなどが施されていた李、戦国武将の家紋や旗印がかかれている御朱印長も少なくない。
そのような中で、「世の中を元気にしたい」ということから、愛知県の治宝山浄泉寺ではかなり先進的なというか、マニア受けする御朱印長が出てきてたのである。
実際に御朱印帳を見てみると、寺が作成しているとは思えない“萌え”ぶりに驚いた。「聖観音菩薩」というキャラクターは黒いロングヘアーの美女。スケスケの薄い絹の衣からこぼれんばかりの大きな胸に目を奪われる。もう一人のキャラクターである「馬頭観音」は対照的なスレンダータイプ。Tバック姿で“女豹のポーズ”をとっている。<上記より抜粋>
まあ、写真に乗せておいたのでイメージできると思う。
先に行っておくが、私は賛成派である。日本には八百万のかみがいるのであるから、何も一つくらい萌えキャラになってしまった神や仏がいても、全く問題はない。嫌ならば他の寺に行けばよいのであり、その寺において、特色を持った者をやればよいのである。では、卍の字が嫌いという人がいたら、各寺院はその内容を変えるのか、ということも考えなければならない。
また「性的だ」などという批判があるが、そもそも寺院は「死者」を扱う場所であり、逆に「生」を表す記号があってもよい。生と死があるから輪廻転生が生まれるわけであり、そのことから考えれば性的な表現があっても何ら問題がないはずである。
そのうえで、そもそもこのようなことを考え、なおかつ行うことができることが日本人の素晴らしいところであり、またそれを許容することがもっと泳いのではないか。一部の批判などは関係なく、自身をもって物事を進めることから「新たな境地」が生まれるのである。そのことをしっかりと考える必要がるのではないか。「皆に馬鹿だといわれても、そのことを信じた者こそが、たどり着けるところがある」のである。これこそ、もっとも重要なことであり、そのような「多様性」があることこそ、日本の強みである。そして「寺院」という最も厳粛な場所に「萌えキャラ」という最も遠い存在をつけて物事を考えることこそ、日本のすばらしさなのではないか。
ああ日本に生まれて本当に良かった。
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