「宇田川源流」【土曜日のエロ】 アイドルにわいせつ行為をしていしまうという昭和初期には絶対になかったであろう男性の「幼稚性」はどうして生まれたのか

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 アイドルにわいせつ行為をしていしまうという昭和初期には絶対になかったであろう男性の「幼稚性」はどうして生まれたのか

 今週も土曜日になった。土曜日のエロの日である。まあ、エロの前に毎週何か今週があったのかを見ているが、最近ではずっとコロナウイルスのことばかりになってしまって全く面白くない。まあ、このように何か一色にニュースが固まってしまうのは、9年前の3・11の時以来である。

あの時も「自粛」であったが、しかし、不謹慎な言い方をすれば、歌舞音曲や祭りは自粛させられたものの、関西など、東日本震災と津波の被害のなかったところはそれほど大きな被害はなかったということになる。もちろん、東北の法に原材料があったり東北で生産しているもの、または、あの当時はガソリンや電池、ペットボトルの水など非常用のグッズに関しては、恐慌状態になり、ガソリンスタンドに並んでいる間に、練炭などをつけて一酸化炭素中毒になってしまうような事故もあった。しかし、そのような物資の欠乏以外に、被災地以外は被害が来ることはなかったうえでの「自粛」であったのだ。

しかし、今回は違う。何しろ「自然災害」と「疫病」はその内容が異なり、疫病に関しては、目に見えないところで自分に対して降りかかってくる可能性があるということを意味しており、宴会や集まり、コンサートなどの中止や延期は、そのまま、自分の防衛ということであり、もしもそれを破って集まりに出た場合は、自分自身に不幸、つまり感染するという事態が降りかかる可能性があるということになっているのである。つまり、3・11の時と異なり、他人事では済まされない状況になっているということになるのではないか。

さて、そのような「自粛要請」が政府から出されたのが今秋である。まあ、自粛要請において自粛されることが少なくないのであるが、その分、何をして遊ぶのか、時間を潰すのか、ネットなどが流行ることになるのではないか。

まあ、このような時に「エロ」の世界はどうなのか。まあ、濃密接触をすることになるのであるから感染者が相手ならば、当然に感染の可能性が強くなるのであるが、一方で政府が自粛を要請している大規模イベントとは異なるし、まあ、エロの世界の会合がどのようになるのかはかなり興味のあるところである。

アイドルに猥褻 懲役2年6月

 アイドル活動をする女性のマンションに侵入しわいせつな行為をしたとして、住居侵入と強制わいせつ致傷の罪に問われた無職、佐藤響被告(27)の裁判員裁判の判決公判が26日、東京地裁で開かれた。西野吾一裁判長は「事前にマンションの下見や待ち伏せをした計画的な犯行」として懲役2年6月(求刑懲役5年)を言い渡した。

 西野裁判長は判決理由で「被害者の精神的苦痛は相当大きい」と指摘。所持金が減ったことなどで「自暴自棄になり犯行に及んだが、原因の大部分は被告にあり身勝手だ」とした。

 公判で明かされた証拠によると、佐藤被告は女性のファンで、女性のツイッター画像の瞳に映った景色や、生配信の様子などから女性の部屋を特定した。

 判決によると、佐藤被告は昨年9月1日、帰宅した女性を転倒させて部屋に侵入、女性の体を触るなどして1週間のけがをさせた。

2020年02月26日 18時04分 産経新聞

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12274-576100/

 今回は、「アイドル」である。まあ、「自粛されているアイドルイベント」の中にも含まれるということになるのであるが、そのアイドルの女性マンションに侵入し、ワイセルな行為をしたということで27歳の男性が、懲役2年6カ月になった。

ところで、ファンとアイドルの間の距離というのはいったいどのようになっているんド絵あろうか。昔は、「銀幕のスター」といえば「高嶺の花」ということになり当然に庶民には手が届かないものというようになっていた。そのために、そのような女性に対して男性が何かおかしなことをするということはなかった。もちろん、男性側の教育もしっかりしており、女性に浮上暴行を働くなどということを行うことは、道徳的におかしいとされたものである。私の祖父などは、「高峰三枝子が慰問に来た時に、自分の部屋まで来て一曲歌ってくれてあんなに良いことはなかった」といっている。当然に、その時に何か変なことおがあるわけでもないのであるが「銀幕のスター」が「自分の目の前にいる」というだけでかなり興奮したものであったはずなのである。

その「銀幕」が「ブラウン管」に変わったところで、アイドルとファンの間には、全くその関係性は変わっていなかった。私の若いころは80年代アイドルといわれる人々の全盛期であったが、アイドルはトイレに行かないのではないか、というようなことがまことしやかに言われていたものである。アイドルの恋愛などもあまり言われることはなかったし、また、アイドルのプライベートなどは全く問題にはならなかったのである。そもそも「アイドル」とは「偶像」であり、人間とは異なる存在というようになっていた。当然に、自分の頭の中では人間であるということがよくわかっていたはずだが、どちらかといえば考えたくないというような感じであったはずだ。

しかし、その距離感が大きく変わるのが「おニャン子クラブ」でありまた「AKB48」であった。つまり「身近な存在」「会いに行けるアイドル」というコンセプトは、銀幕のスターというような感覚が全くなくなり、いつの間にか「手の届く存在」になってしまっていたのである。

そのうえ、我々の下の年代は、「団塊ジュニアの子供」であり「ゆとり世代」「覚り世代」といわれる人々で、残念ながら戦前のような道徳観が欠けている部分がある。同時に学校で道徳を言う科目がなかったために、「自分の思い通りにならないことを我慢する」ということがなくなってしまっている。

この「会いに行ける」というアイドルとの距離感と、ファン側の「道徳観の欠如」(もちろん全員がそうだといっているわけではない)が、化学反応を起こした場合に、このような事件になってしまうことになるのではないか。ある意味で、このような事件が発生するのは、アイドル側があまりにもファンの近くにおいて露出(裸という意味ではなくプライベートなどのサービスとしてという意味)が多く、またファン側も道徳観がなくなり自分の脳内と現実が区別がつかなくなってしまうということになってしまい、そのために、このような事件が発生することになるのである。

ある意味で、教育と、距離感、この二つを何とかしなければ、うまくゆかなくなるのではないか。この二つのことによって「本能的エロ」が抑えいきれなくなる人がでてくるということがあるのではないかという気がするのである。

まあ、教育と距離感で本能を抑えていたものがなくなるとこのようになるということなのではないか。ではこれを無くすためにはどうしたらよいか。まあ、道徳心をつけることも大事だがエロに対する考え方をしっかりと学ぶ方重要なのかもしれない。

宇田川源流

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