「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 戦国時代における「槍の戦い」から「鉄砲の戦い」への戦争の革命を伏線に使う歴史の深淵

「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 戦国時代における「槍の戦い」から「鉄砲の戦い」への戦争の革命を伏線に使う歴史の深淵

 NHK大河ドラマがなかなか面白い。まあ、毎週このように書いているので、さすがに飽きてきている人も知るのかも知れないが、まあ、お付き合いいただこう。

さて、歴史というのは常に「必然」と「偶然」の重なり合いと、そこにおける「守旧派」と「革新派」の交錯がでてきて、そこに様々な人間ドラマが出てくることによっていろいろと、面白さが出てくるものなのである。

現代の政治姿勢において、「守旧派(保守・右翼)」と「革新派(革新・左翼)」という言い方があり、これらが固定概念になっているような状況があるが、実際のところ、とくに「右翼・左翼」という言い方は、あくまでも「相対的」な価値観でありなおかつそれは時代やその環境を元に全く異なる話になる。

つまり相対的でなおかつ流動的な話である。ましてやその価値観が「歴史の何百年も後になってその時のことを見て評価を行う」ということになれば、その歴史的な事実を知った上での結論になるのであるから、政治的な立場ではなく違う感覚になる。

このように書くのは、たとえば戦国時代のたたきに関して「鉄砲」というものが出てくる。当然に新規技術である。その新規技術を受け入れるかどうかということに関しては、ここは「平時」つまり戦争ではないところで考えた場合、当然に「守旧派・革新派」と二つの考え化が出る。

平時は、当然に「鉄砲」というものの長所も欠点も両方ともに出てきてしまっているのに対して、緊急時においては、その内容の長所がクローズアップされる。つまり「リスク」を先に考えることから、「平時のような思考」にはならないということを意味しているのである。その「緊急時思考」を持った場合にそれでも守旧派で自信を持っていられるのかということはかなり大きな問題になってくるのである。

では、その鉄砲をめぐる内容が、今回の「麒麟がくる」の一つの大きな「伏線」になっているのは間違いがない。


「麒麟がくる」吉田鋼太郎“鉄砲の抑止力”松永久秀に言わす池端俊策氏「着眼点すごい」

 俳優の長谷川博己(42)が主演を務めるNHK大河ドラマ「麒麟がくる」(日曜後8・00)の第5話が16日に放送され、俳優の吉田鋼太郎(61)演じる戦国武将・松永久秀が初回(1月19日)以来の登場。Yahoo!リアルタイム検索3位に入るなど、またもインターネット上で反響を呼んだ。

 大河ドラマ59作目。第29作「太平記」(1991年)を手掛けた池端俊策氏(74)のオリジナル脚本で、智将・明智光秀を大河初の主役に据え、その謎めいた半生にスポットを当てる。物語は1540年代、まだ多くの英傑たちが「英傑以前」だった時代から始まり、それぞれの誕生を丹念に描く。

 第5話は「伊平次を探せ」。斎藤道三(本木雅弘)の命を受けた明智光秀(長谷川)は鉄砲の作り方に加え、将軍家が鉄砲を大量に必要としている理由を探るべく、再び京へ向かう。腕利きの鉄砲鍛冶・伊平次を探しに足を運んだ本能寺で、将軍・足利義輝(向井理)の護衛・三淵藤英(谷原章介)と再会。将軍家も伊平次を探しているが、忽然と姿を消したという。三淵に連れられて松永久秀(吉田)の元へ向かった光秀は、松永から鉄砲の真の力とは「お互いをけん制させ、戦を減らす抑止力になることである」と聞く…という展開。

 吉田演じる松永久秀は、主に畿内を中心に勢力を広める戦国武将。軍事政治両面において力を発揮し、したたかで荒々しい生き方が若き光秀に大きな影響を与える。

 藤英と光秀が久秀陣所へ。久秀は背中にお灸を2つ。「実は、しゃっくりが2日も止まらなくなりまして。熱い目に遭えば止まると、誰かが申すゆえ、今、灸を試したところ、ま~熱いのなんの」と豪快に笑った。

 インターネット上には「松永さんのお灸はフラグなのかしらw」「一挙手一投足が爆発のフラグに思えて仕方ない松永久秀」「松永久秀、炎に耐性をつける特訓。爆発の準備ですね!」などの書き込みも。

 病気予防のため毎日お灸を据えていたという久秀。茶器とともに爆死したとも言われるだけに、その“最期”にも早くも注目が集まっている。

 藤英が帰った後、久秀と光秀のやり取り。光秀が「松永様も戦はお嫌いですか?」と聞くと、久秀は「わしは幼い頃、母上にしゃっくりが3日続くと死ぬと言われてな。それ以来、しゃっくりが大嫌いなのさ。わしは死ぬのが恐ろしい。そんなわしが好んで戦をすると思うか?」と語った。

 吉田は番組公式ツイッターに「鉄砲は人を殺すだけの道具ではなく、それがあることで戦の抑止力にもなる。だって、鉄砲を自分たちよりたくさん持っている相手とは戦いたくないから。現代にも通用するこのような考え方を、戦国の世に生きる久秀に言わせた池端先生の着眼点はすごい!」とコメントした。

2020年02月16日 20時45分 スポニチアネックス

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-564905/


 今回は「松永久秀」と「明智光秀」という二人の物語が出てきている、ある意味で、風流人細川藤孝宇(幽斎)が、「乱暴者」で書かれていて、その兄三淵藤英が教養人に書かれている。まあ、私の印象としては全く異なるものであり、逆に兄の方がなんとなく武辺者のように感じたがまあ、その辺の解釈は様々でよいのであろう。

さて、この松永久秀という人物はなかなか興味深い人物である。織田信長を語る時に、ある意味でこの松永久秀をしっかりと書けないのは、問題だ。戦国時代を最もよく表している人物というような気がするのである。

信長が、一度裏切ってもなお、許した人物というのはそうはいない。裏切りもしないのに佐久間信盛などは追放されてしまっている。まさにそのような状況を見ていればこそ、松永久秀の優秀さは際立つのであるが、その「優秀な能力」をどのように書くのかということに「鉄砲への先進性」と「将軍足利義輝一派にはない人脈」(伊平次などの居場所を知っている)という二つを挙げている、。つまり「情報の確実さ」と「その情報の解釈と利用」ということで先進性をしっかりとあらわしているということになるのである。

 吉田は番組公式ツイッターに「鉄砲は人を殺すだけの道具ではなく、それがあることで戦の抑止力にもなる。だって、鉄砲を自分たちよりたくさん持っている相手とは戦いたくないから。現代にも通用するこのような考え方を、戦国の世に生きる久秀に言わせた池端先生の着眼点はすごい!」<上記より抜粋>


「最新兵器で武装することが抑止力」という考え方を、戦国時の下剋上の時代に持っていたとすれば、かなり先進的だ。このドラマの中で、明智光秀は、鉄砲が使えないと思っている。実際に後にあれだけ先進的なことを考えてしまう明智光秀が、そのように守旧派的な考え方を持っていたということを描くのはなかなか面白い。

その確信に変わる時のきっかけが斎藤道三と松永久秀という設定はなかなか面白い。まあ、面白いけれども、たぶんそれが史実なのであろう。フラグといえば、要するに「究極の下剋上」である「本能寺の変」を起こした明智光秀が、「斎藤道三という下剋上の権化」と「松永久秀という戦国の梟雄」に影響されて変わってゆく姿が、なかなか興味深く書かれることになる。なかなか面白い。そこに「下剋上の伏線」があり、そして「抑止力」という点で信長が「抑止力ではなくなった時逃げ口上が起きる」というような伏線がここに出てくることになる。

吉田剛太郎氏の演技が、上記のツイッターでもわかるように、そのことを意識した演技になっているのがなかなか良い。やはりこのような「前半の伏線を演じる役者の際立った演技」こそ、ドラマを盛り上げる大きな要因になるのではないか。

宇田川源流

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