「宇田川源流」 日本の子供たちの学力低下は実際は教える側の能力低下と権利意識の向上による業務の縮小である可能性を考えるべきではないか

「宇田川源流」 日本の子供たちの学力低下は実際は教える側の能力低下と権利意識の向上による業務の縮小である可能性を考えるべきではないか

 日本人の学力の低下が話題になっている。そしてそれらの原因として言われているものが、スマホやゲームであるといわれている。果たしてそうであろうか。

私個人の意見ではあるが、スマホやゲームなどもそうであるし、また環境の変化などもその中に入るのではないかという気がする。しかし、それ以上に「教える人の質の低下」ということが挙げられるのではないかという気がするのである。

「教える側」というのは、一つには「教員」「先生」と呼ばれる一群である。そしてもう一つには「両親」「保護者」といわれる一群、そしてもう一つは「兄弟」「友人」というカテゴリではないかと思われる。

これらの内容がいかにもおかしな状況になっており、子供たちの向学心がなくなっているということが挙げられる可能性があるし、また、子供の疑問を答えられないような状況になっているのではないかという気がしてならないのである。

そのことを如実に表しているのが、下記の記事にある「国語・数学の記述式導入見送り」である。記述式の回答に対して、その内容を採点する側の問題、つまり、採点の質が同じであるような採点者がそろわないということになってしまっており、そのことによって見送りを検討するという。

はっきり言うが、「採点者の基準が異なる」「採点がバラバラになる」というようなことが挙げられるということは、文部科学省の中において「教える内容もバラバラで統一性が取れていない」ということである。

もちろん個性がありそこに微妙な違いがあることに関しては、人間である以上問題がないと思うが、必要以上、つまり試験制度を脅かすほどの違いがあるということは、それだけ教育の質が全く異なるということに他ならない。そのような教育体制で、子供の教育がうまくゆくはずがない。

ちなみに「手間がかかる」「時間がない」などの意見が出されているが、はっきり言って、現在の教員の教育というのはそのようなものなのであろうか。それに将来の自分たちの生徒の回答を見るのに時間がないというのはどういうことなのであろうか。教えるということをどのように考えているのか。


国・数の記述式導入、見送りへ 50万人分の公平な採点懸念

 大学入試センター試験の後継で2020年度開始の大学入学共通テストを巡り、政府は5日、国語と数学への記述式問題導入を見送る方向で最終調整に入った。与党幹部が明らかにした。約50万人の答案を短期間で公平に採点するのは不可能といった批判が相次ぎ、予定通りの実施は困難との見方が強まっていた。

 公明党の斉藤鉄夫幹事長は同日午後、萩生田光一文部科学相と省内で面会し、導入延期を要請。斉藤氏によると、萩生田氏は「重く受け止める。受験生のことを考えると1年前までに方向性が決まっていないのは不安だろうから、年内がリミットだ」と述べ、近く最終判断する考えを示したという。

共同通信2019年12月05日23時12分

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kyodo_nor/life/kyodo_nor-2019120501001364


日本「読解力」後退15位 高1の学力 OECD調査

 経済協力開発機構(OECD)は三日、加盟国を含む七十九カ国・地域の十五歳を対象に二〇一八年実施の学習到達度調査(PISA)の結果を公表した。日本の高校一年生の読解力は十五位で、八位だった一五年の前回調査から低下。点数も十二点下がり、上位層と差が広がった。低下は二回連続。

 数学的応用力は五位から六位、科学的応用力も二位から五位に後退したが、文部科学省はトップ水準を維持していると分析。三分野の全てでトップは「北京・上海・江蘇・浙江」で参加した中国だった。

 調査は一五年に続きパソコンで実施。読解力では新たにブログなどインターネット上の多様な文章形式で出題され、文章の信ぴょう性を評価する能力も初めて測った。

 文科省は読解力の低下について、根拠を示して考えを述べる力に課題があると指摘。情報の真偽を見極める力などを測る新たな出題の正答率が特に低いことも影響しているとしたほか、「OECD加盟国内で比べて授業中のデジタル機器の利用が特に少なく、本や雑誌と異なる形式の文章に慣れていない」とした。

 調査は〇〇年から三年ごとに行われ、今回が七回目。OECD加盟の三十七カ国と非加盟の四十二カ国・地域の約六十万人が参加し、数学的応用力、科学的応用力、読解力の三分野のうち、今回は読解力に重点が置かれた。日本は一八年六~八月、無作為抽出で国公私立百八十三校の約六千百人が参加した。

 日本の読解力の得点は五百四点で、OECD平均は四百八十七点。前回は五百十六点で平均は四百九十三点。平均点低下や測定のぶれを考慮しても、水準は下がったと判断された。〇六年の十五位から〇九年の八位、一二年の四位と上昇したが、一五年は再び八位、今回は十五位と下がった。参加国・地域は増え続けており、長期的傾向の分析では米国などと同じく変化がない「平たん」タイプとされた。

 数学的応用力は前回より五点低い五百二十七点で六位、科学的応用力は九点低い五百二十九点で五位。従来と同様、OECD平均と比べて低得点層が少なく高得点層が多かった。長期的傾向でもトップ水準を維持と評価された。

2019年12月4日 東京新聞

https://www.tokyo-np.co.jp/article/education/edu_national/CK2019120402100010.htm

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 ある意味で「政治家が政治屋になっている」という批判があるが「教職員が教職屋になっている」というようなこともあるのではないか。

ちなみに残り二つの一群を考えてみよう。まずは両親などである。

そもそも両親共働きということは、子供が家庭で勉強する環境ができていないということになる。そもそも、日本の文化は大家族制で、祖父母と両親が存在し、両親が不在な場合は祖父母がしっかりと面倒を見るというようなか体制があった。

その体制が核家族化によって崩れてしまっているものの、その体制の崩れ方が半端ない。核家族化が核個人化に変化してしまっており、そのために家庭の教育が全くできない状態になっている。

小学生などまでは「児童館」「学童」というような施設があるが小学校高学年以上になるとそのようなところもなくなってしまう。また児童館なども結局が数人が大量の子供たちを見るということになってしまうので、目の届き方が異なり学業に専念するような状況ではない。

また「塾」に通うようなことを言う人もいるが、「学習塾」は基本的には「受験の技術」を教えるところであり、じっくりと読解力や化学の基礎知識を学ぶところではないのである。そのように考えると、「自分の勉強」として基礎知識や深い学習をするところがなくなってしまっている

つまりは「向学心」とか「知識欲」を刺激する場所が少なくとも家庭にはなく、そこにスマホやゲームといったところが入ってきてしまうために、基礎学力が著しくなくなってしまう。

もう一つの軍である「兄弟・友人」であるが、ここも大きな問題だ。

少なくとも少子化で一人っ子が多い。私の小さい頃は両親が共働きで、なおかつ一人しか子供がいないような家庭を「かぎっ子」といって、いつもカギを持って歩いている子供というような意味合いで呼称していた。現在で言えば、ほとんどの子供がかぎっ子であり「兄弟」を語ることができない。「兄弟」から刺激を受けるということがないので、自分の独りよがりの学び(学びに関してだけ言えばということになるが)でしかなくなってしまう。同時に、友人も結局はお互いに「かぎっ子」であるから、大人の情報が入っていしまい基礎学力がない技術の内容が出てくることになり、自分たちの基礎力を競うようなところではない。

私は、学校の話をするときに、いつもあまり良い話をしないのであるが、麻布という学校に行ってもっともよかったのは、少なくとも受験技術をしなかったことと、周囲からの刺激がかなりあったことだ。

歴史を勉強しても科学を勉強しても、友人の中に必ず自分より上がいて、その友人たちの刺激を受けていた。それが受験などとは全く関係がない状態であったが、しかし、その時の「受験勉強から見たら無駄な勉強」が、現在どれくらい役に立っているのかということを感じるのである。

さて、このような「家庭環境」つまり「保護者」「兄弟」の環境を強制するのが学校の「教職員」であるはずだが、しかし、それが「忙しいから採点ができない」とか「基準がバラバラだから採点に自信がない」などという状態である。

このような状態で、なおかつそれを文部科学省に責任転嫁をして、それで教職員の仕事ができているというような錯覚をしているようでは話にならない。

現代社会、「教職員」のように「教職員自身の権利」よりも「子供たちを育てる責任」の方が重く問われる職業において、権利を主張する人々が少なくない。

モンスターペアレンツといわれる人々も、そのような「学生時代に教育を受けた結果」であり、その人々がそのまま現在の親になっているのである。そしてその人々が作った社会の中で、子供たちの基礎学力を上げるためにはどうしたらよいのか。他人に責任転嫁をせずに物事をしっかりと関上げるべきではないのか。

宇田川源流

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