「宇田川源流」【土曜日のエロ】 性行為時に意識がなかったらレイプではないというスペインの裁判所の判断における「レイプの定義」
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 性行為時に意識がなかったらレイプではないというスペインの裁判所の判断における「レイプの定義」
今週も土曜日になった。「エロ」の日である。
エロと書いた後にこのようなことを言うと、間違いなく不敬だといわれるのであるが、本日と明日は、天皇陛下の即位における奉祝の日である。今週はなんといってもそのような感じではないかと思う。今週は様々な事件があったがなんといっても天皇陛下のことで、なおかつお祝い事はトップニュースであろう。ただ、奉祝の祭典とパレードは、京の後に行われるのでここでは何か評論できるような状況ではない。しかし、ニュースの中において、「明るい話題」を見ることは、我々にとって非常に大事な話なのではないかという気がするのである。
そのほかというと、今週は本当に何があったのであろうか。時間がたつのが早いので、どうも何もしていない間に時間だけが過ぎ去ってゆくような気がしている。まあ、今週のニュースとすれば、オリンピックのメダリストと、芸能人が大麻と覚せい剤でそれぞれ逮捕されたというのが大きなニュースだったのであろうか。まあ、最近なんでも「依存症」という病気にして「犯罪を犯しても仕方がない」などといっている人が少なくないのであるが、本当にそのようなことを言っていいのであろうか。なんだかわからないが、犯罪者、被告人、被疑者の権利ばかりを言っている人が少なくないのは何か危険な兆候のような気がする。そのように主張している人々は、その人々の家族が何らかの依存症の人に被害を被ったとしても、同じことが言えるのだろうか。
例えば、「レイプ依存症」というものがある、またはこれからそのようなことを言う人が出てくる可能性がある。レイプ事件において「レイプをしないと精神的安定が保てない」などという人が出てきた場合、またはそのようなことを主張する精神医学者がいて、弁護士がどのような弁護をする場合、彼らの家族がレイプをされた場合も同じように「依存症だから仕方がない」「依存症なのであるから責任能力がない」といえるのであろうか。被害者の権利というのはどのように考えているのか、ぜひ聞いてみたいものである。
さて、その「レイプ依存症」という病気があるとすれば、スペインはどのような国に移るのであろうか。
「被害者は意識なかったから」レイプではない スペインで判決
スペインのマラガでは、この事件の判決に抗議するデモが行われた
スペイン・バルセロナの地方裁判所は31日、14歳の少女を集団レイプした罪に問われている5人の男に対し、強姦罪には当たらないとの判決を出した。少女の意識がなかったことを理由とした。
5人はより刑罰の軽い性的暴行罪で有罪となり、10~12年の禁錮刑が科せられた。
スペインの現行法では、性的暴行のうち、身体的な暴力や強迫があったもののみ強姦とみなす。性的暴行よりも罪の重い強姦罪では、刑期は15~20年だ。
裁判所は、被害者は事件当時「意識喪失状態」にあり、加害者は暴力を使う必要がなかったため、強姦ではないと結論付けた。
女性の権利保護団体は、この判決に怒りと悲しみを訴えている。
スペインではすでに、この法律の見直しが進められている。また最高裁判所は今年初め、同様の事件について当初の性的暴行罪を覆し、強姦罪を認める判決を出している。
少女は当時、アルコールとドラッグの影響を受けており、被告らは順番に少女に暴行を加えた。ブリアン・アンドレス・M被告は他の被告に対し、「お前の番だ。1人15分ずつ、遅れはなしだ」と話したという。
被害者は裁判で、起きたことのほとんどは覚えていないが、男の1人が銃を見せびらかしていたと証言した。
被告のうちの1人のDNAが被害者の下着から検出されたものの、被告は全員、無罪を主張した。
地元紙エル・パイスによると、判決では、「被害者は自分が何をしていて何をしていないのか分からなかった。そのため、被告のほぼ全員が被害者に行った性的行為に対して、同意も拒絶もできない状態だった」と結論付けた。
一方、被告らは「暴力や強迫をまったく行うことなく、性的行為を行うことができた」と説明している。
判決ではさらに、この加害行為は「極めて深刻かつ名誉を傷つけるもの」だったとして、被害者に1万2000ユーロ(約145万円)の損害賠償が支払われるよう命じた。
2016年の事件は強姦罪に
この事件は、2016年に起きた集団強姦事件との類似性から、「マナダ・デ・マンレサ(マンレサのオオカミの群れ)」として注目を集めている。
北部パンプローナの裁判所は昨年、2016年に伝統行事「牛追い祭り」で当時18歳の女性を強姦したとして起訴された5人の男を、強姦罪ではなく性的暴行罪で無罪とした。
被告らは加害行為を携帯電話で撮影。警察の捜査によると、この映像の中で被害者が「無抵抗、あるいは無表情な」態度を保っていたことから、暴力や強迫の事実はなかったと判断した。
これをきっかけにスペインでは大規模な抗議行動が起き、首相は昨年、この法律の改正に着手。
また、今年初めには最高裁判所が、この事件について強姦罪を認める最終的な判決を出し、刑期を15年に延長した。
(英語記事 Men cleared of raping 'unconscious state' teenager)
BBC 2019年11月1日
https://www.bbc.com/japanese/50258353
レイプ、日本語で言えば強姦である。さて、まずはあくまでもこのニュースはスペインの判例である。そしてスペインでは、日本とは異なり「強姦罪」と「性的暴行罪」という二つの犯罪の類型がある。もちろん、このように法律が異なるのは国の成り立ちや国の置かれた環境、国家を構成する国民の文化や宗教観などによって異なる。スペインの場合、イスラム教の侵攻とレコンキスタの問題があり、また、その時に多くの王国が文化や宗教の違いもなく一つにまとまった歴史があるので、「性行為」そのもの解釈が異なる。何しろイスラム教の一夫多妻制をどのように扱うかが、イスラムとキリストで異なるのであるから、なかなか大変だ。そこで、「本人の合意に従わない性行為=性的暴行罪」となり「暴力を使って恐怖を与え乱暴に性行為を行った=強姦罪」というように法律が分けられる。そうしないと、国内のイスラム教徒が一斉に大きな問題になるのである。
まあ、昔の話であるが、キリスト教の女性が、イスラム教の既婚男性と一緒にいて既婚男性が本人の同意なしに性行為に及んだとする。まあねている間というような感じである場合、イスラム教徒は「二人目の妻を娶るための自由恋愛」を主張することになるし、キリスト教から言えば、「既婚者に犯された」ということになる。この調整のために、強姦罪と性的暴行罪は異なる法体系になっているということになるのである。
さて、今回の事件「被害者は事件当時「意識喪失状態」にあり、加害者は暴力を使う必要がなかったため、強姦ではない」<上記より抜粋>ということになる。上記のイスラム教既婚者とキリスト教の女性の礼と同じ状況になる。ここで「イスラム教の人だけが、性的暴行罪でキリスト教の人は強姦罪になる」というような感じにすれば、宗教の差別に当たるので、この基準が「性行為の時に女性が物理的な抵抗をしたかまたは抵抗を封じられた状態にあったか」ということになり、また、その内容の中に「酒に酔っていたなど女性側の自由な行為の中において意識がない場合は暴行に含まない」ということになるのである。
このように歴史と宗教ということから見ると、実はそんなにおかしいものではない。しかし、現代のそれも欧米の法律感覚からすると完全におかしい、特に女性の立場からすればおかしいということになる。しかし、そもそもイスラム教では、アルコールの摂取は宗教的に禁止されており、男性の前で「酔って意識を失う」ということは「宗教的にはあり得ない」ということになる。つまり、病気で気を失っているか寝ているかということになるのであるから、その部分をどのように解釈するかということになるのではないか。
逆に、ある意味で「男性と一緒にいるときに意識があるように気を付けなければならない」ということで、日本で言えば、これからの忘年会シーズン、街角で寝てしまったり意識がなくなっている女性は、スペインに行けば、そのまま犯されて「強姦罪」にはならないという結果になるのである。まあ、ある意味で女性の飲酒マナーがよくなるのかもしれないし、そのような飲酒を伴う会合に女性が来なくなるということにつながるのかもしれない。まあ、イスラム教では女性が男性の境にでウrことが禁じられているので、男女が混ざるかいごうは、そのまま宗教が混ざる会合になるということになるのであろう。それ以外は「家族」が前提であるから、その時点ですでに性行為に発展すること、つまりイスラム社会で男女が顔も隠さずに同席するパーティーというのは、家族以外にはありえないのであるから、その時点で性行為があっても社会に訴え出ることはできないというようなことになるのである。
日本ではそれは少し寂しいかもしれないし、逆にそのような解釈が成立するのであれば、女性に酒を飲ませる若者が増えるのではないかと考える。まあ、その気持ちはわからないでもない。ただし、日本の場合は強姦罪が成立するので、その辺は気を付けなければならない。
さて、性行為に関しても、エロに関しても、このおように文化や宗教に追って解釈が異なるし、そもそもその前の行為の前提が異なる。そのことを知らないと、思わぬエロにつながる可能性が少なくないのである。
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