「宇田川源流 日本万歳!」 日本人にとって当たり前の後継が世界から見たら素晴らしいことに思えるという例の一つ「自動販売機の不思議」
「宇田川源流 日本万歳!」 日本人にとって当たり前の後継が世界から見たら素晴らしいことに思えるという例の一つ「自動販売機の不思議」
月曜日は「日本万歳!」として、これから始まる一週間、皆さんに日本は素晴らしい国であるということを感じていただき、そしてそのことから日本人としての誇りをもって働いていただこうと思っている企画で、この「宇田川源流」になってから毎週月曜日に続けている。初めて見てからわかったのであるが、実際には、月曜日は祭日が多く、日本にはこんなに月曜日の休みがあるのかと驚いているが、それでも月曜日に全く構わず、そのまま日本万歳を続けている。
本日も休みである。実際に昨日11月3日は「文化の日」である。実際には「明治節」といい、日本の近代化を行った明治天皇の誕生日で、その天皇誕生日をそのまま休日にしている。「文明開化」がそのまま「文化の日」になったということで、毎年この日に文化勲章の表彰式が行われている。「文化」といいつつも「近代化」ということで、そのような日をしっかりと持っていることが日本のすばらしさではないか。実際に、現在の日本国憲法は、この日に「公布」され、半年後の5月3日に施行される。そのために5月3日が憲法記念日になっているのである。このように考えると、現在「日本の起源」としての祝日は、2月11日の「紀元節」つまり「建国記念日」(神武天皇即位の日)と、2月23日「天長節」つまり「天皇誕生日」(令和からはこの日が天皇誕生日です)4月29日「昭和の日」(昭和天皇の誕生日)、5月3日「憲法記念日」、11月3日「文化の日」ということになる。現代日本を作り、そして現代日本のことをしっかりと考える日がこんなにあるのかと思うと、様々なことで今の日本ができていることがわかるのではないか。明治維新以降、様々な人が様々なことを考えて、そして様々な内容をしっかりと見ながら、将来の日本のことを考えてそのことをしっかりと見ているということがよくわかる。
そしてその文化の象徴というものが、日本においては様々に考えられるようになっており、そして、そのことが「日本人には当たり前」というような感じで、受け入れられているのである。その「日本人にとってのあたりまえ」が海外から見ると驚きであることが少なくない。これも日本人の誇りの一つである。
日本の「自販機の普及ぶり」に初めて訪日した中国人は誰もが驚く=中国メディア
日本人の日常生活にとって「自動販売機」は必要不可欠な存在だと言えるだろう。飲み物の自販機が最も身近と言えるが、そのほかにも駅には切符販売機があり、飲食店には券売機がある。このように自販機が支える日本社会は、訪日中国人にとって新鮮な光景に映るようだ。中国メディアの捜狐はこのほど、「日本人はなぜこれほどまでに自販機が好きなのか」と疑問を投げかける記事を掲載した。
中国は近年こそ飲み物の自販機を見かける機会が増えてきているが、それでもまだ身近な存在ではない。記事は、中国と比べると日本には数多くの自販機が設置されていることに「初めて訪日した中国人はみな一様に驚く」と紹介。
続けて、日本でこれほどまでに自販機が普及している理由について、「少子高齢化によって労働力が不足している」という要因だけではなく、「なんでも自動化できる技術がある」うえに、「日本人自身も自動化による利便性の向上を望んでいるため」ではないかと考察した。
また、日本は都市部に人口が集中しているため、住宅や商店が都市部で広い面積を確保するのが難しいが、「自販機ならば狭いスペースにでも設置でき、管理も比較的簡単であることも普及の要因となっている」と論じた。
さらに「日本人が日常生活で硬貨を使用していること」も自販機が普及した大きな理由の1つであり、同時に中国と大きく異なる点だと強調。また今後、日本がキャッシュレス社会へと変わっても日本人の生活から自販機がなくなることは「ありえない」ことだと伝え、もはや自販機は日本独特の文化であると紹介した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
2019年10月18日 13時12分 サーチナ
https://news.nifty.com/article/world/china/12190-20191018_00045/
日本人というのは、高い文化性と、高い秩序性を持ち合わせた民族であり、なおかつその秩序性・規律性と、相手を思いやるということから、その規律以上の「社会性」を持つことによって、様々なことが大きく発展してきている。
上記の「自動販売機」もまさにその中の一つであるといえる。
私が大連にいたころ、マイカルの店の外側に自動販売機を設置したいという要望があり、日本のマイカルのグループ会社からの依頼で自動販売機を設置しいた。「絶対にすぐに盗難に遭ってダメだと思いますよ」と言ったが、「実際にどうなるのか。中国ということがどういうことかわからないから盗難、損失覚悟でやってみたい」ということなので、そこまで言うのであればと思って設置した。果たして翌日、自動販売機が壊れていたり、あるいは商品が盗まれていたりするのではないかというように考えた。しかし、私の予想も全く外れていた。実際には「自動販売機の機械ごとなくなっていた」のである。よくよく考えれば、警備員もいなく、なおかつ金(お釣り)と商品がその場に置いてあり、なおかつ金を読み取る機械と技術がその中に入っているのである。これほど盗みやすいものはない。中から一つ二つ盗むのではなく、機械ごとすべてを盗み去ってしまったのである。
このように考えると、「自動販売機」が存在するということ自体がどのようなことかわかるのではないか。
上記の記事には「少子高齢化によって労働力が不足している」「なんでも自動化できる技術がある」「日本人自身も自動化による利便性の向上を望んでいるため」<上記より抜粋>ということが挙げられるが、そもそも「それだけの技術力」があるということと「電力がどの場所でも豊富に存在する」ということであり、なおかつ「治安が良く、自動販売機そのものを置いておいても盗難などはほとんどない」という治安の良さが挙げられる。また同時に「自動販売機の中に入れていても、品質が保持されているという品質の安全性」ということもあるし、また「現金が偽物ではないという現金に対する信用性」も存在するのである。
町中よく見かける「自動販売機」において、これだけの要件がそろっていないといけないわけであり、なおかつ「機械しか存在していないのに、そこで商品を売買するだけの信用性と社会的成熟性」が存在していないと設置できない。
このように考えれば、中国などには当然、韓国であってもアメリカであっても、街角に無人の自動販売機が存在することは少ない。オフィスの中のコーヒースタンドのようなものはあるが、日本のような自動販売機文化は「国民一人一人の社会性と規律性、そして機械の中に入れる商品の信用性」がなければ話にならないのである。
現在ではその自動販売機の中に、様々な機能が存在し、そのうえ、町の中の監視になったり地震などの災害時の補給拠点になっていたり緊急時のAEDの保管場所になっていたりする。自動販売機は「そこに飲み物や食べ物などと、電気が存在する」ということ、そして固定されているということの要件が存在し、その存在を許容する街の中のコンセンサスがあるということになる。
何気なく存在する自動販売機の中にあって、そのような日本人の特性が見て取れ、そして我々日本人一人一人がそのような国民性を持っているということをよく味わっていただけばよいのではないか。
日本に生まれて本当に良かった。
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