「宇田川源流」 2021年の大河ドラマが「渋沢栄一」に決定

「宇田川源流」 2021年の大河ドラマが「渋沢栄一」に決定

 久しぶりに政治から目を離して、ドラマの話をしよう。NHKの大河ドラマについて、たまに語っている。まあ、何の因果か、NHK大河ドラマに関して様々と深くかかわることになったのである。

2020年は、「明智光秀」である。この明智光秀のおかげで、私は様々な本を書いたりまたは編集をしたりというような状況になっている。非常にありがたいことである。ドラマは「麒麟がくる」。この明智光秀に決まるまでに様々な紆余曲折があったのである。まあ、明智光秀に決まったことで岐阜県から京都府まで、かなり広範囲で皆さんが楽しんでいただけるような話になっていた。残念なことに今年の大河ドラマ「いだてん」があまりにも視聴率が悪い。話そのものは多分そんなに悪くないのであるが、やはり、日本人が「大河ドラマ」に期待しているものと「いだてん」は異なるのではないかという気がするのである。

さて、それでは2021年の大河ドラマは誰か。これが「渋沢栄一」である。

さて、渋沢栄一を知っている人は多い。なにしろ次のお札の1万円札についている肖像画にあるのであるから皆知っている。しかし、では「渋沢栄一」は何をした人か、と聞かれると、意外と皆さん答えられないのである。一応「日本の資本主義の父」といわれた人で、株式会社の設立に数多く携わった人物である。しかし、細かく何をした人でどんなすごい人かよくわからないということなのである。

そんな「有名だけど何をしたのかよくわからない人」というのは、日本人の中には意外と多い。もちろん女性などでもそのような人物は少なくないのであるが、男性でも非常に多い。その代表格の一人が「渋沢栄一」である。

21年大河「青天を衝け」吉沢亮“天陽くんロス”直後の主演発表「バッチリ」CP「天陽くんが帰ってきた」

 NHKは9日、2021年の大河ドラマが「日本資本主義の父」と呼ばれ、新一万円札の肖像になる実業家・渋沢栄一(1840?1931)の生涯を描く「青天を衝(つ)け」、主演は俳優の吉沢亮(25)に決まったと発表した。脚本は大ヒットした15年後期の連続テレビ小説「あさが来た」などで知られる大森美香氏が務める。放送中の朝ドラ「なつぞら」(月~土曜前8・00)で“天陽くんロス”を巻き起こした吉沢。制作統括の菓子浩チーフプロデューサーも「天陽くんが帰ってきました」。“天陽くんロス”のファンには朗報となった。

 東京・渋谷の同局で会見した吉沢は「大河ドラマの主演ですから、とんでもないこと。まさか自分に来るものだとは思っていなくて。1カ月半前ぐらいに大森さんたちとお会いする機会があって(主演を聞いて)ビックリしすぎて、大河って別に枠がありましったけ?と。信じられなかったです。緊張とか、そういうレベルにもいかなかったです、ビックリしすぎて…。マネジャーに『発表する前に漏れたら、主演が変わったりするからね?』と脅されて、ビクビクしました。安心しました」と仰天。

 “天陽くんロス”については「ありがたいですね」と笑顔。“天陽くんロス”直後の大河主演発表に「タイミングがバッチリ。こんなことある?みたいな。天陽で僕のことを知ってくれた方もいると思いますので、天陽とは違う面白さを届けられるようにしたいです」と意気込んだ。

 「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一は約500もの企業を育て、同時に約600の社会公共事業にも関わった。晩年は民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補にも2度選ばれています。幕末から明治へ。時代の大渦に翻弄され、挫折を繰り返しながらも、青天を衝くかのように高い志を持って未来を切り開いた。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢は生涯青春の人だった。

 吉沢は放送中の連続テレビ小説100作目「なつぞら」にレギュラー出演。ヒロイン・奥原なつ(広瀬すず)の“初恋の人”で、絵心を教えるなど、その人生に多大な影響を与えた人気キャラクター、画家の山田天陽を好演。今月3日放送の第134話で36年の短い生涯に幕を閉じ、3日連続でインターネット上に“天陽くんロス”が広がったばかり。

 大河ドラマは現在、歌舞伎俳優の中村勘九郎(37)と俳優の阿部サダヲ(48)がダブル主演を務める「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」を放送中。視聴率で苦戦している。来年20年は俳優の長谷川博己(42)が主演を務める「麒麟がくる」で、戦国武将・明智光秀の生涯を描く。

スポニチアネックス2019年09月09日17時41分

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20190909-0181

 さて渋沢栄一といえばどんな人か。

1840(天保11)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市)の農業や養蚕、藍玉の製造を手掛ける豪農の家に生まれた渋沢は、6歳から『蒙求』や『論語』などを習い始め、12歳からは従兄・渋沢新三郎のもとで神道無念流を学び、学術と剣術を両立させていく。そして、尊皇攘夷の志士として活動し、一橋家の家来となり、幕臣としてフランスに渡り、明治維新後は新政府への仕官を経て、実業家に転身。第一国立銀行、王子製紙、東京海上火災保険、帝国ホテル、東京証券取引所など500以上の会社設立に携わったとされる。

現在のJR深谷駅の英記者は東京駅と同じレンガ造りになっていて、そのレンガそのものをう作ったのが深谷市であるという。その深谷市の出身である。

一時尊王攘夷の孜々として戦ったあたりは様々な戦争などもあり、体験することになろう。その辺の戦争経験などや描写もあって、今年の「いだてん」とは違うとされている。

そしてその後明治政府に入りそして実業家に転進するのである。実業家としての実績はなかなか有名であるが、日本の場合そのような経済の歴史には非常にうとい部分が多く、政治の歴史で多くの人が名前を覚えるのである。そのために渋沢のような経済界の有名人というのは有名でありながらも、あまり目立たない。特に幕末の佐幕派志士が、明治政府以降になって、実業家に転進し、有名企業の父になっている人は少なくない。越後の河合継之助をみとった外山修造などは後のアサヒビールや阪神電鉄グループに深くかかわっているのである。

さて、そのような渋沢栄一を「吉沢亮」氏が演じるという。題名は『青天を衝け』。若き栄一が藍玉を売るために信州に旅したとき、険しい内山峡で読んだ漢詩の一節『勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征』(青空をつきさす勢いで肘をまくって登り、白雲をつきぬける気力で手に唾して進む)からとられた。

さて、この年は本来「足利尊氏」ではないかといわれていた。しかし、足利尊氏ではなく、日本の札の肖像画の変更に伴い、渋沢栄一になったといわれている。オリンピックに合わせて「いだてん」になったのと同じだ。そのような「政府の都合」で作られた大河ドラマがどうなるのか。非常に楽しみである。

宇田川源流

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