「日曜小説」 マンホールの中で 第二章 7

「日曜小説」 マンホールの中で

第二章 7

 責任とは何なのか。

今まさに次郎吉に「普通」ということを完全に否定されてしまった。いや、今までこのようなことを考えたことがなかったから、善之助には、考えなかったが次郎吉にこたえてゆかなければならない。ということは、次郎吉は普段からそのようなことを考えているのか。

それは「責任」ということに関しても同じだ。全く今まで考えたことはない。

「責任をもって仲間を助ける・その責任というのは何なのだ。」

 善之助は、聞くでもなく、訪ねるでもなく、独り言のように口から言葉が出てしまった。次郎吉は、目の前で不思議そうな顔をしているのであろうか、それとも、そんあな当たり前のことも考えたこともない老人を嘲笑しているのであろうか。口に出してしまってから気になってしまった。

「爺さん、しまったという表情をしたが。あれかい。責任ってことを今まで考えたことがないってことを知られたくなかったということかい」

 次郎吉は、別にあざ笑うわけでもなく、また、軽蔑している風でもなく、さも当然のことであるかのような、普通な、今までと変わらない口調で善之助に語り掛けた。

「ああ、この年になるまで責任なんてことは全く考えたことがない。普通ということも全く考えたことがない。次郎吉さん、あんたはしっかりとそれを考えているではないか。この差はかなり大きいのかもしれないと思って、恥ずかしくなっただけなんだよ」

 善之助は、次郎吉の落ち着いた物言いを聞いて、急に落ち着きを取り戻した。今さら「考えたことがなかった」ということを知られて、恥ずかしい思いをしたところでなんの恥ずかしいことがあるのか。目の見えないジジイが、真っ暗なマンホールの中で、それもこの男と二人しかいない状態で、なんの恥ずかしいことがあるのだろうか。実際に、今まで自分をさらけ出して全く裸のままの自分を見せたことがあるだろうか。よくよく考えてみれば、自分は自分自身の中に、何かほかの人格があって、その人格が「恥ずかしい」と思うことを自分で責めているだけかもしれない。他の人は全くそんなことは感じてないのに、自分一人で恥ずかしいという概念があり、また他の人と一緒だから大丈夫という安心感を生んでいる。つまり、実は「責任」も「普通」も自分で完結しているものでしかないのではないか。

「爺さん、そりゃ、泥棒とか、お天道様に胸を張って生きていけるような仕事についていなきゃ、俺も爺さんみたいに何も考えなくてよかったかもしれないよな。でも、こんな仕事して、普通に日陰だけで一人で過ごしていると、何が普通で何が普通でないのか、自分の仲間に対する責任っていったい何なのか、そういうことが全くわからなくなってくるんだ。だから、暇な時間は自分で考えないとならない。まあ、毎日泥棒に入っているわけではないから時間だけはたっぷりあるし、つるんで遊ぶような仲間もいないからな」

「それでも泥棒仲間みたいなものとか、なんかそのようなものがあるんじゃないのか」

 善之助は当然の疑問を話したつもりである。しかし、次郎吉は「うーん」と考え込んでしまった。そしてしばらくの沈黙の後、やっと重い口を開いた。

「まあ、爺さんたちは知らないと思うが、泥棒仲間の集まりみたいなものはあるよ。あとは何か盗んでくれとか誰かを困らせてくれというような依頼を請け負ってくれるような、まあ、仕事の斡旋業者のような人も少なくない。そうやって調整しないと泥棒同士が同じ獲物を狙って事故が来てしまったりするからな。」

「そうやって仕事を調整するのか」

「いや、調整するというか、まあ、泥棒同士の間で情報を公開するというような感じかな。俺よりも腕のいい奴が盗みに入るのに、俺がその前に入って失敗しても意味ないし、なんていうかな、レベルにあった仕事をやらないと意味ないしね。あとは、どこの金庫はセキュリティが甘いとかそういった情報の交換の場はあるんだ。でも、そのことでその集団に何か責任を感じるとか、狙っているものがかち合っているからといって、だれか元締めみたいなものがいて調整してくれるようなものはない。泥棒の世界は実力社会だから、師匠と弟子というような関係以外は、上下関係とか経験年数とか年功序列なんてものはないし、集団や仲間に責任を負うとか責任を感じるなんてものはない。だいたい『嘘つきは泥棒の始まり』なんて言われているんだから、嘘つくことも別に何とも思わないし騙されても、そんなものかと思うし。結局自分以外は全く信用できない世界なんだ。だから一般の人の言う普通でもないし集団や社会に責任を負うことはない。相棒とか仲間がいればそういう感じもあるがそういうのがないからね」

 責任を感じないことが寂しそうに言った。

「寂しいのかい。責任を感じないことが」

「ああ、爺さんがそういうことを考えたことがないというのが恥ずかしいように、俺は、そういうことを考えなければならない自分が少し寂しいんだよね。」

 次郎吉の本音である。

「爺さん、で、責任って何だと思う。俺も自分で考えたことはあるが他の人と答え合わせをしたことはないからね」

「そうだろうね」

「中には、責任なんか考えないような泥棒は少なくないし、人を殺めるような奴もいる。だから、責任とか話をしていると『弱い』と判断されてしまっていい仕事は来なくなる。そもそも泥棒なんて、あまり仕事にプライドを感じるような仕事ではないから、その仕事に責任感をもって任務を遂行するような話はないよね」

 次郎吉の言うとおりである。いや、善之助自身、先ほど次郎吉が泥棒という仕事にプライドを持っていたことに非常に驚いたばかりである。あまり普通という言葉を使いたくはないが、普通の泥棒は次郎吉のような高潔な仕事をする人ではないのかもしれない。ある意味で泥棒の社会の中にも個人差があり、その個人差がかなり大きな問題になっているのかもしれない。

 善之助はやっと自分の考えを自由に話せるようになった気がした。

「私が考えるところ、『責任』ってのは、ある意味、自分の中に社会的な自分がいて、その自分が恥ずかしいと思わないように自分に負荷をかけていることではないかと思うんだが」

 善之助は先ほど考えたことを言った。いや、それしか出てこなかった。

「なるほど、ということは俺は、死んだ相棒と社会を持っていて、その社会の立場の自分がいたということかい」

「ああ、二人でも社会は社会だろう」

「そうかも知れないな。でも俺の考えはちょっと違うんだ。聞いてくれるかい」

「もちろん」

「責任ってのは、爺さんの言う通り、自分の中にいる何らかの社会の目みたいなものがあるというのは確かにその通りなのかもしれない。しかし、それであれば、責任というのは画一的でなおかつ社会の目という多くの人が感じるものになる。しかし、例えば戦争になったりすれば、人を殺してはいけないという概念がなくなり、自分の家族を守るために、敵という人間を殺さなければならないという責任が出てくる。殺さないで、人を殺してはいけないという正義に責任を感じていては、今度は自分御家族がその敵に殺されてしまい、家族に対する責任が尽くされないことになってしまうんだ。」

 次郎吉はここで一呼吸おいた。少し善之助の表情を見ているのかもしれない。善之助は意識して、次郎吉に表情を読まれないように、自分の表情をこわばらせていた。驚きや、意外性を感じられないように、その方が、次郎吉が話しやすいのではないかと思った。いや、自分が話すならばそうに違いないと思ったのである。

 次郎吉はそんな善之助の表情のこわばった状況を確認すると、また、同じ口調でその言葉をつづけた。

「泥棒である俺なんかまったく同じで、人の物を盗んではいけないというのは、一般的な、そして法律にある社会的責任だろう。でも、社会的に法律で罰することのできない偽善者の資産を盗んで、社会的に貢献することは、本来は誰かがしなければならないこと。それこそが正義であるはずだ。その正義を行うことこそが、本来の『責任』だと、ちょっとカッコよすぎるかな」

 次郎吉は、最後は自分のテレを隠すように言った。

「確かに、何に対してどのような責任を負うのか、それが異なるということだな。そして、その責任は、自分が何を最も重要視するかで変えてゆかなければならない。それによって行動が変わってくるというようなことになるのだろうな」

 善之助はなんとなくまとめたような感じである。

「爺さん、何も爺さんの『責任』と、俺の『責任』が同じじゃなきゃなんないということではないと思うんだよ。人それぞれでいいんじゃないかな。そんなことではなく、当たり前とか普通とされていたことを、一回自分で考えてみる。そういうことが大事なんだと思う。そのうえで、相手と自分が考え方が異なるということがわかっていればいいんじゃないかな」

 確かにそうだ。年齢を重ねている次郎吉にしてみれば、何から何まで次郎吉に教えてもらっているような感じだ。年齢は自分よりは若いのであろうが、それでもかなり素晴らしい感覚の持ち主である。このまま泥棒にして日の目を浴びさせないのは社会の損失ではないのか。善之助はそのように思ってしまった。

「ところで次郎吉さんは、ここから出たらどうするんだい」


宇田川源流

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