「宇田川源流 日本万歳!」 来年の大河ドラマ「麒麟がくる」の第三次キャストが決まることへの日本人の「歴史への招待」
「宇田川源流 日本万歳!」 来年の大河ドラマ「麒麟がくる」の第三次キャストが決まることへの日本人の「歴史への招待」
毎週月曜日は、とか言っていたのだが、先週は裏切って「お盆特有のエロ」を書いてしまったので、二週間ぶりの「日本万歳!」ということになる。日常の何気ないことや、ちょっと気になることを深く解釈し、日本は素晴らしいということを改めて認識するということを、この連載では主題にしている。本来は先週もやりたかったのであるが、まあ、その辺は私も休みがほしいということでお許しいただきたい。
さて、本日の話題は「NHK大河ドラマ」である。
政治の世界では「NHKから国民を守る党」が話題になっているが、そこは「NHKのあり方」とか「NHKの視聴料の問題」であり、報道などの内容のものに他ならない。もちろん、ドキュメントや、バラエティなども現代社会を風刺しているものに関しては、その内容が入るものと思われるが、さすがに「戦国時代の問題を取り上げるな」というようなことまでは主張しているとは思えないのである。そこで、そのような政治の話を別にして、今回は、あえて「NHK大河ドラマ」を題材に挙げて「日本万歳!」とやってみたい。
そこまで書きながらこのようなことを言うのはおかしなものかもしれないが「ドラマなんて民放テレビでよいのではないか」という気がしている。しかし、「民放テレビ」はあくまでも株式会社であり、営利を目的に事業、つまりドラマ制作やその放送を行うものである。そのうえで、その内容はスポンサーによって左右されてしまうことになる。
もちろん、歴史の解釈というのは、「すべての人に江青」ということはできないし、ドラマなどというのは、基本的には架空のものであるから、制作者、つまり、監督や脚本家、原作者や演出家、そのほか役者などの解釈によって異なるものであるし、また、その個人的な解釈の集積がドラマであって、その解釈には公共性があるとは思えない。
しかし、そもそも歴史なんてそんなものではないのか。つまり、「歴史」そのものがある程度資料であり、ある程度事実であるが、しかし、「現生の人々の解釈論」でしかない。その解釈をうまく使うかどうかは現在の問題であって、歴史の中にある解釈論を個別に問題視するものではない。
その一つの解釈が、NHK大河ドラマになると考えればよいのではないか。
長谷川博己主演 来年大河「麒麟がくる」新キャストに尾野真千子、向井理、風間俊介
NHKは俳優・長谷川博己(42)が明智光秀役で主演する2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」(来年1月スタート、日曜後8・00)の新キャストを7日発表。尾野真千子(37)、向井理(37)、風間俊介(36)、伊吹吾郎(73)が出演することが明らかになった。
尾野が演じるのは伊呂波太夫(いろはだゆう)。京の戦災孤児・駒が、東庵に引き取られる前の幼少期に預けられていた、旅芸人の女座長の娘。今は一座の座長になっている。全国各地を一座でまわり、諸国の有力大名や京の公家に顔のきく不思議な女性。「伊呂波太夫は架空の人物で、みなさんもどういう人かわからないと思いますが、今度いつ出てくるのかしら、次はどんなことをしでかすのかしら、そんな風にワクワクしてもらえるような人物になればいいなと思っています」とコメントした。
向井は室町幕府第13代将軍・足利義輝役を演じる。父・義晴とともに、混迷する京の情勢に翻弄され、近江と京を出入りすることを余儀なくされた悲劇の将軍。三淵藤英を通じて、光秀と知己を得る。
「時代劇というものに初めて出演させていただいたのは、大河ドラマ『江』でした。着物や所作、話し方など本当にゼロから教えていただき、とても深く覚えています。それからドラマや映画、舞台などで時代劇に出演させていただくようになりました。また、今回の脚本の池端先生には以前『そろばん侍』というドラマでお世話になっております。ある意味自分にとっての時代劇の原点である大河ドラマに参加出来ること。あの時の恩返しができればという思いです」と意気込みを語った。
風間が演じるのは徳川家康。「震えています。歴史上、数々の偉人がいますが、その中でも徳川家康を演じさせて頂ける日が来るとは。家康は、ある作品では温厚な人格者、ある作品では狡猾で残虐な男と、今も多面的に捉えられている人物なので、今回どのように描かれるのか、どのように演じられるか、今から楽しみです。考えれば考えるほど身体と心が震えますが、これは武者震いです。大きく息を吸い、この震えが治まった時、家康のように広い目を持って撮影に挑みたいと思います」と誓った。
また、伊吹は東海最強の戦国大名、今川義元の軍師・太原雪斎役を務める。「昭和から平成そして令和と大河ドラマに出演させていただけること、誠に嬉しく思います。この度、賜りましたお役、太原雪斎は、今川義元の参謀と周知された人物。スタッフの皆さんと、心を合わせ力一杯演じさせていただきます」とコメントした。
「麒麟がくる」は大河ドラマ59作目。29作目「太平記」を手掛けた池端俊策氏(73)のオリジナル脚本で、大河としては初めて智将・明智光秀を主役とし、その謎めいた半生に光を当てる。物語は1540年代、まだ多くの英傑たちが「英傑以前」であった時代から始まり、丹念にそれぞれの誕生を描く。
同作はすでにクランクインしており、これまでに光秀が京で出会う娘・駒役の門脇麦(26)、三河出身の農民・菊丸役の岡村隆史(49)、叔父・光安役の西村まさ彦(58)、光秀の主君・斎藤道三役の本木雅弘(53)、その娘・帰蝶役の沢尻エリカ(33)、織田信長役の染谷将太(26)、織田信秀役の高橋克典(54)、医師・望月東庵役の堺正章(73)、斎藤義龍役の伊藤英明(44)らの出演が発表されている。語りを歌舞伎俳優の市川海老蔵(41)が務める。
スポニチアネックス2019年08月07日15時04分
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20190807-0125
さて、このNHKの大河ドラマが、なぜ「日本万歳!」なのか。
実は「歴史を解釈し楽しむことができる」というのは、日本のような一つの王朝でなおかつその歴史がずっと続いていて、安定しているということが大きな話になる。王朝、つまり現在の天皇家が続いているということは三つのことが成り立っている証明になる。一つは「外国からの侵略がない」二つ目は「庶民や下層民衆からの革命がない」そして三つめは「制度と文化が継続している」ということである。
外国からの侵略がないということは、それだけ安定しているということだけではなく、日本の防衛がしっかりしているということになる。単純に元寇の時の神風のような話があるだけではなく、日本の武士の魂などがしっかりしていたということになる。またもう一つ言えることは、日本国内の武士に裏切る人がいなかったということになる。古代であれば「磐井の乱」のようなものがあったが、中世、例えば平清盛が日宋貿易をしていたとしても、そのことで国を売るようなことはなかった。そのように考えると、日本人が「日本を売る」というようなことは全くなかったということになる。それだから「NHK大河ドラマ」で「日本国内だけの歴史」をドラマとして描くことができるのである。
第二に「革命がない」ということになる。革命とは、基本的に民衆が上の権力者や権威者に対して、それをひっくり返すということになる。単純に、民衆側が、権威者や権力やより強くなるということである。それは、「強くなる」という言葉の中に「経済的」「武力的」というだけではなく、いやそれ以上に、「人望的」「権威的」「カリスマ的」に強くなっているということにならなければならない。フランス革命を見てみれば、ルイ十六世が政治がダメで、それでも改革などを行わなかったことによって人望を失った。そこにロペス・ピエールのような、人心を収攬する指導者が出てくることによって革命が起きるのである。そのように考えれば、少なくとも日本の場合、「天皇の権威」が「民衆の権威」よりも落ちたことがないということになる。それもこうきでいえば2700年近く、天皇・王朝の権威が大きかったということを意味し、同時に、そのことは、それだけ天皇の政治がうまくいっていた、天皇の政治に、少なくとも「革命を起こさなければならないと思うほどの不満または生活苦」がなかったということになるのである。
そして「文化の継続」である。つまり、それらの価値観や考え方が、そのまま継続しており、日本国全体に広がっている。単純に、その反対派がゼロになることはないにしても、逆に過半数を切ることもないということになるのである。
まさに、そのような「統一の神話・統一の王朝・統一の文化」を持っていることが、日本の強みであり、それを平和的に継続しているので「ドラマ」ができるのである。そうでなければ、征服王朝がよいのかなど、様々な問題を提起することになってしまうことになる。
何気なく「NHK大河ドラマ」といっているが、まさにその中にはそのような意味が隠されている。そして、その「隠されている意味を意識しないでもドラマを楽しむことができる」ということが、最も素晴らしいのではないか。支配されている。統治を受けているというような認識がないことが、国民の自由がありそして、その内容をうまくやっているということになるのである。その恩恵を受けているということになるのである。
ああ日本はなんて素晴らしいんだろう。
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