「宇田川源流 日本万歳!」 風や雷という自然現象を神と考える文化を世界の人々が集まるオリンピックの記念コインにする日本人の素晴らしき感覚
「宇田川源流 日本万歳!」 風や雷という自然現象を神と考える文化を世界の人々が集まるオリンピックの記念コインにする日本人の素晴らしき感覚
毎週月曜日は「日本万歳!」です。何でもよいこと、普段はあまりに気にならないことを取り上げて、日本のすばらしさを感じるブログです。「何でもないこと」ではありますが「つまらないこと」「くだらないこと」ではありません。日本人は、毎日同じことをしていたり、普段の生活や感覚の中に取り込まれていたりすると、日本人は「そんなのあたりまえ」といってすごいことではないというように認識している。
あまり良い例ではありませんが、怪我で歩けなかった人(私も経験があるのだが)が、ギブスが取れて自分の足で歩けるようになった時に、「歩けるってすごい」と思う。ほとんどの人がそのように感じる。私自身もそのように感じたので間違いはない。しかし、普段歩いているときというのは歩けることがそんなにすごいことではないというような感じで考えられている。つまり、歩くことは「当たり前」であって、あまり感動するような状況ではないのである。しかし、その「当たり前」こそ「すごい」のであって、そのことがわからない人が多すぎるのである。
日本には、諸外国から見て「すごい」ということがあまりにも多すぎる。日本人から見れば、そんなことは「当たり前」なのであるが、それがすごいのである。いや、「意識せずにそのことが出来ていることがすごい」のである。例えば電車に乗る時に並ぶ。行列ができる。この「行列に割り込まない」ということでも、そのような習慣がない国々の人々からすればかなり大変な話なのである。それを意識しないでできていることがすごいのだ。上海の万博が2010年にあったと思うが、パビリオンに並ばせるために、つまり割り込まなくさせるために中国がどれほどコストをかけたかわからない。まさにそのコスト分が日本では何もしないでもできるのである。
そのように考えると、「何でもないこと」こそ、非常にすごいのである。
今回もそのようなすごいことを見てみよう。
東京オリンピック記念500円硬貨の図柄、投票最多の「風神雷神」で決定
Twitter投票などで最多得票だった「風神雷神図屏風」に決定。
財務省は7月29日、2020年東京オリンピック・パラリンピックを記念して発行する500円硬貨の図柄について、Twitterなどで一般投票を実施した結果、最多だった「風神雷神図屏風」を採用すると発表しました。貨幣の図柄を一般投票で決めるのは初となります。
3つの候補から選ぶ一般投票を実施していた
投票総数6万6318票のうち、「雷神」は2万8741票(43%)を獲得。次いで「国立競技場」(2万1053票)、「富士山」(1万6451票)を上回りました。
「雷神」の図柄は、日本を代表する芸術作品として、俵屋宗達の作品とされる「風神雷神図屏風」(17世紀)をモチーフに採用しています。オリンピック記念硬貨が「風神」、パラリンピック記念硬貨が「雷神」を、それぞれ表面にデザインしています。
記念500円硬貨はオリンピックとパラリンピック各1種類ずつ。21年度上期に刷新される新500円硬貨にも採用される、2色3層構造の「バイカラー・クラッド貨幣」となります(関連記事)。20年7月ごろに金融機関で引き換えできる予定です。
図柄は3案を用意し、6月に約1週間、財務省の公式Twitterアカウントなどで一般からの投票を受け付けました。
ねとらぼ 20190730
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1907/29/news105.html
さて今回は、来年2020年の東京オリンピックの500円記念硬貨についてである。
まあ、どの国でもオリンピックなどのイベントがある場合には、「記念硬貨」や「記念切手」を出すのであるが、その中で最も票数が多かったのが「風神雷神図屏風」であったという。
新しい国立競技場や、富士山を抑え、上記の中では全体の43%を得票したという、
さて、日本人の感覚として「風神雷神」といえば、ここの記事にあるように俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が想像できる。当然にそこには鬼の格好をしているような、いわゆる「雷様」といわれる、自分の体の周りに太鼓のようなものをまとい、または大きな袋で風を送り出している「神」の姿が見えている。ヨーロッパのような完全に擬人化された人々ではないし、また、鬼という「特異な存在」、日本人とは異なる「マレビト」の姿を象徴した「鬼」の姿をしているということになる。
ところで、海外において「台風」や「雷」というのは、災害の中に入るのではないか。もちろん地震や津波などのような大規模災害とは異なるものの、それでも自然災害の一つであり、風が吹くということに関して、そよ風ならばよいものの、台風のようなものに関しては人間は「風に悩まされる」という存在であったはずだ。しかし、日本人はこれらも「神」としてしまい、なおかつ、その神を擬人化して、描き、そしてその神の姿を書いた屏風を芸術品として、多くの日本人が認識しているということになるのである。まさに、「災害」であっても、それが人間のすぐ隣にいる友人であるかのような解釈を行うものである。これは海外の文化ではなかなか見つけることはできない。
まさに「自然現象すべてに神が宿り、そしてその存在に意味がある」ということこそ、日本人の素晴らしい考え方である。先ほども書いたが「そよ風」も「台風」も神の仕業であり、良い行いをしていれば風神はそよ風をよこし、悪ければ、台風を出す。また、雷神も同じで、雷神がしっかりとして、「雨が降らなければ人間は水不足で死んでしまい食料もなくなってしまう」のであるが、逆に「多すぎれば洪水が起きてしまう」ということになる。
つまり、日本人は「適度」ということを知っており「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということをよくわかっているのである。まさにそのことが、日本の神々ということでは見えてきていて、その日本の神々が、オリンピックというところで、外国の人々に広められる。もっと言えば、記念コインという限定的なものであるにせよ、日本の神々や死生観、そのすばらしさが、今回多くの人に認められ、そしてオリンピックの場で、世界各国に示す日本の誇らしい文化として、紹介される機会を得たということである。
もっと言えば、その素晴らしさをわかっている人が、日本の、もちろん投票した人の中ではあるにせよ、日本人の中の43%もいたということであり、そこまで意識していないにしても一神教の外国では神の試練としかならない災害や自然現象を、神として扱い、まつる文化、そしてそれを理解している日本。それだから西洋のように「自然を克服する」となるのではなく「自然と共存する」という考え方になるのである。そしてこれからの世界は、そのような「共存共生」の考え方こそ主流になるべきではないのか。
来年のオリンピックでではそのような強いメッセージを世界に日本初で発進してもらいたい。
ああ、日本は素晴らしい。
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