「宇田川源流」 日本の伝統文化を守るのはだれか?ということに答えを出せない日本の報道に疑問
「宇田川源流」 日本の伝統文化を守るのはだれか?ということに答えを出せない日本の報道に疑問
現在福岡ではG20財務相会議が行われており、世界の経済が話されているし、また、日米首脳会談の後アメリカの大統領はイギリスに行き、ノルマンディ上陸作戦、いわゆるD-DAYの75周年記念式典に出席し、イギリスでの反発や歓迎の入り混じった状況に生まれている。
また米中貿易戦争もかなり進んでいるし、そろそろ参議院選挙でさまざまな部分で慌ただしくなっているところであることは間違いがないであろう。
もちろん、それらのニュースもしっかりとやってゆかなければならないのであるが、「宇田川源流」となってから、そのようなニュースばかりではなく「日本をどのように思うか」ということを考えてゆきたいと思っているのである。
さて、そのような中で私が日ごろから思っているのは、日本のマスコミの稚拙さである。日本のマスコミは、偏った見解しか見ることができないとか、自分たちの正義が全体の正義であるかのような壮大な誤解をしているということもさることながら、それ以上に大きな問題として、「無責任な批判」と「解決策のない非難」そして「集団いじめを楽しんでいるかのようなハラスメント報道」というような感じで、見ていてまたは読んでいて非常に不快になることがある。まさに、今回もそのような内容ではないかと思う。
そもそも、日本の伝統工芸がダメになったのは何なのか。一つは、政府の政策であり高度経済成長と、それに伴う核家族化、そして、その時に日本の農村や伝統など「古いものを省みない政策」ということが大きな問題であった。しかし、一方でそれを煽り、「消費は美徳」「三種の神器」などといって消費性向をあおり、なおかつそのための工業化を推進し、そして、農業や伝統工芸、伝統芸能、口承伝承をすべて無視し、注目しなかったのは日本のマスコミではないのか。そのようなマスコミに乗せられ、なおかつ、都会の風景ばかりドラマなどで垂れ流し、田舎の美しさなどを全く作らなかった(ドラマなどは視聴率の問題で都会に住んでいる人の共感を得るために作ったために、農村部などを題材にすることが少なかった)という「視聴率至上主義」による「田舎などの重要性を報道しない自由」があったのだ。
そのマスコミの自分たちの反省点を全く考えない、単純な批判報道があまりにも多く、そのことによって守られるものも守られなくなっているのではないか。
手すき和紙業界に大打撃 トロロアオイ農家が生産中止へ
伝統的な手すき和紙づくりの存続が危機を迎えている。生産に不可欠なトロロアオイを栽培する茨城県小美玉市の農家5戸が、来年で作付けをやめる方針を決めたからだ。この5戸で全国生産の7、8割を占めており、和紙生産者には大打撃になりかねない。
■「もう無理、割に合わない」
作付けをやめる最大の理由は高齢化だ。5戸の農家はいずれも60代~70代半ば。昨年、全員で協議のうえ「これ以上続けるのは難しい」と判断した。昨秋の出荷の際、2020年秋以降は生産できないと伝える文書を添えた。
最年少の田上進さん(63)と妻の敏枝さん(60)は、ジャガイモなどの野菜とともにトロロアオイを栽培する。年齢もあり、最も多く作付けしていたときの半分の約15アールに減らした。「要望があるので続けてきたが、もう無理。体はきついし、(収入を考えると)割に合わない」と心境を明かす。
トロロアオイはアオイ科の植物で、秋に収穫する。根からつくる「ねり」は手すき和紙づくりに欠かせない。日本特産農産物協会のまとめでは、16年度の国内生産量の87%(17トン)、17年度の同67%(13トン)を、小美玉市小川地区で栽培している。
栽培が大変なのは機械化が難しいからだ。商品となる根の部分を太くするために新芽を摘み取る「芽かき」は、夏の炎天下に手作業で行う。農薬に弱く除草剤が使えないため、草取りも手作業だ。重労働が嫌われ、繁忙期のパート従業員を集めるのにも苦労しているという。
同市では約30年前、約50戸が栽培していたという。その後減り続け、ここ数年は、和紙生産者の需要を満たせない状態が続いてきた。以前から農協に苦境を訴えてきたが、国や県から補助金などの支援はないという。
田上さん夫妻は「買い取り価格が倍になったとしても、子どもの世代に続けてくれとは言えない。和紙という伝統産業を守るのなら、支えている農家にも目を向けてほしい」と話す。
朝日新聞2019年06月09日16時30分
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/asahi/business/ASM664G74M66UJHB00L?fm=topics
和紙といえば、実際に岐阜県や京都府などが非常に大きな内容になっているものの手すき和紙の伝統は日本全国にあった。当然い和紙は、林業が盛んでなおかつ水がきれいなところでしか作れない。そのために、山間部で水がきれいな場所の産業というようになっているが、実際に、その原材料はかなり大きなものであったに違いない。
しかし、工業作られる紙が多くなったために、和紙などが特殊な事情でしか使われなくなってしまい、なおかつ、毛筆文化からペン文化、そして、最近では私も使っているがパソコンやメール・スマホによって紙すら使わない生活形態になっている。
この紙を使わない生活習慣そのものをマスコミがあおったということを言うつもりは全くない。便利で楽しい方に人が流れるのは当たり前のことである。要するに、文化や社会の流れをマスコミに止めることができないのはよくわかる。
しかしである「作付けをやめる最大の理由は高齢化だ。5戸の農家はいずれも60代~70代半ば。昨年、全員で協議のうえ「これ以上続けるのは難しい」と判断した。」<上記より抜粋>
要するに、上記にも書いたが、高度経済成長、そしてマスコミで都会の華やかな生活ばかりを扱って報道している現状を全く反省もなく、農業の高齢化や農村地の過疎化、高齢化を問題にすること自遺体が大きな問題である。何しろマスコミは「手遅れになって事件になってからしか報道し無い」のである。その前に「事件にならないように予防的な報道をしなければならないのに、そのことができないのが日本のマスコミ」ということになる。はっきりいって、マスコミだけが悪いわけではないが、マスコミ報道の先見性のなさや、見識の欠如が目立つことになる。「事件を起こさないために金を使わず、事件ができてから大騒ぎする日本」の典型例がマスコミであり、その後政府に責任転嫁をする悪辣さである。これでは話にならない。
以前から農協に苦境を訴えてきたが、国や県から補助金などの支援はないという。<上記より抜粋>この文章に用に「問題は高齢化」といいつつ、また、祖の高齢化を避けるための問題提起も、農村の素晴らしさを伝える報道も全くせずに、「政府の補助金」ということで、政府批判をする。はっきり言って、責任転嫁もはなはだしいものではないか。
このような事態を避けるために、まずマスコミは何をするのか?
また朝日新聞であるが、朝日新聞は日本の伝統文化を守るために何をするのか?
そのことの表明が先ではないのか?
何でもかんでも政府の非難をしていれば満足なのか?
それくらいのこともわからない読者しかいないのが朝日新聞なのであろうか?
では、伝統文化は国が守るのか?人が守るのか?
その辺のこともわからないのが今のマスコミなのである。
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