「宇田川源流」 現在大河ドラマの話で光秀を追いかけている私から怪しい町おこしに関して一言

「宇田川源流」 現在大河ドラマの話で光秀を追いかけている私から怪しい町おこしに関して一言

 「町おこし」を行うときというのは、何かのテーマを決めて、そのテーマに合わせて産業や街の雰囲気を「寄せて」行くというような感じになるのではなかろうか。そのように考えた場合、町おこしそのものは、町がなく「街そのものをテーマパーク化」するということが必要になる。

その時に「何にテーマを設定するか」ということが非常に重要になってくる。そんな町おこしの例の中から面白いものが記事になっていたので紹介してみたい。

なんと兵庫県福崎町で「かっぱ」をモチーフにした町おこしをしているという。なぜならば、その町が柳田国男の生誕の地であるからという。

何かが大きく間違っている気がするのは、柳田国男は「妖怪の研究者」ではなく「民俗学の研究者」である。その民俗学の中で「口承伝承」つまり「口伝えで物語や民話などを語り、そして伝えてゆく」ということが研究されるということになる。民俗学というのは、まさに「文書や形がない日本の庶民の文化の研究」であって、その「伝承」の中に、妖怪が入ってくることがあるというだけでしかない。

もちろん、民間伝承の中には、様々なものがあるが、その中で神々に関することや妖怪に関することは少なくない。それは昔、科学が発展していないかったことによって、自然現象でもそのほかのことでも、人間ではわからなかったことが少なくない。人間はそれをわからないままにすることはなく「神々の仕業」「妖怪の悪行」などとして納得していただけではなく、同じようなことが起きないように、その場所や同じ行為を「禁忌」として、行わないようにしたのだ。そして、そのことが世代が変わっても問題がないように、交渉伝承として妖怪や神々を使って伝えていたのである。

禁忌が多い地域ではそれだけ妖怪が多くなる。妖怪が出るところには危険がある。例えば河童。河童がいるということは当然に、そこには水がありなおかつ子供などがその水に嵌っておぼれてしまうリスクが高い。そこで、河童という妖怪を出して「近づいてはいけない」というようにしたのである。

その口承伝承の研究家である柳田国男の成果だからといって、口承伝承ではなくその一部でしかない妖怪をモチーフに町おこしをするというのはいかがなものであろうか。

柳田先生に叱られる?“妖しい”町おこし その真意は

 兵庫県福崎町で、地元出身の民俗学者柳田国男(1875~1962年)にちなみ、妖怪像を使った町おこしが始まって丸5年がたった。町内に置かれた像は20体。県内ワースト3だった観光客数も順調に伸びた。ゆるキャラ全盛時代に怖がらせる路線で盛り上がる一方、「仮に柳田が見たら叱るでしょうね」とは妖怪研究の専門家。聞けば、妖怪に対する根本的な「誤解」に行き着く。妖しいまちづくりの展望やいかに。(井上太郎)

 2014年、柳田の生家が残る辻川山公園(同町西田原)に、池で浮き沈みする不気味なかっぱ人形を置くと人気を集め、町は次々と妖怪像を増設。今年3月にも「こなきじじい」「油坊(あぶらぼう)」「すねこすり」などの4体が新設された。

 この大型連休中も「妖怪ベンチマップ」を手に写真を撮る家族連れが目立った。たつの市への帰省前に子ども2人を連れて来た宇都宮市の男性会社員(44)は「リアルな容姿が大人にも楽しめる。全部見て回りたい」と先を急いだ。

 だが、そんな町のシンボルを冷静に見る人もいる。初めて妖怪の論文で博士号を取った「妖怪博士」、兵庫県立歴史博物館の香川雅信学芸課長(49)は「柳田は妖怪の姿形や印象の固定化を嫌った。『造形なんてもってのほか』との指摘が聞こえてきそう」と話す。

 説明によれば、柳田は妖怪を「小豆を洗う音」「砂がかかる」など現象として捉え、農村地域の信仰を研究する手がかりに重宝した。文学や絵画に登場する分かりやすい妖怪を「絵空事」と切り捨て、著書「妖怪談義」では、かっぱの小説を書いた芥川龍之介や泉鏡花を「かっぱを馬鹿にしてござる」とくさした。

 「特徴的な容姿が定着した現代の妖怪は、99%が誤解でできている」と香川課長。実際に、同町には「柳田先生に対する冒とくだ」との抗議が大学教授から寄せられたこともあったという。

 だが、同町は19年度以降5年間で計25体の妖怪ベンチ増設を目指し、当面は造形路線をひた走る様子だ。担当者は「気軽に訪れた人たちが、妖怪や民俗学について『本当はどうなんだ?』と深掘りしてくれれば成功だ」と強調する。

【柳田国男】神東郡田原村(現兵庫県福崎町)生まれ。農政官僚時代に視察や講演旅行をする中で、民俗への関心を深めた。民間伝承を集め、日本民俗学を確立。民俗学の父とよばれ、著作「遠野物語」には河童(かっぱ)や座敷わらしなどが登場する。

2019/5/22 16:00神戸新聞NEXT

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201905/0012354483.shtml

 もちろん、柳田国男の生家があるということから、その研究内容である妖怪を扱うということが間違いとは思わない。柳田国男という人物にスポットライトを当てた場合、その人物が育った環境やその人物の感じた空気などをクローズアップすることによって、同様に民俗学に目覚める人がいるかもしれないし、また、そこまでいかなくても妖怪や、民俗学、口承伝承や伝統芸能ということに、多くの人が興味を持つかもしれない。似たような環境を用意することによって、似たような素質を持った人の覚醒が期待できるし、また、そこまでいかなくても柳田国男の功績を見ることが可能になる。

しかし、それは「柳田国男の民俗学」を十分にわかって、そのうえでその一部分を表示するということでなければならず、一部だけをクローズアップして全体を表示しているかのような錯覚を起こしてはいけないのである。

現在、京都府亀岡市において明智光秀の話をしているのであるが、それは明智光秀の関連に関して様々な資料を読み、そして様々な資料を研究し、明智光秀だけではなく、その時代やその敵になった人々、当時の環境や食文化など、その周辺のことをすべて研究したうえで、例えば本能寺の変や亀岡市に関係のあるところだけをクローズアップする。

これは、なぜ亀岡市に当たる場所で、当時明智光秀がそのような行動をとったのかということが納得行く説明がなければ、観光客も他の人も誰も納得できないということになるからである。そして納得できない人がいては町おこしとしては失敗なのである。

兵庫県福崎町の場合は、そのへん、しっかりできているのか。つまり、表示は一部つまり河童であってもよいが、そこに河童がある意味や、あるいは河童を取り巻く全体の条件、つまり柳田国男の関係などを、興味のある人がいればわかるようにしておかなければならないのである。

柳田は妖怪を「小豆を洗う音」「砂がかかる」など現象として捉え、農村地域の信仰を研究する手がかりに重宝した。文学や絵画に登場する分かりやすい妖怪を「絵空事」と切り捨て、著書「妖怪談義」では、かっぱの小説を書いた芥川龍之介や泉鏡花を「かっぱを馬鹿にしてござる」とくさした。<上記より抜粋>

実際に、本当に柳田国男を知る人またはそれと同じように民俗学を知る人、研究する人がいれば、問題はなかったはずだ。素人が思い付きで行うということが最も大きな問題になる。そのうえ、福崎町の場合は「施設」(オブジェを含む)の設置だ。つまり「箱もの」である。そのような固定化をすることがなぜ起きたのか。その様うが簡単に、金になるからである。

本来であるならば、民間伝承としての民話などを話すソフトの対応をすべきであったのではないか。「知っていて行う」のと「知らないで聞きかじりで行う」のは大きく違う。そのことがわかれば様々な話ができたはずだ。町おこしの失敗は、「中途半端な知識」「固定化されたイメージ」「箱もの行政」であるが、その条件に合わさってしまっているのではないかという気がしてならない。

宇田川源流

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