「日曜小説」 マンホールの中で  序章

「日曜小説」 マンホールの中で

 都会の夕暮れは、世の中の汚いところをすべて茜色に染めていくかのように見える。実際はコンクリートの城や窓ガラスが幾重にも茜色の夕陽を反射し、茜色を濃くしているだけなのであるが、そのことがより一層、夕陽の当たらない都会の片隅の汚いところを黒いカビのように目立たせていた。そのカビが徐々に都会一面に広がって茜色を駆逐し、そして都会は闇に包まれるのであるが、それまでの一瞬、夕陽が都会を覆いつくすのであった。

 晩夏といっても、ここ数年は、異常気象の影響で季節の違いも薄く、四季の移ろいもあまり感じなくなってしまった。そういえば、春の期間が短く、雪が解けたと思ったらいつの間にか夏になっていたような気がする。それは東京や大阪のような大都会だけではなく、ここのような地方の都会でもあまり変わらない状態であった。

 この日も道を行き交う人々は、顔に汗を流し、暑さで疲れた表情を歪めながら、それでも何かに追われているかのように足早に過ぎ去っていった。

「なぜ最近の若い者はあんなに急いでいるのだ」

 吉崎善之助は、白いステッキで地面をたたきながら恨み言のようにつぶやいた。この盲目の老人だけではなく、街をゆっくり歩いている人や、子供たちにとっては、大地の怒りを一身に浴びてくるってしまった水牛の群れのような恐怖を感じる。

昔はどんなに忙しい中にも、人間味を失った人はいなかった。子供や老人が通っていたら、その人々を避けるのは当たり前で、中に子供に笑顔を見せたり、老人に軽く会釈するような人もいたのだ。現代の若者たちは、なぜか自分たちが報酬を得て働いていることが、社会に強制的に働かされてしまい、自分の意志や人間としての心も失ってしまったかのような、感情のない「就労マシーン」になってしまっている。

 そしてそのマシーンは、徐々に人間の感情を失ってしまい、自分以外が見えなくなってしまっているのだ。そして、自分自身が徐々に社会の汚れに染まってしまっていて、まるで夕陽の茜色に汚くなった自分自身を消されてしまわないように、光に背を向けて逃げるように足早に過ぎ去ってゆくのである。

「い、痛てえなあ、なんだよ」

 そんな、町の中御汚れになってしまった一人の若者が、善之助にぶつかって倒れた。迷惑そうに言うと、善之助の方にいかにも不満そうな顔を向けた。耳に入れたイヤホンを外し、敵意を持った目でにらみつけた。

「な、なんだお前は」

「なんだ、爺さん目が見えないのか」

 ぶつかった相手である善之助の手に握られた白いステッキを見ると、まるで、自分まったく悪くない「貰い事故」をしたかのような不運であるというような顔をして立ちあがった。

「目が見えないのにこんな時間に歩くなら、せいぜい気を付けろよ」

 若者は、吐き捨てるように言うと、服についた汚れを払って足早に立ち去った。

「全く、運が悪いなあ」

 最近では目の不自由な人など「弱者」といわれる人々を揶揄している所をSNSにあげられてしまうと、自分が社会全体の敵であるかのように炎上してしまう。対等な人間であれば何を言ってもよいが、弱者となると、当たったこちらが悪くなってしまうのだ。

「なんだその言い方は」

 善之助は怒った。しかし、その声もイヤホンで遮ってしまい、若者はそのまま立ち去ってしまったのだ。

「全く、最近の若い者は、何なんだ」

 善之助は、何とか起き上がると、足元に落ちている白ステッキを手に取った。その間に何人もの人が横を通り過ぎたが、すべての人が善之助を障害物であるかのように、迷惑な粗大ごみが置いてあるかのように、全く善之助を手伝うそぶりもなかった。触らぬ神に祟りなし、都は良く言ったもので「弱者」というのは、一度助けてしまえば、とことんまで自分を犠牲にしなければならないかのような感じがするのであろうか。妖怪「こなき爺」か、江戸七不思議の「おいてけぼり」か、いずれにしても付きまとわれてしまうと困るような感じしかしていないのである。

「まったく、世知辛い世の中になったものだ」

 善之助は、いつものことながら、何か現代の世の中の世知辛さを感じていた。


 交差点では道路工事の業者が集まっていた。

「本隊はどうした」

 親方と思われる中年の男は、ワゴン車から出てきながら、周囲を見回していった。

「渋滞で遅れているようです」

 同じワゴンの助手席から出てきた若者が親方の前で報告をする」

「どの辺にいるか電話しろ」

「はい」

「他の者はコーン立てて現場の準備をしろ」

「あい」

 ワゴンからあと二人が出てきて、ワゴンの後ろから赤いコーンと工事の標識を出してきた。街を歩いている「就労マシーン」とは全く違い、何か生き生きとした息吹を感じるやり取りである。ちょうど近くを通りかかった善之助は、何かにつられるかのようにその交差点の方に向かっていた。もともと、時間などはあまり気にしない性格であるし、また、目が見えなくなってから、時間のことを言うものはいなくなった。先ほど若者に当たられ、粗大ごみのように扱われた自分の悲しさを中和するかのように、工事現場に近づいていったのである。

「いつ来てもいいように早くやれよ」

 道路工事は、多くの人にとって迷惑な行為である。実際にそこで自動車の流れが止まり、そして、渋滞が起きる。「就労マシーン」となった若者もそうであるが、なぜか都会にいる人々は時間がないと感じているようである。渋滞などにはまると露骨に嫌な顔をする。しかし、そのような嫌な顔をされながらでも工事をしなければ、水道管が破裂したり、舗装が剥げて事故が起きたりとひどいことになるのだ。

「いや、ご苦労さんです」

 歩道のこちら側から、吉崎善之助は工事の親方に声をかけた。

「ありがとう。でも危ないからあまり近づかないで」

「いや、次青になったらわたって向こう側に行くよ」

 親方の隣にいた若者は、それを聞くと、善之助の目が不自由だから表情が見えないのにもかかわらず、にっこりと微笑みかけると、電信柱についた障碍者用のボタンを押した。

「音楽が鳴ったら歩いてくださいね。工事中だから手伝えないけどごめんなさいね」

 若者は、そういうと、規則正しく立った赤いコーンの横に黄色と黒の縞模様壁を立てた。いつ、本体のトラックが来てもよいように、準備を進めているのだ。

「いつまで待たせるんだ。おい、もう一度連絡しろ」

「はい」

 若者は、慌てて胸ポケットから電話を取り出すと、慌てて電話をかけていた。

 その時、信号が変わった。善之助は、先ほどのサラリーマンに比べて、活気も人間味もある工事業者の人々に、何か親しみを感じたのか、ゆっくりと横断歩道に出ると、少し彼らの方に顔を向けた。

 目が不自由といえども、完全に何も見えない真っ暗闇ではない。善之助の場合、明るいかくらいかと、その人などの影、そしてぼんやりとした色くらいまではわかる。ちょうどカメラのピントを完全にどちらかに振り切ったような感じだ。ソコにあるものの「像」が形を成さない状態で見えている。工事現場の人々も、まだかすかに残る茜色の中に、黒い大きな影が動いていることまではわかるのだ。ただ顔や人の形までは全くわからない。

 そんな人影を見て、なんとなく満足していた。

 その時である。

・・・・・・キー。キュルキュル・・・・・・

 ちょうどその交差点に信号を無視した車が突っ込んできた。工事の荷物を満載にしたトラックとぶつかって、赤いコーンを何本か弾き飛ばして向こう側で止まった。

「お、親方」

 数メートル弾き飛ばされた親方や、数名の仲間のもとに、電話をかけていた若者は、周辺の人から見てもわかるほど青い顔、そして止まらない震え必死に我慢しながら駆け寄っていった。

 ・・・・・・ドーン・・・・・・

 本体の工事トラックに積んでいたガスが爆発し、火柱が立った。信号無視してきたセダンも向こうで燃えている。若者もガス爆発で吹き飛ばされ、匍匐前進のように腕で体を引きずっていたが、そのままそこに倒れてしまった。横断歩道を渡っていた人も何人も犠牲になり、さながら人形が転がっているかのような酷い状況になった。

「もしもし、だ、大事故です」

 歩道にいた一人が消防か警察か、いずれかに電話をしている。まだガスボンベが燃え盛る火の中に何本か転がって、誰も近づけない状態であった。「就労マシーン」といわれる若者達ですら、何かに追われているような足を止め、そしてスマートフォンで、その光景を記録し、SNSに挙げていた。助けようという人は全くいない。

 何とか数名がまだ息のある人を助けようとしていたが、しかし、それ以外の人は、SNSに写真を挙げた後、足早に自分には関係がないという感じで、足早に通り過ぎて行った。

 後になって明らかになることであるが、この事故によって犠牲になったのが、親方や電話をかけていた若者など先導のワゴン車に乗っていた四名、本体といわれるトラックとワゴン車に乗っていた中で六名、そして暴走自動車に乗っていた若者三名、そして通行人で巻き添えを食って命を落としてしまった三名の十六名、重軽傷者は数十名に上る大惨事であった。

 そして、ちょうどその現場の横断歩道にいた吉崎善之助は・・・・・・。


宇田川源流

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