「宇田川源流」 【外国人に誇る日本のために】 神話を否定する公共放送の怪
「宇田川源流」 【外国人に誇る日本のために】 神話を否定する公共放送の怪
今までは「マスコミ批判に関する一考」を行ってきていた。もう少しで500回になるところであったが、実際に書いていることはあまり変わらない内容ばかりになってしまって、まったく面白くなかったので、このブログの題名とプラットフォームを変えることを機会に、改めようと思う。
今回からは「外国人に誇る日本のために」ということで、ブログの文章を書いてゆこうと思う。
マスコミ報道に関する批判は、この中に包含しようと思うが、しっかりと日本の文化論を書いてみた方がよいのではないかという気がしている。実はG20といわれる先進国の中で、自分の国のことを説明できないのは日本だけであり、なおかつ説明させても日本の悪口しか言えないという非常に情けない国になってしまったのである。皆さんは自分の家庭のことを考えて、家庭の中の不満や家庭の中の恥ずかしいことを外部の人に話すであろうか。ましてやママ友や自分のことを嫌いな同僚や上司に、自分の家族の悪口を言ったり、恥ずかしいことをさらしたりするであろうか。
今の日本人は、自分の家庭ではできないことを「国家」であると平気でできるような人々になってしまっている。自分を中心に、同心円状に自分を守る「集団」があり、そのなかの「国家」という枠になってしまえば、それは壊れてもよくなってしまうという感じだ。そのようなことでよいのか非常に心配になる。それは「国家」「日本」というものを知らないし、その日本に対する愛着がないからではないか。
そのように考えて、これからは徐々に「日本はどのような国か」ということを出してゆこうと思うのである。
今回は「マスコミ」という部分と「日本の神話」ということである。
神話か史実か NHK「皇室の祖先の天照大神」ミス認め釈明
NHKは9日、上田良一会長の定例記者会見で、先月18日に当時の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)が退位を報告するため伊勢神宮(三重県伊勢市)を参拝された際、当日のニュースで「皇室の祖先の『天照大神』をまつる伊勢神宮の内宮」と報じていたことを明らかにした。
NHKによると、天照大神については「皇室の祖先とされる『天照大神』」などと、史実と誤解されないように伝えることが通例だという。NHKはミスであることを認め、「内宮についての説明で一部、丁寧さを欠いていた。天皇を神格化しようといった特別な意図があったわけではない」と釈明した。
この問題を巡っては放送後、インターネット上などで、神話と史実を混同させる表現だとして批判や疑問の声が視聴者から上がっていた。NHKは批判を受け、ニュースサイトに掲載していた原稿を「皇室の祖先とされる『天照大神』」と修正し、訂正放送などはしていないという。【小林祥晃】
2019年05月09日 20時52分 毎日新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12159-0509m040267/
NHKは日本の公共放送である。
つまり「日本国家の主張をそのまま放送してよい」ものであり「他の国のことなどは全く気にする必要がない」といことになる。北朝鮮の国営放送のように勇ましいことを言ってもよいし、韓国のようなキリストまで自分の国が起源であるような「逆本地垂迹説」を言っても、それが日本という国家の国益になるのであれば、それを放送すべきであると考える。
しかし、なぜか日本の国内においてそのことに反対する人がいる。もちろん学者が自分の研究結果と異なることを放送されれば反発することはあるかもしれない。また理数系のことに関しては、まったくわからないので私自身このブログの中で何か言えるものではない。しかし、例えは上記の記事にあるような、「天照大御神は皇室の祖先」ということをなぜ謝罪しなければならないのであろうか。
ここにあるのは、天照大神については「皇室の祖先とされる『天照大神』」などと、史実と誤解されないように伝えることが通例だという。<上記より抜粋>ということであるが、では逆に、「皇室の祖先が天照大御神ではない」ということが証明できるのであろうか。また「天皇を神格化しようといった特別な意図」があって何がいけないのであろうか。少なくとも「神格化」をしなくても「敬意の対象である」ということは間違いがないことであり、そのことをしっかりと国民共通の認識にすることが何が悪いのであろうか。
このようなことを書くと、「反天皇制の主張をしている人々」「極左的・共産主義的な考え方を持っている人」「在日外国人」など「ノイジーマイノリティ」がうるさく言うのであろうが、なぜその人々に「日本人の共有する正当な神話に基づいているものである」ということを言えないのであろうか。そのことが不思議なのである。
日本において意見の対立があることは少なくない。しかし、その中の一部の反対派がいたところで、そのことが国民の大多数でない限りはしっかりと放送すべきである。残念ながら日本は先の大戦において敗戦をしてしまったのであるが、その敗戦の結果、日本は天皇陛下が率先して自らを神格化することをやめ、国民と共にあらせられることを宣言した。しかし、そのことは「国民の総意」として決まったことではなく(憲法改正がそれにあたると解釈する人もいるようであるが、憲法には、現人神をやめることも、また、祖先が天照大御神であることを否定することも書いていない)、当然に、神話を否定することもなければ、神話が事実ではないということも言い切れないはずである。
もちろん、実際に「ありえない」話をしている可能性はある。しかし、一方で「何かを象徴的に示している」ということもあるのではないか。本来であればそのような解釈をしっかりと行うべきであり、その解釈もせずた順に「神話」であることを理由に「科学的な実証ができていない」などといって否定的なことを言うこと自体がおかしいのではないか。そのようにして「日本国の成り立ちそのものを否定する」というか「日本国民の日本国としての神話の存在を否定する」ということや「その国の象徴である天皇と神話を結び付けることができないような状況にする」ということ自体が公共放送としての役割を放棄していることになるのではないか。
そのような公共放送は、必要なのであろうか。
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