ヒンシュクを買い続ける菅直人という人物とその人を首相に選んだ野党という団体の「同一性」と「責任転嫁」

今の奴というのは本当に何もできない人々ばかりだ。統一地方選挙の後半戦で、私の住んでいる豊島区も区議会議員選挙があるようで、なかなかうるさい。それにしても「区議会議員選挙」のレベルであるのに、なぜか「安倍政治を許せない」とか「消費税増税反対」とか言っているのであろうか。なんだかわからないが、論点が全く異なる。そもそも豊島区議クラスで消費税増税に関して語ったところでそれが公約になると思っているのであろうか。国政レベルと区議会議員レベル、全く異なるレベルということが全くわからない。 まあ、このように日本国内においては「政治」ということに関して、「単純に反対するだけで政治をするような気分になっている」というような状況が生まれてきている。これがすべて民主党政治の負の遺産であるということになる。 では、その民主党政治において、何がもっともおかしな問題なのであろうか。それは「自分の言葉や行ったことに責任を持てないこと」である。日本人の多くが韓国に対して不快感を持っているように、基本的に自分の言った言葉に責任を持てない人がいると、日本人はかなり強く拒否反応を示す。日本人は古来村社会を中心にした地縁的農耕民族性を持っている。そのために、共同しなければならないことに関して裏切りや嘘があると、全体がおかしくなるということが出てくることになるのである。しかし、これが高度経済成長期以来の「核家族化」そして日教組教育が行っていることから考えられる「核個人化」というような状況において、地縁的なつながりがなくなってしまった。そのことによって、裏切りや嘘が多くなってきてしまっているのである。 そのうえSNSの発展によって、そのような核個人化における無責任発言がより拡散している状態なのである。ネットの中における無責任発言は多く、舌の根も乾かないうちに言っていることが変わったり、記事がそのまま残っているのにそれとは全く異なる行動をとって平気な人もいるのである。 民主党政権というのはまさにそのような状況を作り出し、日本社会の病巣を表に出した歴史的な政権であるといってよい。 「国民民主解散論」岡田克也氏も眉ひそめる ヒンシュク買う菅直人氏の独走  立憲民主党会派の岡田克也衆院議員が2019年4月11日、菅直人元首相(立憲民主党最高顧問)が国民民主党に解散を求めていることについて「慎むべき話」だと苦言を呈した。国会内で記者団に語った。  岡田氏は、19年7月に迫った参院選の1人区では立憲や国民が候補者を公認するのではなく、無所属で出馬させた上で相互推薦すべきだとの立場。菅氏の発言は野党間の足並みをさらに乱すとみているようだ。  「僕は決していい発言だとは思わないですね」  菅氏は4月3日付けのブログで、国民は小池百合子氏が立ち上げた「希望の党」を引き継いでいるものの、小池氏の理念を引き継いでいるかまでははっきりしないことが「国民民主党の混迷の原因」だと主張。その上で、  「私が繰り返し『国民民主党』は一度解散して、個々の議員の判断で一番政治理念の近い政党に参加するほうがいいと言っているのは、このような『国民民主党』の自己矛盾を解消するためです」 などと解散を主張。統一地方選前半戦を受けた4月9日は、ツイッターに 「小池都知事が結成した希望の党と民進党が合併した国民民主党は、政治理念が不明確なので解散し、参院選までに個々の議員の判断で立憲との再結集に参加するのが望ましい」 と書き込み、露骨に立憲への合流を呼びかけた。  こういった発言に岡田氏は否定的だ。  「政治家がどういう発言をするかというのは、ある程度自由だとは思うが、僕は決していい発言だとは思わないですね。むしろ、かなり言い過ぎている。慎むべき話だと思いますよ」  「やっぱりみんな仲間だからねー。政治家として」  「すでに公認がだいぶ出てるし...」  岡田氏は参院1人区について  「一方(の党)で公認となると、他方の支持者はなかなか力が入らない。そういう意味では、なるべく双方推薦のような形でやっていかないと、難しいのではないかと思うが、まだそういう状況には至っていない」 などと持論を展開したが、  「すでに公認がだいぶ出てるし...。あんまり公認にこだわらないほうがいいと思いますけどね」 とも話し、実現にはハードルがあるとの見方も示した。  一方で国民をめぐっては、自由党との合流に向けた協議の期限が4月末に迫っている。岡田氏は、 「合流することが大きなかたまりにつながると玉木さん(玉木雄一郎代表)は説明しているが、そう思っている人は少ないのではないか、現実には。おそらく本人も分かってて言っていると思うけど」 として、合流が与党に対抗する「大きなかたまり」になる可能性は低いとの見方だ。 (J-CASTニュース編集部 工藤博司) 2019年04月11日 13時37分 J-CASTニュース https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-244792/  民主党政権というのは、まさに「他者に対する批判」で成立した政権であるということが言える。自分の根本の主張やしっかりとした内容、政策などがあって、そのうえで、批判をするというのは良いが、単純に「批判のための批判」をしてしまうとこれは完全におかしな話になってしまうということにある。これは、流行の作家が裏張りというように、わざと流行とは反対方向ばかりをやっていたところ、それが流行してしまうというようになった時に、次にどのような作品を書いていいかわからなくなってしまうというような状況になる。別な例を挙げれば、ある意味で「アレルギー」とか「アトピー」と同じで、本来は外部からの害に対して攻撃をするものである免疫が、体の中に害毒がなく、除菌された者ばかりになってしまうと、そのまま自分の体の中を攻撃し始めるということと同じになるのである。 批判のために批判、反対のために反対を繰り返していた場合、その政権が政策もなくトップに建ってしまうと、政策の実行ということに力を使うのではなく、政策以外の内容に力を尽くすことになってしまう。つまりどこかを批判しなければならなくなってしまうのである。 それでも政権をとっている間は良いが、残念ながら政権から陥落してしまった場合、内部で批判と責任転嫁の応酬が行われる。この結果、民主党政権が野党になって以来、「離合集散」を繰り返し、立憲民主党、国民民主党、希望の党などにいるほか、自民党に入るものも出てくる状態になるのである。 この無責任で発言に責任を持たない、責任転嫁の最たるものが「菅直人元首相・現立憲民主党最高顧問」である。まあ、そもそもこのような人物を最高顧問に迎えていること自体どうかしている。まあ、いまだに小沢一郎を崇拝しているような人々に比べればはるかにましかもしれないが、そもそも、菅直人の場合は首相としてダメであったということが明らかである。そのうえで、自分がダメであったから民主党政権が終わったということ、そしてその内容に関して批判が集中していることなどの反省もなく、国民民主党に対して解散すべきなどといっているのである。 その菅直人もひどいが、その菅直人に対して批判している岡田克也も同じ。まあ、誰かを批判することしかできない人々である。そのひどさは上記を見ればわかるし、またその内容に関して言えば、そのような人々を大臣や代表、首相に着けていて、何の問題もないかのように民主党に所属し続けていた当時の民主党議員、または現在そのような人々と席を同じくして立候補している議員などにも同じである。単純に、この人々に疑問を持てばその団体にはいられないはずなのであるが、残念ながら、そのような感覚はない。「所属」ということに関して「潔さがない」人が少なくないのである。 しかし、国民はそのような状況に対して不快感を持つ。単純に言えば上記の農耕民族における裏切りや嘘と同じような状況になるのであり、SNSのかなにおける国民固有の連帯感に対して非常に不快感を感じるということになる。 単純に「批判だけをしていればよい」という人々と、「今何をしなければならないか、実行すべきことは何か」という観点の人でその内容は完全に分かれる。そして批判だけをしていればよいという人々は「矛盾した行動」「発表した内容と全く違う行動」という自己矛盾に平気な顔をしていて、何とも思わないのである。このような「厚顔無恥」な人々が少なくないのが、現代の日本人になってしまったのかということが、とても残念である。そしてそのような風潮を作ったのは、まさに民主党政権であったというように言えるのではないか。それは民主党議員が悪いというのではなく、そのようなところに投票をした国民の問題であるということが言えるのである。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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