「宇田川源流」【土曜日のエロ】 不倫不正出張で交代する官房長官秘書官
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 不倫不正出張で交代する官房長官秘書官
今週も土曜日のエロの日が来た。今週も様々なことがあったと思うのだが、今週は少し問題があって、この文章を少し早めの時期に書いていてるので、今週何があったのか、私はこの時点で書くことができないのである。まあ、いつもの「様々な話」をするよりもたまには完全にエロの話をしてみようとおもう。
さて、昔や良く書いていたのであるが最近書かなくなってきたので、久しぶりに書いておこうと思う。
そもそも人間というのは、本能と理性でできている。もちろん、身体の組成の話ではない。さて、人間は本能のままに生きれば、他の人を殺し、そして他の人の者を奪うということになってしまう。このことを思想家のホッブスは、その著書「リヴァイアサン」の中で「万人の万人による闘争状態」という表現をしている。まあ、人間個人が群雄割拠するということになり、弱肉強食の世界になってしまうということを意味しているのだ。このようにすることは人類の発展を妨げることになるので、理性によって秩序のある生活をすべきということで「法律」ができることになる。
しかし、欲望というのは本能を掻き立てる存在である。欲望がなければ、やはり人間は発展しない。欲望があるので、何かを使用という気になるのである。その人間の三大欲求が「食欲」「睡眠欲」「性欲」というように言われている。食欲はエネルギーや栄養を補給し、生命を維持するための欲求。睡眠欲は脳や体を休ませ、疲労を回復させるための欲求。性欲は子孫を残し、種を保存するための欲求である。その三大欲求を極限までに律することが秩序であるとされている。
仏教の世界は、この欲望を「煩悩」という言い方にしているのであるが、これをすべて排除することが「解脱」とか「悟り」という言い方をする。まあ、それが良いことかどうかはわからないが、逆に「欲望」が出てきた場合は、その人間の本性・本能が現れる。そして、それを何とか秩序敵にしようとして画策する。それが面白いのである。
人間の「欲望」そのものを見ること、そして隠し切れない本性を見ることが、まさに「土曜日のエロ」なのである。
<参考記事>
2週間経過も…木原官房長官「確認作業中」不倫・不正出張疑惑の茂木官房長官秘書官が交代
2026年6月26日 14時20分 ABEMA TIMES
https://news.livedoor.com/article/detail/31664720/?from_page=internal
<以上参考記事>
社会的地位や責任ある立場を築き上げながらも、一瞬の情動や特定の存在への執着によってそれを危うくしてしまう。こうした男性の行動心理の背景には、単なる肉体的な欲求のコントロールミスというだけではなく、権力やプレッシャー、そして相手に求める「特別な価値」が複雑に絡み合った、深い心理的メカニズムが存在します。
大きな権力を持っていたり、激務の中で常に緊張を強いられていたりする男性にとって、性的な衝動や特定の女性への執着は、日常の重圧から完全に解放されるための強烈な逃避先になりがちです。地位が高ければ高いほど、周囲からは常に完璧な判断や理性を求められます。その反動として、理性のコントロールを完全に失ってしまうような、圧倒的な性的魅力や、自分のすべてをさらけ出せる存在に対して、理屈を超えた強烈な飢えを抱くことがあります。周囲から見れば「なぜそこまでのリスクを冒すのか」と思われるような状況であっても、本人にとっては、その瞬間に得られる快楽や、その女性が放つ官能的な刺激が、積み上げてきたキャリアや社会的信用をすべて天秤にかけてもなお、勝ってしまうほどの絶対的な価値を持ってしまうのです。
また、男性の心理には、魅力的な女性を「自分の手中に収めたい」「特別な関係でありたい」という強い支配欲や特権意識も影響しています。特に仕事で成功を収めている男性は、日常的に困難な課題をクリアし、欲しいものを手に入れてきた成功体験を持っています。そのため、自分の心を激しく揺さぶるような「極上の女」を前にしたとき、その性的な欲望を満たすこと自体が、自らの男としての器量や権力を証明する究極の行為のように錯覚してしまうことがあります。公費出張の偽装といった、客観的に見ればあまりにもリスクの高い隠蔽工作に手を染めてしまうのも、「自分ならこのスリルをコントロールできるはずだ」「この最高の時間を手に入れるためなら、どんな手段を使ってでも隠し通してみせる」という、特権意識からくる盲目的な過信が働いているためと言えます。
「それほどまでに男を狂わせる魅力を持った女性なのではないか」という視点は、まさにこうした男性の本能的な部分や、理性を狂わせるほどの性的なエロティシズムへの憧憬を突いています。どれほど知性的で、社会的な規範を理解している男性であっても、本能の深い部分にある性的な渇望と、それを刺激する圧倒的な存在が目の前に現れたとき、築き上げてきた理性の防壁は容易に崩壊します。すべてを失うリスクを理解していながらも、その破滅の先にある官能と悦楽に身を委ねてしまう。それは、男性が持つ抗いがたい性(さが)であり、社会的地位が高まれば高まるほど、その抑圧の反動として、よりスリリングで、より濃厚な性的関係に溺れていきやすくなるという、人間心理の根深い一面を表していると言えます。
「英雄色を好む」という言葉が示すように、溢れるほどのバイタリティやリスクを恐れない果敢な姿勢が、仕事での成功と奔放な女性関係の双方に表れるという側面は、歴史や心理学の観点からも度々指摘されるところです。強烈なエネルギーを持つ人物にとって、自らの欲望に忠実であることや、魅力的な存在を追い求めることは、日々の過酷な戦いを勝ち抜くための原動力、すなわち強力なモチベーションとして機能しているケースは少なくありません。
特定の女性との熱い関係や、そこから得られる絶対的な充足感、あるいは「この女性に格好いい姿を見せ続けたい」「自らの男としての器量を示したい」という強いプライドは、仕事においてさらなる高みを目指す猛烈なエネルギーに転換されることがあります。特に、常に張り詰めた緊張感の中で巨大な決断を迫られる立場の人々にとって、理性を揺さぶられるような情熱的な関係は、脳を劇的に活性化させ、クリエイティビティや決断力を研ぎ澄ます劇薬のような役割を果たすこともあります。本能的な欲求が満たされている状態、あるいはそれを追い求めている最中の高揚感が、結果として大きな仕事を成し遂げるためのポジティブな推進力になるという構図は、一概に否定できるものではありません。
しかし、その一方で、この「艶」が仕事のモチベーションとして正しく機能するためには、私的な情熱が公的な一線を決して越えないという、極めて高度な自己規律が前提となります。どれほど艶を好み、それを活力に変えて素晴らしい成果を上げていたとしても、ひとたび公私の境界線が融解し、公的な資源や自らの社会的責任を私的な欲望の隠蔽や充足のために利用してしまえば、それまで積み上げてきた「英雄」としての評価は一瞬にして失墜します。
つまり、内なる性的エネルギーや情熱を仕事の馬力として昇華させている間は「芸の肥やし」や「活力の源泉」として機能し得ますが、それが制御を失って公的な領域を侵食した瞬間、それは単なるリスク管理の欠如であり、破滅の引き金へと変貌してしまいます。エネルギーの総量が多い人物だからこそ、その欲望が仕事への純粋なモチベーションとして昇華されているのか、あるいは理性を狂わせる足枷になっているのかという境界線は、常に紙一重であると言えます。
まあ、今回はこのことをとがめられたのですが、逆に、このことを記事にした利攻め立てている人々は、「人間がわかっていない」ということなのかもしれません。
0コメント