「宇田川源流」【土曜日のエロ】 メタバースで婚活の時代と言われるが
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 メタバースで婚活の時代と言われるが
今週も土曜日になった。今週の場合は、昨日が春分の日で休みだったので、土曜日というよりは、三連休の中日という感覚の方が強いのかもしれないが、それでも土曜日は土曜日である。まあ、今週も元気に「エロ」を見てゆくことにしよう。
その前に、今週のニュースであるが、基本的にはアメリカとイスラエルのイラン攻撃であろう。それと、昨日の高市首相の欧米、日米首脳会談というのも大きなニュースであったと考える。
しかし、注目すべきは、同志社国際高校の女子生徒が沖縄の辺野古抗議船に乗って転覆し、そのうえで死亡してしまった事件であろう。この抗議船じょうせんにかんしては、あまりにもおかしな話がおおk、また同支社国際高校の会見を見ても疑問が残る。同時に、この事件がなんとなく、風化させてしまうような各メディアの報道姿勢がまた大きな疑問を残すものである。
そもそも「基地建設」ということで、一つは国を守るということであり、対立するのは軍隊の存在自体に反対という対立の構図である。その対立の構図の「一方の考え方だけを伝えてそれを『平和教育』というのはおかしいのではないか」という考え方がない。これは、単純に「対立を煽る」だけであって、平和に寄与するやり方ではない。一部の人(要するに対立の片方)の意見を刷り込み、強制しているだけの事であり、とても平和とは思えない。また、船に乗っているのに、教職員は全く乗っていないなどの事もおかしいし、そもそもそのような抗議船に乗せるという判断もおかしい。
ある意味で、学校教育ということが全く信用できない者になってしまっており、高等学校が思想の刷り込み期間になってしまっていると言ことではないのか。その内容を何か事故があった時にしっかりとした説明ができないような学校教育そのものは、非難されるべきではないのか。
今日の記事から見れば、このような教育もまた、修学旅行も「メタバース」でやるような時期が来るのかもしれない。そのようになった時に、第三者や国際的な視点をもって見て、問題のない、公平中立な、子供の能力を伸ばす教育がされているのか、今後学校の教育内容が批判的に審査される時代になってくるのではないか。
<参考記事>
顔がわからぬまま16組が成立!? 岐阜県主催のメタバース婚活 「結婚したい」男女は8割超 各地の自治体が“婚活”全力応援のワケ
3/7(土) 13:32配信 CBCテレビ
https://news.yahoo.co.jp/articles/f59a8da4a38dcaf3df391569a8f72aa8017840a3
<以上参考記事>
現代の婚活シーンでは、見た目や条件といった外見的な要素よりも、内面的なつながりを重視する新しい形が広がっています。その象徴ともいえるのが、自治体が主導する「メタバース婚活」です。参加者は仮想空間でアバターをまとい、互いの素顔を知らないまま会話を重ねます。これにより、容姿や年収といった先入観に左右されることなく、声のトーンや言葉選び、会話のテンポといった「その人自身の本質」に集中して交流できる環境が生まれています。結果として、顔を合わせない段階で多くのカップルが成立するという、かつての結婚相談所や合コンとは対照的な現象が起きています。
こうした背景には、現代の男女が抱く「効率的に、かつ心理的なハードルを下げて出会いたい」という切実な願いがあります。仕事の忙しさや出会いの減少を感じている層にとって、自宅から気軽に参加できるメタバースは非常に合理的な手段です。同時に、今の男女の関係性は、従来のような「男性がリードし、女性が選ばれる」といった固定的な役割から脱却しつつあります。自分の趣味や価値観を自然体で共有し、フラットな立場で共感し合える相手を求める傾向が強まっています。
さて、このようなことになれば、当然に「会ってみた時に全く異なる」というような「であった時の幻滅リスク」が出てくるのではないかと思います。私たちの年代であれば、やはり見た目などで様々な妄想をしてしまったりしますので、そのようなリスクは当然に避けられません。出会いの場所に行って、見た目で避けてしまったり、または、もともと幼馴染などで相手のことを知っていたりというようなこともあるのではないかと思います。
顔を見ないまま仲良くなることで、実際に会った際に「イメージと違った」と感じるリスクは当然ながら存在します。これを防ぐために、多くのメタバース婚活ではカップル成立後に「ビデオ通話」を挟んだり、段階的に写真を交換したりするプロセスが推奨されています。しかし、内面から好きになった場合、外見的な好みに対する許容範囲が広がる傾向があるのも事実です。先に心がつながっているため、多少のイメージの差は「愛嬌」として受け入れられやすいというポジティブな側面があります。
また、「実は幼馴染だった」といった偶然の再会については、自治体が主催するイベントの場合、居住地や年齢層が絞られているため、可能性はゼロではありません。しかし、多くの場合、本名やプロフィールの事前照会が行われるため、運営側で重複を把握できる仕組みがあります。もし再会してしまったとしても、メタバースという特殊な空間で「内面から再会」することは、むしろドラマチックな縁として前向きに捉えられるケースも少なくありません。
一方「エロい方の相性」はどうなのかという疑問もあります。
メタバース婚活を経て結ばれたカップルであっても、肉体的な相性が原因で関係が解消される可能性は十分にあります。これはメタバースに限らず、あらゆる婚活や恋愛に共通するリスクですが、メタバース特有の文脈から以下の3つの視点で考えることができます。
1. 「脳内補完」による理想化と現実の乖離
メタバースでは、アバターの動きや声、会話のテンポを通じて相手への好意を膨らませます。このとき、人間は無意識に「相手の身体的な質感や匂い、生理的な相性」までも自分にとって都合の良いように理想化して想像(脳内補完)してしまうことがあります。
いざ現実で対面し、さらに深い関係に進もうとした際、その想像と現実の身体的な反応にズレが生じると、心理的なショックや違和感が大きくなり、「内面は好きだけれど、身体が受け付けない」という悲劇的なミスマッチが起こる可能性は否定できません。
2. 性的な価値観のすり合わせ
一方で、メタバース婚活の強みは「深い対話」にあります。外見に惑わされない分、早い段階で「子供が欲しいか」「スキンシップをどの程度重視するか」「性生活に対する考え方」といった、通常なら切り出しにくい深い価値観について話し合っているカップルも多いです。
肉体的な「反応」そのものを事前に確かめることはできませんが、精神的な「合意」や「志向性」を事前に共有できているため、いざ問題に直面した際も、単に別れるのではなく「二人でどう寄り添うか」を話し合える土壌ができているという見方もあります。
3. 「内面の絆」が肉体を凌駕するか
興味深いことに、内面から深く惹かれ合ったカップルの場合、多少の身体的な不一致があっても、それを決定的な別れの理由にしないケースも散見されます。これは、最初から性的な魅力(いわゆる一目惚れや本能的な引き合い)を入り口にしていないため、関係の基盤が「信頼」や「居心地の良さ」に置かれているからです。
しかし、それはあくまで個人の価値観に依存します。性的な充足をパートナーシップの核と考える人にとっては、メタバースでの出会いは依然として「最終確認(リアルの対面)」まで大きな不確定要素を抱えたままであると言えます。
結局のところ、メタバースは「出会いの入り口」を広げ、内面のハードルを下げてくれますが、「人間という生身の存在」としての最終的な相性テストは、現実の世界に持ち越されるというわけです。
この「肉体的な相性」というリスクを減らすために、最近ではカップル成立後、早めにリアルのデートを推奨する運営側のアドバイスも増えています。
当然に、メタバースというのは、「視覚」と「聴覚」による出会いでしかなく、他の五感による相手への感触がないということになります。つまり、メタバースでの出会いは、その後まずは本来最初にある「五感の感覚」の確認というプロセスが必要になり、その他「家事の役割分担についての具体的な考え」「金銭感覚の細かなズレ」「一人の時間をどう確保するか」「仕事の愚痴をどう受け止めるか」というような「生活の生々しい部分」を、メタバースで培った高い対話能力を駆使してぶつけ合い、その後にじっさいの出会いへと穴を埋めてゆくという感じであるということです。もちろん、他の「出会い」でも同じなのかもしれませんが、メタバースであるということから、「五感の確認」というプロセスが一つ増えてゆくということになります。
総じて、現代の婚活は「目に見える情報」から「心で感じる相性」へと比重が移っており、男女の関係もまた、飾らない自分を受け入れてもらえる対等なパートナーシップを重視する形へと進化しているといえます。
それにしても時代が変わったなという感じがします。昔と今、どちらが男女にとって良いのかはわかりませんが、まあ、その時代にあった出会いがありそこから様々な動きがあるのでしょう。
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