「宇田川源流」【土曜日のエロ】 ドイツ精鋭部隊の日常的セクハラ告白

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 ドイツ精鋭部隊の日常的セクハラ告白


 今週も土曜日のエロを記載する日になった。まあ、なかなか面白いことに「エロ」の話に関しては、世界中にあるのでネタが無くならない。同時に、客観的な行為は夫婦間や恋人の間、または金で買った場合などは問題がないが、その不同意ということになれば、犯罪になる。しかし、「不同意」という「主観」によって、全く異なるないようになるということになるのだ。その内容が最も面白いのではないか。

さてその話以外にも様々なことが言いたいのであるが、その前に今週何があったかということを話してゆこう。

今週のニュースで、国内のニュースは選挙一色でしかなかった。日本の場合は、「選挙」というのは、少なくとも報道機関にとっては「お祭り」と同じ。平時ではなく「ハレの日」でしかなく、そのまま「国全体を包みこむ一大イベント」ということで全体の報道が無くなってしまうということになるのである。

さて、その選挙であるが、少なくとも報道に関しては「基本的にはどの政党も、どの候補も平等に扱う」というのが政治報道なのであるが、最近の報道機関は新聞もテレビも、政権与党を批判するということになっている。イメージを悪化させたり、印象を悪くする報道を行うということに余念がない。

しかし、そのイメージの悪化をさせているということが、SNSの中で明らかにされてしまい、報道が偏向しているということが明らかになってしまった。その様になってしまうと、完全に「報道は報道の役目を終えてしまい、多くの国民が報道機関の報道を信用しなくなる」ということになってしまうのである。まるで中華人民共和国の広報と同じように、「その発言を真に受ける方がバカ」ということが言われるようになってしまうのである。

その報道の偏向が明らかになり、「オールドメディアの敗北」ということになり、国民の意識が多様化したことが多党制政治ということになったのであろう。価値観をメディアによってコントロールされないということが、そのような「十人十色の政治」ができることになったのである。さて、当然にエロに関する内容も「十人十色の解釈」になる。そのことがドイツの軍隊で起きたようだ。

<参考記事>

「セクハラが日常だった」女性兵士が告発…ドイツ最精鋭部隊に激震

2026年1月16日 8時12分 中央日報

https://news.livedoor.com/article/detail/30378684/

<以上参考記事>

 ドイツ連邦軍の精鋭部隊である特殊作戦コマンド(KSK)などで発覚した不祥事は、組織の在り方や閉鎖的な環境における人間心理について、非常に複雑な問いを投げかけている。伝統的な精鋭部隊というものは、単なる職場を超えた「擬似家族」や「運命共同体」としての性質を強く持ってしまう。そこでは極限状態での生存を前提とした、男性同士の荒っぽくも強固な絆が重んじられてきた。ある意味で、荒々しさや勇猛さが団でいらしさであると解釈されまた精鋭部隊の精強さにつながるというような感覚になってしまう。ある意味で、格闘技などを見ているときに筋肉隆々の男性を見て男性らしさだけではな強さを感じてしまうということと同じではないかと考えられる。こうした環境において、男性たちの言動がいわゆるセクシャルハラスメントに発展してしまう背景には、悪意というよりも、それまで共有されてきた「内輪の論理」や「ホモソーシャルなコミュニケーション様式」の崩壊に対する無意識の防衛本能が働いているという側面があるのではないだろうか。

 男性にとって、過激な冗談や粗野な振る舞いは、過酷な訓練や任務から生じる緊張を緩和するための「ガス抜き」として機能してきた歴史がある。外部から見れば不適切極まりない言動であっても、彼らの主観においては、それが仲間意識を確認し合い、精神的なタフネスを誇示するための伝統的な儀式に近い意味合いを持っていたので派内かと思う。実際に男子校などにおいて、過激な内容が日常化してしまうことは十分にありうる話であるし、また女性がいないからセクハラなどの感覚は鈍くなってしまうのは、私自身の男子校の経験からすぐに理解できるのだ。このような環境の中に少数の女性が参入した際、男性側はそれまでの「気兼ねのない空間」が失われることに当惑し、その居心地の悪さを、あえて過剰に「男性的な」振る舞いを強調することで埋め合わせようとする心理が働区ことになるのである。

 また、閉鎖的な特殊部隊という環境は、外部の一般的な道徳観や社会の変化から隔絶されやすいため、組織内での価値観が極端に純化されやすいという特徴がある。彼らにとっての正義は「任務の完遂」や「仲間の保護」に集約されており、そこでのコミュニケーションは直感的で、時には攻撃的なものになりがちであろう。女性の存在が「戦力としての均質性」を乱すと感じてしまう保守的な層にとって、セクハラ的な言動は、相手を排除するためというよりは、自分たちの守ってきた領域の聖域性を維持しようとする、歪んだ形でのアイデンティティの防衛反応であるとも解釈できるのである。

 さらに、ナチス式の敬礼や過激なシンボリズムが混ざり合う背景には、主流社会から「危険で特殊な存在」と目されることへの反発から、より過激で反社会的なポーズを取ることで結束を固めようとする、閉鎖集団特有の過激化のプロセスが見て取れる。ある意味で秘密の共有をすることが、その結束を固めるのは犯罪心理などで言われているとおりであり、そのことを行っていたのであろうと考えられる。これらは個人の道徳心の欠如という問題以上に、過酷な環境下で精神的な平衡を保とうとする集団力学が、誤った方向に暴走した結果であるという側面も否定できない。

 このように、男性側から見たこの問題の本質は、急激な価値観の転換に対して、長年培われてきた集団の結束原理が適応しきれず、摩擦が「不適切な言動」という形で噴出してしまった点にあると言える。

 ある意味で、女性を意識することによって、ドイツの精鋭部隊が逆に結束を弱め弱くなってしまうということがあげられるのではないか。ある意味で「戦争」「任務」という一般の社会から隔絶された別社会において、その強さを維持するのであれば、本来はこのようなことはある程度は許容される、または、そもそも組織的な内容で男性部隊と女性部隊を別に作り、混成部隊を作らないなどの工夫が必要なのではないか。その様に考えると、今回の問題は、ある意味でその本人にも問題があるものの組織そのものまたはジェンダーという雰囲気にも問題があるのではないかというような感覚を持ってしまうのは私だけであろうか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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