「宇田川源流」【日本万歳!】 歌会始の意義と悠仁殿下の和歌への絶賛
「宇田川源流」【日本万歳!】 歌会始の意義と悠仁殿下の和歌への絶賛
毎週月曜日は、「日本万歳!」をお届けしている。日本の素晴らしいところや、日本が賞賛されている記事を参考記事として、その内容を分析し、日本の何が称賛されているのかということ、日本のどのようなところが、他の国とは異なるのかということを明らかにし、そのうえで、日本人が日常としてあまり考えていないすばらしさを再認識しようということである。
毎週月曜日は、多くの人々が「マンデーブルー」ということを口にするくらい、土曜日と日曜日の休みと、月曜日からの働く毎日が辛いということもある。しかし、日本のすばらしさはそのように「特別ではない、毎日を働くすべての日本人」が、その素晴らしさを作っているということになるのです。そのようなことから、日本人の皆さんが自分自身に日本人としてのすばらしさを自覚し誇りを持てるということを期待して、この連載を行っている。
さて、そうはいっても実は日本のすばらしさは1月には正月の様々な行事に結集しているといって過言ではない。以前森喜朗氏が首相であった時に「日本は神の国」といってマスコミが一斉に反発したが、実際に私自身は日本は神の国であると思っている。もちろんか身に守られているということではなく、神が存在していると考えている。他の国の宗教とは異なり、日本は「八百万の神々」の国であり、その神々がどこにでもいるということになる。もちろん日本的な考え方であるという事であろう。
さて、その「神」の中の一柱が、天皇陛下である。毎年、一年の初めにその年の「一年の神様」を迎え、そして氏神様やその一年の神である年神様に挨拶する。それを初詣というのである。
さてそのうえで皇室は1月に必ず歌会始を行う。和歌を披露するということであるが、その内容を今回日あみてみたい。皇室において和歌は、単なる「伝統的な文芸」という枠を超え、「国民の幸せを祈り、心を共有するための大切な言葉」としての意味を持っている。古来より、日本では言葉には霊力が宿る(言霊)と信じられてきた。特に天皇や皇族が詠む歌は、その時代の空気や願いを象徴するものとされている。それは五・七・五・七・七の調べといわれる31文字のリズムに思いを乗せることで、荒ぶる心を鎮め、世の中の平安を願う「祈り」の側面があり、また「和歌」の「和」という文字通り、人と人、人と自然が「和(やわ)らぐ」ための手段として発展してきたのである。
今回その歌会始に悠仁殿下が初参加したということである。
<参考記事>
「すごいね、鳥肌立ったわ」悠仁さま 歌会始での「みずみずしい初和歌」に絶賛の声多数…秘められたトンボへの“思い”
2026年1月14日 18時20分 女性自身
https://news.livedoor.com/article/detail/30369785/
<以上参考記事>
令和8年「歌会始の儀」において、初めて出席された悠仁殿下のお歌が大きな反響を呼んでいる。今年のお題は「明(めい・あかるい)」。その中で、悠仁殿下ご自身の関心をまっすぐに詠まれた一首は、伝統的な形式の中に新しい世代の瑞々しさを感じさせるものであると評されている。
「薄明かり 黄昏(たそがれ)とんぼは 橋のうへ 青くつきりと 俊敏に飛ぶ」
【現代語訳】
夕暮れのほのかな明かり(薄明かり)の中、黄昏時に活動するトンボ(マルタンヤンマ)が橋の上を飛んでいる。その姿は、青い紋様がくっきりと浮かび上がり、非常に素早く、力強く空を舞っている。
【歌の背景】
この歌は、悠仁さまが長年研究対象とされているトンボ、特に夕暮れ時に活動する「マルタンヤンマ」を赤坂御用地で観察された際の情景を詠まれたものです。お題の「明」を、直接的な明るさではなく「薄明かり」として捉え、その繊細な光の中で際立つ生命の躍動感を表現されています。
このお歌が多くの人々の心を打ち、高く評価されている理由は、単なる技術の問題ではなく、そこに宿る「皇族としての姿勢」と「確かな成長」にある。
昭和天皇がヒドロ虫類、上皇さまがハゼ、天皇陛下が水問題の研究をされているように、皇室には伝統的に「一つの学問を深く突き詰める」という文化がある。悠仁殿下の歌にある「青くつきりと(くっきりと)」「俊敏に」という言葉選びは、単なる情緒的な感想ではなく、対象を細部まで正確に捉える「学究の徒」としての誠実さが溢れているのではないだろうか。この知的な誠実さこそ、将来の国を担う方への信頼感に繋がっているのであろう。
また今年の歌会始で注目されたのが、父君・秋篠宮さまとの対比である。
秋篠宮皇嗣殿下: タイでの調査における「夜明け前(一番鶏の鳴き声)」
悠仁殿下: 御用地での「黄昏(夕暮れの薄明かり)」
父である秋篠宮皇嗣殿下が「一日が始まる光」を詠み、息子が「一日が暮れる光」を詠む。この父子の時間的な呼応(シンクロ)は、意図的か偶然かに関わらず、皇位継承のバトンが静かに、しかし確実につながっているという安心感を国民に与えたのである。もちろんこの歌を受け取っている側が勝手にそのように解釈しているのであろうが、自然とそのように感じることができるのが素晴らしいことなのであろう。しかし、その皇室に対する安心感が最も大事なところなのではないか。
そしてお題の「明」に対して、「太陽」や「希望」といった明るい言葉を直接使わず、あえて「薄明かり」という繊細な言葉を選ばれた点に、悠仁殿下の思慮深さと個性が光るのではないか。 「暗がりの中でも、大切なものはくっきりと見えている」というメッセージは、混迷する現代社会において、私たち国民に「本質を見極める大切さ」を優しく示唆してくださっているようにも感じられる。
19歳という若さで、これほどまでに気品があり、かつ生命力に満ちた歌を詠まれたことは、日本の文化伝統が次世代へ見事に引き継がれている証左でもあるのではないだろうか。歌会始という1000年以上続く儀式の場において、動じず、ご自身の歩まれてきた「研究の道」を言葉に乗せられたそのお姿は、まさに「文武両道」を体現される新時代の皇族としての輝きを放っていたと思える。
和歌という短い31音の中に、これほどまでに豊かな世界が広がっていることに改めて驚かされます。
この和歌一つとっても日本の皇室が安泰であるということがなんとなくわかるのではないか。
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