「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 「べらぼう」を一年を通じて考えること
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 「べらぼう」を一年を通じて考えること
一年間、NHK大河ドラマ「べらぼう」に関して、本当に好き勝手書いてきました。
さて、今週はすでに終わってしまっているので、一年間の「ブログの総集編」をしてみたいと思います。
そもそも蔦屋重三郎とは何であったのでしょうか。私は、このブログを通じて「大河ドラマ、歴史小説は、歴史の人物を題材にした現代の視聴者や読者へのメッセージ」であると考えていると何度も書いています。本当に何度も書いていますが、歴史の史実といわれる記録に書いてあることを知りたいのであれば、歴史書を読めばよいことであり、ドラマ化する必要も小説化する必要もないのです。逆に「同じ日本人」として、同じような日本の文化において、どの様なことを考えたかということなどが最も重要であり、その生き方から、見た人が何を感じ、どの様に自分の人生の参考にしたかということが重要なのではないでしょうか。
さて、ではそのような意味で蔦屋重三郎を見てみましょう。
蔦屋重三郎が現代においても学ぶべき人物とされる理由は、単なる出版業者ではなく「文化のプロデューサー」として江戸時代に革新的な役割を果たした点にあります。
最も素晴らしいのは時代を読む洞察力でしょう。重三郎は、江戸の町人文化が成熟し、娯楽や情報への需要が急速に高まる時代背景を的確に捉えました。武士中心の価値観から町人文化へのシフトを見抜き、浮世絵や黄表紙といった「庶民が楽しめるコンテンツ」を大量に世に送り出したのです。現代で言えば、SNSや動画配信の台頭をいち早く察知し、そこに最適化したコンテンツを生み出すクリエイターやプロデューサーに近い存在でした。
第二に人材発掘と育成の天才ということになります。彼は喜多川歌麿や葛飾北斎といった後世に名を残す芸術家を見出し、彼らの才能を最大限に引き出しました。重要なのは「完成されたスター」ではなく、潜在能力を持つ人物を見抜き、育てる仕組みを作ったことです。現代に置き換えると、スタートアップやクリエイティブ業界で「原石を磨く」能力に通じます。AIやデータ分析が進んでも、人間の感性で才能を見抜く力は代替できない価値です。
第三にコンテンツの総合演出力ということになります。重三郎は単に作品を売るのではなく、作品のテーマ、絵師の個性、読者の嗜好を組み合わせて「文化体験」を設計しました。これは現代のマーケティングやブランディングに直結します。彼のやり方は、単なる商品提供ではなく「世界観の創出」。NetflixやAppleがブランド体験を重視するのと同じ発想です。
そしてリスクを恐れない挑戦という事でしょう。当時、幕府の出版統制は厳しく、黄表紙や浮世絵はしばしば検閲対象でした。それでも重三郎は「面白さ」を優先し、時に処罰を受けながらも新しい文化を切り拓きました。現代で言えば、規制や批判を恐れずに新しい市場や表現に挑む起業家精神に通じます。
このようなことが、今回の大河ドラマではしっかりと描かれていたような気がします。
<参考記事>
「ワースト2位とは驚き」大河『べらぼう』納得の完結も、視聴者が抱いた“視聴率への疑問”
2025年12月17日 11時0分 週刊女性PRIME
https://news.livedoor.com/article/detail/30217421/
<以上参考記事>
では現代の人は何を感じるべきだったのでしょうか。このドラマで見た内容をうまくまとめ、NHKや森下先生の考えを「私なりに推測」すれば下記のようになります。要するに蔦屋重三郎から現代人へのメッセージは以下のようなものではないかと推測するのです。
蔦屋重三郎の手法を現代のSNSマーケティングに応用するには、彼が持っていた「文化を仕掛ける力」をデジタル時代に置き換えることがポイントです。以下に、具体的な戦略を示します。
1. 時代の空気を読む → トレンドの先取り
重三郎は町人文化の台頭を察知し、庶民が求める娯楽を提供しました。現代では、SNS上の「兆し」をいち早く捉えることが同じ意味を持ちます。TwitterやTikTokで急上昇するハッシュタグやミームを分析し、ブランドやコンテンツに即座に取り込む。というようなことで、単なる流行追随ではなく、「次に来るもの」を予測して仕掛ける。このようなことがしっかりとできていたように考えます。
ドラマでは、「吉原細見」を作るのに、持ち歩く人の内容を見てみたり、または蔦屋重三郎自身が街中を歩いて、芝居等を題材にしたり、歌麿と一緒に世の中の美人町娘を見て回ったりというようなことがあります。何かを禁止されれば、その次を考える、そのことが素晴らしかったのではないでしょうか。
2. 人材発掘 → インフルエンサー育成
重三郎は無名の絵師をスターに育てました。現代では、フォロワー数だけでなく「共感力」や「独自性」を持つクリエイターを見抜くことが重要です。マイクロインフルエンサーやUGC(ユーザー生成コンテンツ)を発掘し、ブランドの世界観に沿った活動を支援する。ということで、短期的な広告契約ではなく、長期的な関係構築ができたという事でしょう。
ドラマでは、まずは「喜多川歌麿」を完全に売り出します。また恋川春町や山東京伝などの作家を次々に出してゆき、その特徴を生かして次々に作品を出してゆきます。太田南畝の狂歌集に歌麿の絵を入れたのも、このような一連の内容ではなかったかと思います。そのようにして人材を発掘し、そして育てるということが、しっかりとできていた、これが、蔦屋重三郎であり、そのことから、登場人物もドラマの中では多妻ではなかったかと思います。
3. 世界観の演出 → ストーリーテリング
重三郎は作品に物語性を持たせ、読者を文化体験に巻き込みました。SNSでは「商品」ではなく「物語」を発信することが鍵です。Instagramでブランドの背景や制作過程をビジュアルで語り、TikTokで「裏側のストーリー」を動画化。ユーザーが「参加したくなる」物語を作る。
実際に、「もの」ではなく、人は「物語」に感動するものです。それだけに、その物語をしっかりと作ってゆくということが重要になります。ドラマの中では、例えば恋川春町がネタに困っているときに、多くの人が集まってネタを出し合うなんて言いう場面がありましたし、また喜三二が遊郭で病気になった時も、そのネタを面白く書いていったということがありました。そしてその物語を歌麿の絵でわかりやすく「見える化」した、ということが、本来性的であった松平定信すらも魅了する本になったのではないかと思います。
4. リスクを恐れない挑戦 → バズを生む仕掛け
重三郎は検閲リスクを冒して新しい表現を試みました。現代では、炎上を恐れずに「攻めた企画」を打ち出す勇気が必要です。大胆なコラボレーションや、社会的テーマを絡めたキャンペーンで話題を作る。ただ過激ではなく、ブランド価値と一貫性を保つということです。
実際に寛政の改革で「黄表紙」が禁止されて、その中でも果敢に黄表紙を出し続ける。「堅苦しい世の中を笑い飛ばす」ということを行います。そのことで身上半減されても、それを逆手にとって商売に結び付ける手法は、当時では面白かったのではないかと思いますし、そのような町人文化が、最終的には松平定信の失脚を招くことになり、ドラマの中では、そこで目を覚ました松平定信が一橋治済に復讐するということになります。
その一橋治済の「陰謀」と蔦屋重三郎の「世の中を笑い飛ばす元気」の「陰と陽」の戦いで、最後には「陽=蔦屋重三郎」が勝ち、一橋治済が天罰(雷)を受けるということになります。その内容が実に面白く、また、リスクを持ちながらも面白くしていったということが良かったのではないかと思います。現代の人のように、すぐにふさぎ込んだり、将来を悲観するのではなく、蔦屋重三郎のように、「ピンチはチャンス」というような感覚を持つことが重要なのかもしれません。
そのような意味で、視聴率などとは違って、一年間、楽しい中に学びがあり、現代人へのメッセージもしっかりと込めた作品であったし、また最後までしゃれの利いた内容ではないかと思います。
なんとなく終わってしまったのが残念ですが、また来年の「豊臣兄弟」も楽しみになります。
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