「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 まさかの一人二役で将軍の父の誘拐を演じる

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 まさかの一人二役で将軍の父の誘拐を演じる


 毎週水曜日はNHK大河ドラマ「べらぼう」について、好き勝手書いてきたのだが、それも今週と来週で終わりになってしまう。なんとなく悲しい感じがする。これが「○○ロス」というものであろう。それにしても最後になっての「創作」がなかなか面白い。何しろ将軍がグルになって自分の父の一橋治済を拉致して城から追い出し、瓜二つの人物と入れ替えてしまうであるから、なかなか面白いということになる。

さて、今回はその重要な役割を果たす城桧吏さん演じる11代将軍徳川家斉について少し見てみよう。とりあえずドラマとは関係なく史実を見てみましょう。

徳川家斉と一橋治済の関係は、単なる「父と子」という枠を超え、江戸幕府後期の政治構造そのものを形づくった、きわめて特異で濃密な結びつきでした。史料から浮かび上がるのは、治済が自らの血統を将軍家の中心に据えるために周到な戦略を張り巡らせ、その結果として家斉の長い治世が生まれたという構図です。

 一橋治済は、八代将軍吉宗の孫として御三卿の一橋家を継ぎ、将軍家に次ぐ家格と政治的影響力を持つ立場にありました。彼は早くから「自分の子を将軍にする」という野心を抱き、そのために幕府内の勢力図を読み、田沼意次政権の崩壊や松平定信の登用にも影響を与えたとされています。その治済の長男として生まれたのが家斉で、幼い頃から政治的な駒として扱われ、やがて十代将軍家治の後継候補に押し上げられていきました。

 家斉が十一代将軍に就任した背景には、治済の強力な後押しがありました。治済は「将軍の実父」という、幕府内で誰も逆らえない立場を得ることで、表に出ずとも政治の中枢に影響を及ぼすことができました。そのため家斉の初期政権は、しばしば「治済の影響下にある将軍」として語られます。尊号一件など、朝廷との関係を揺るがす事件にも治済が深く関わったとされ、家斉の治世は父の影が常に差し込むものでした。

 しかし、家斉自身の人生は、父の存在を超えて独自の色合いを帯びていきます。彼は歴代将軍の中でも最長となる約50年の治世を持ち、将軍職を息子の家慶に譲った後も「大御所」として実権を握り続けました。その長い治世は、政治の停滞と財政悪化を招いた一方で、文化面では化政文化が花開く時代でもありました。家斉はまた、非常に多くの子をもうけたことで知られ、その数は53人とも55人とも言われています。この「子沢山」は、御三家・御三卿・旗本への養子縁組を通じて幕府の人事構造を変質させ、後の幕府の弱体化につながったと指摘されています。

 晩年の家斉は、政治の実務からは距離を置きつつも、幕府の象徴としての存在感を保ち続けました。彼の治世は、江戸幕府がまだ「将軍が将軍らしく振る舞えた最後の時代」とも評されます。父・治済の野心によって将軍となり、長い年月を権力の中心で過ごした家斉の生涯は、江戸後期の政治と文化の両面を映し出す鏡のような存在でした。

<参考記事>

「べらぼう」生田斗真、一人二役の理由 制作統括が明かす

2025年12月7日 シネマトゥデイ

https://www.cinematoday.jp/news/N0152273

<以上参考記事>

 さて今回は、喜多川歌麿(染谷将太さん)等は一回お休みで、松平定信(井上裕貴さん)と一橋治済(生田斗真さん)の対決ということになった。ある意味で騙し合い、平和の時代の「陰謀の掛け合い」という感じがあるのは、現代の世の中に伝わる部分があるということになるのではないか。

何しろ一橋治済は、このドラマの中では(史実は違うと思いますが、確たる証拠はないのでなんとも言えません)自身は手を下さずして、平賀源内(安田顕さん)将軍候補だった徳川家基(奥智哉さん)、老中首座・松平武元(石坂浩二さん)、老中・田沼意次(渡辺謙さん)の嫡男・田沼意知(宮沢氷魚さん)、家治ら多くの命を奪い、人を意のままに操る傀儡師のような恐ろしい人物というか黒幕として描かれていましたから、視聴者の多くは一橋治済を嫌っていたのではないかと思う。

そして前回うまく芝居祭りの中で一橋治済を暗殺できると考えていたところ、逆に独まんじゅうを食わされてしまうということになったのである。このことは松平定信を不名誉を与えただけではなく、大崎(映美くららさん)等の協力者を多く失ったということになったのである。

そこで、もう一度蔦屋重三郎(横浜流星さん)と松平定信が手を組み、そして、蔦屋の発案で、将軍を巻き込んで一橋治済の影響力を排除するということになったのである。

そこで出てくるのが「斎藤十郎兵衛」である。本来史実ではこの人物こそが「東洲斎写楽」であるとされているのであるが、ドラマの中では、一橋治済にそっくりな人物である。そのために、斎藤十郎兵衛は生田斗真さんの一人二役になったのである。

それにしても、本当にこのようなことがあったら、かなり大きな事件であろう。また、父を煙たがっていた徳川家斉は、全く変わっていたのではないか。

いずれにせよ、疑り深い一橋治済をうまく騙して、そのまま安房に追放したということは、なかなか面白かった。まったくその史実とは関係ないが、それでもドラマとしては、視聴者の多くがスカッとするドラマになっていたではなかったか。

そのうえで、最後のシーンである。

松平定信と蔦屋重三郎が語り合うシーン。

「なんでまたうちの店に?」と不審な表情を浮かべた蔦重に対し、定信は唐言(からことば)という、これまでも「べらぼう」で何度か登場した言葉遊びで応じます。音節の間に別の音節を入れ、他人に発言の内容を分からなくするもの。吉原などの遊郭でよく使われていた。

「いキちキどコきキてケみキたカかカったカのコだカ」⇒「いちど来てみたかったのだ」

この内容からなかなか面白い会話が続く。ある意味で「長年の二人の間の氷のような関係が解けてゆく」ということが目に見える形で出てきたのではないか。

 定信が「金々先生以来、黄表紙はすべて読んでいる」と触れた春町の代表作、『金々先生栄花夢』を手にしながら、「春町は我が神、蔦屋耕書堂は神々の集う社であった。あのことは我が政、唯一の不覚である。揚がった凧を許し、笑う事ができれば、すべてが違った」と「凧」とは春町が命を落とすきっかけになった『鸚鵡返文武二道』の中の重要なモチーフを使って答えた。この会話だけで、定信が、恋川春町(岡山天音さん)の作品を読んでいたことや、黄表紙が好きであったことなど、全てが氷解し、そして故意かは春町が死んだときに布団部屋で泣いていたことも、全て伏線を回収したということになるのである。

ある意味で、田沼意次と蔦屋の関係のように、松平定信と蔦屋の間も、分かり合える関係になっていたのかもしれない。何かそんな感じを受ける内容ではなかったか。

 当て次回は最終回。どんな最終回になるのか。

宇田川源流

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