「宇田川源流」【日本万歳!】 歌麿の肉筆画の国外流出を回避
「宇田川源流」【日本万歳!】 歌麿の肉筆画の国外流出を回避
日本のすばらしさや日本の良い所を記載し、またはそのような記事を紹介し、その内容を私なりに分析をしたうえで、その内容が、その人やその書かれている対象のモノだけではなく、日本の国民性や日本人の全てが持ている魂のような「何か」が重要であり日本の称賛されているモノであるということがわかるようにしている。つまり、それが日本人全体が持っているものであったり、日本人の国民性のようなモノ出会った場合、称賛されている記事はそのまま日本人全体を称賛しているということに他ならないのではないか。
毎週月曜日になると、日本人のほとんどは、働きに出る。日曜日などでせっかく休み、自分の世界に入っていた李、家庭に入っていたにもかかわらず、また働かなければならないという「マンデー・ブルー」な状態になる人が少なくない。もちろん仕事が趣味という人も少なくないのだが、そのような人は少数派であることは間違いがないようである。その為に、そのような「ブルー」な人々であっても、日本人一人一人全員が、日本人としての誇りと、世界から称賛されている日本人の国民性などを武器に、より一層仕事が頑張れるようにしてみたらどうかと思うのである。
さてその国民性の中で、最も世界の強みは「ソフト」ではないかと思う。そのソフトの内容はアニメファンや漫画ファン,またはゲーマーの間ではかなり広まっている。しかし、そ俺らのファンの間で広まっているのであって、一般の人やそれらに興味のない人々には全く広まっていない。その様に考えた場合、最もそれらが広まったのが、リオデジャネイロ・オリンピックの閉会式ではなかったか。
オリンピックという国際的な舞台でマリオやドラえもんが出てくるということで、本来ならば日本だけという事であったかもしれないものが、世界の人が、その閉会式の映像に魅了された。そして最後に安倍首相が出現したのは、世界各国が驚いたものである。それだけ,日本は首相を挙げてソフト産業を応援していることを世界に示したのである。
そしてそのソフト産業が、今の日本のすばらしさの基本になっている。製造や自動車の時代ではなく、ソフト産業の時代が日本にはやってきているということなのである。
<参考記事>
喜多川歌麿の肉筆画、国外流出危機を回避…香港での競売で日本のコレクターが11億円で落札
2025年11月27日 14時35分 読売新聞オンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/30083866/
<以上参考記事>
今年の大河ドラマは、「べらぼう」である。その内容は江戸時代の出版社、版元、そしてプロデューサーである蔦屋重三郎とそのプロデュースの中で、浮世絵画家として名を馳せ、世界的に有名になった喜多川歌麿についての物語である。ちなみにこの二人は初回から最終回まで出てくるのであり、まさにこの二人を中心にした江戸時代の出版業というよりは江戸の町人文化のすばらしさや、あきらめない心、江戸時代のインターネットも何もない時代に、どうやって本や絵を売るために工夫してきたか、そのネタをどうやって探していたかということが、非常によく書かれている。
もちろん、「ドラマ」であるん尾で脚色されていたり、まったくあり得ない話をしたり、または現代の人々のわかりやすいように、極端な脚色がされていたりということはある。あくまでも物語や小説・ドラマというのは、「歴史や歴史の登場人物を題材にした現代の人々に対するメッセージ」でありその意味では、単なる歴史書や事実だけを追って映像化するものとは異なる。そのようなものを望むのであれば、歴史書を読めばよいのであって、なにも小説やドラマにする必要はない。歴史書とは全く異なる「面白さ」がそこにはあるし、そこから学ぶものがあるのだ。
さて、その中で話題になっているのが、喜多川歌麿の浮世絵である。先日、牧之原市の市立博物館に行ったら、ちょうど「べらぼう展」をやっており、そこのお土産コーナーに、蔦屋重三郎の作った本のレプリカ(多分ドラマのために作ったものを多めに作ってそのまま販売しているのであろう)や浮世絵のレピプリカが売られていた。そこそこのお値段であるがなかなか面白い。やはり今見て、なおかつ現代の印刷技術で造ったものであっても、非常に価値があることはわかる。
では、その本物ということになればどうであろうか。
今回喜多川歌麿の肉筆画がオークションにかけられた。このまま海外にわたっては日本の浮世絵なのに日本人恩目に触れることがなくなってしまうので派内かという事であったが、それが参考記事のように、日本人が落札したのである。
日本人の美意識とは「自然や余白、控えめさの中に美を見出す感性」であり、責任感とは「地域や次世代へ文化を伝えるために保存・共有する義務感と行動力」である。
日本人の美意識は、四季や自然への畏敬、「和」「侘び寂び」「間」といった価値観に根ざし、派手さよりも余白や不完全さに美を見出す傾向が強いことが指摘されている。この感性は美術や工芸、建築、日常の所作にも反映され、作品を「守る」動機にもつながるのである。
一方で文化財に対する責任感は、単なる感傷ではなく制度的・組織的な枠組みと結びついている。文化庁や自治体の保存修理、指定制度、予算配分などが文化財保護の実務を支え、所有者や地域が負う管理責任と社会的役割が明確化されている。この二つは教育や市民活動を通じて具体化します。若い世代への普及啓発や地域学習、ボランティアやコレクターの連携が、文化財継承の担い手を育てる重要な実践なのである。
近年は「保存」から「保存と活用」への転換が進み、維持負担の軽減や地域活性化を図りつつ文化を守る柔軟な方法が模索されています。こうした仕組みと市民の美意識・公共心が合わさることで、喜多川歌麿の肉筆画のような重要文化が国内に留まる行動が生まれることになる。
喜多川歌麿の肉筆画が日本の手に戻り、 国内流出の危機が回避されたことは、文化を守る日本人の誇りを示す出来事であろう。江戸の名匠の大作が香港の競売にかけられた場面で、日本の個人コレクターが落札し約11億円で守り抜いたという事実は、文化財を大切にする意志と行動力の象徴である。この落札は単なる取引ではなく、地域の記憶や歴史を未来へつなぐ責任感の表れでもあるのだ。
私たちがここで称えるべきは、金額や名声だけにとどまるものではない。市民の連帯、研究者や美術館の継続的な調査、地元自治体や団体の粘り強い働きかけがあってこそ、文化財は「里帰り」し得るということなのである。こうした協力の姿勢は、日常の小さな配慮や公共心にも通じる。日本人の心の最も重要な部分がそこにあるのではないか。また、この出来事は次世代への教育的価値も持積ことになる。美術を守る行為が社会全体の教養と誇りを育てることを示し、地域文化の保存が国際社会での存在感を高める好例となるのであろう。
最後に、今回の一件は日本人の美意識と責任感、そして行動力が結実した瞬間である。文化を守るという静かな勇気に対して、私たちは深い敬意と感謝を捧げタイと思う。
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