「宇田川源流」【土曜日のエロ】 時代とともに変化する女性の「隠す」文化

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 時代とともに変化する女性の「隠す」文化


 今週も「土曜日のエロ」の日になった。実際に、「エロ」という人間の本質から、様々なことを見てみたいと思っている。人間は、ある意味で「理性」と「本能」という部分がある。その本能の部分をなるべく少なくして理性の部分で「社会性」を持つことによって、社会の秩序を維持している。人はなぜ人を殺してはいけないのか、人はなぜ人を食べてはいけないのか、動物の世界では普通にあるものが、ある意味で宗教観や倫理観の中から、人間同士が弱者も社会性をもって生活できるように秩序を守ることになる。しかし、子供を作るとか、食べるとか、そういったところは本能にも期するところであり、その部分が最も「理性」と「本能」が交錯する場所であるということになるのではないか。

さて、その話の前に、今週のニュースを見てみよう。今週のニュースは、政治のニュースでは党首討論が26日にあったのであるが、まあ、その辺の話はまたいつかしっかりと話をすることにしよう。

このブログで扱わないであろう内容としては香港の火事であろうか。香港の7棟の高層マンションのうち5棟が火災で多くの犠牲者が出た。今回の内容を書いている次点で最終的な被害者の数がわかっていないので、その被害の大きさはよくわからないのであるが行方不明者の数を含めれば最終的には三桁の被害者数になるのではないか。

さて、この事件からは様々な意見が出てくるのではないか。とくに原因が作業者の火の不始末ではないかといわれている(実際はまだよくわからないが作業者が逮捕されている)所から、このクオリティの人々が大挙して日本に着たらどうなるのかとか、日本のタワーマンションは大丈夫かなど、様々な話が出てきててしまうのではないか。あと、私などが気になるのは、日本の佐賀関の火災であれば、すぐに批判所が出てきて行政が支援を打ち出すのであるが、香港の場合は、香港政府が日本の政府のように避難所や次の生活再建のために何かをするのであろうか。その保障はどれくらいの規模のモノなのかということが非常に興味がある。そこまで国民を大事にするところなのか、そうではないのか。何しろ中国政府というのは、新幹線で事故があれば、その新幹線の中に犠牲者がいてもそのまま埋めてなかったことにしてしまうのであるから、この火災現場もすぐに壊してなかったことにしてしまうのではないかというような感じがあるのである。当然に、住んでいた人や、被害を訴える人もなかったことになってしまうというのが、中国のメンツ社会であろう。そのようなメンツ社会と日本のような社会が、政治上で対立したのが高市発言の問題なのであろう。

まさに、香港政府や中国政府の「本質」と香港の人々の「生存本能」から、どの様なことが起きるのか、この事件そのものよりも、事件後の香港の内容の方が興味があるのである。

<参考記事>

「買春なんて墓まで持っていくレベルの汚点」SNSで4.6万いいね!若者世代が拒否感か…「芸人がネタとして話す」「男同士で武勇伝のように語る」メディアと日本社会が作りあげた“性倫理の異常性”

11/17(月) LASISA

https://news.yahoo.co.jp/articles/e633e6174fd6acb87dce339c1460d92c53a8248e

<以上参考記事>

 さて、今回は、「買春経験なんて『墓まで持っていくレベルの人生の汚点』なのに、カジュアルに語れる空気感がおかしい」という書き込みが、大きな議論を起こしているという話。記事の中にもあるが、単なる賛否を超えた「世代間で異なる倫理観の断層」、そして「法と実態の著しい乖離」という二点が、非常に大きな内容になっているということになる。

さて、世代間という話が出る以上は歴史的な内容を見てみよう。そもそも日本というのは恥の文化ということから話が出てきている。セクハラ的な、または少なくともジェンダーハラスメント的な価値観になるのかもしれないが、あくまでも歴史的な事実としてその話を書いてみることにしよう。

もともと縄文時代は、そのような恥の文化というのは存在しない。そもそも一夫一婦制ではなく、多夫多妻性というか、集落の中の「雑婚制」というようなことで、女性と男性が受け入れれば、集落の中で性行為をして子供を作るというような状況であったと考えられる。そもそも夫婦というような倫理規範がないのでありまた、一夫一婦制であれば、医療も食料も不安定な中で村全体がおかしくなってしまう。その意味では、イスラム教の一夫多妻制よりも進んでいたような感じではないか。

さて、そのような内容が徐々に代わってくる。ある意味で古墳時代や稲作文化で食料などがある程度何とかなってから安定した家庭が出ることになる。しかし、男性は社会性を持つことになり、狩猟などに行かなければならなかったことから、女性が中心の家庭や子育てになる。そのことが、平安時代まで存在し「通い婚」ということになるのである。

さて、この時代の女性は、指先と髪と目意外は見えないということになっている。十二単とまではいわないまでも服で身体を隠し、扇で顔を隠していた。当時、日本では子供が女性から生まれるということから、女性の体の中には黄泉の国につながる道があるとされていた。当時の思考で黄泉の国は、汚いものときれいなものが混在している場所であり、ゴミや死体も全て黄泉の国に行き、そこで再生して、またこの世に生まれてくるという、ある意味で究極の循環社会になっていたというように考えられているのである。

その循環社会であるので、この世から黄泉の国を見れば「穢れ」ということになる。そして「穢れ」と認識されてしまうと、新たな命が生まれる道が閉ざされると考えられていたことから、基本的には女性は「肌」というか「穢れと認識される体」を不特定多数の男性に見せてはならないとされていた。いや、男性に見られてしまうと、子供を産む力が失われるということになったのである。

そのような意味から、女性は肌を見せることを極端に嫌った。この風習は、高貴な、つまり隠すことのできる場所ではずっと通用しており、その「肌を見せない」ということと「血筋にこだわる武家文化」が武士時代の「婚姻制」に代わってゆくということになる。一方、その肌を守るという感覚が、そのまま「秘密の共有」から「快楽」ということになり、その感覚が「ヨタカ」や「遊郭」の形成につながる。実際に、不特定多数の男性に肌を許しても、子供を産むことができるということになったので、黄泉の国信仰が亡くなったということになるので、そのような意味で、恥の文化だけが女性の肌を隠す武器になったのである。

そのような意味で、現代の売春とか「パパ活」ということにつながることになるのではないか。逆に言えば、男性は、ずっと恥の文化の中に存在していないので、法律ができてもその感覚と乖離しているということになるのである。

さて、このような議論をするときには、このような歴史や宗教観、死生観をしっかりと踏まえてみるのはいかがであろうか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000