「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 源内生存説という考察系架空ドラマの意味
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 源内生存説という考察系架空ドラマの意味
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」について好き勝手、感想を書いている。本当に感想でしかないのであるが、今回は、歴史小説作家も驚きの展開であった。正直に言って今回はあまり歴史とは関係ない展開ではなかったか。すでに死んでいる平賀源内が生きているという話からスタートであったのだから、驚きである。
さて、それでも意地になって歴史的な内容をまず前半ではまとめてみよう。今回は駿府生まれの貞一(井上芳雄さん)こと、十返舎一九である。
十返舎一九は、江戸後期を代表する戯作作家で、滑稽本や黄表紙、合巻など庶民向けの読み物を通じて当時の町人文化を象徴する存在になった人物である。生年は明和2年(1765)で、没年は天保2年(1831)とされ、出生地や出自についてはいくつかの説があるが、武家の出という伝承や駿河国(現在の静岡市葵区周辺)に関係する記録が残されている。 出自についての伝承は多岐にわたるが、十返舎こと重田誓一(あるいは重田弥一や重田誓一の別表記)という名や、通称「与七」「市九」といった諸名が伝わる。
十返舎一九と蔦屋の関係は単に「作家と版元」という枠を超え、作品の発表、装丁・挿絵の組織化、刊行の戦略において相互に影響を与えるものだったと評価されている。蔦屋は一九の持つ原稿能と風俗観察を見出し、稿料や刊行体制を整え、より広い市場へ届ける仕組みを作った背景が指摘される。
江戸期の出版は単純な一対一の契約ではなく、版元の編集力・流通力と作家の創作力が結実して初めて大きな成功を得られた。蔦屋は版下の加工作業、木版の制作手配、絵師の選定や題字などの製本デザインに関与し、一九は自身の軽妙な筆致と挿絵で作品を豊かにした。とくに『東海道中膝栗毛』のような連作では、版元が連続刊行のペース配分や宣伝を担い、読者の期待を継続的に維持する役割を果たした。蔦屋の編集・流通ネットワークがあったからこそ、一九の仕事は「売れる書物」としての形を得て、江戸町人層に定着したといえる。
蔦屋と一九の関係は常に円滑であったわけではなく、稿料・版権・表記や編集方針をめぐる軋轢や、共同制作の領域における役割分担の不明確さが問題となる場合もあったと考えられている。しかし出版史的には、蔦屋のプロデュース力と一九の創作力が結びついたことが、江戸期の合巻・滑稽本文化のさらなる発展を促した事実が重視される。蔦屋は作家だけでなく絵師・彫師・摺師らを束ねる現代的な編集者の先駆であり、そのシステムと一九の「読者に届く語り」は相互補完的だった。
十返舎一九の生涯は、作品内容そのものの魅力とともに、蔦屋重三郎のような版元による編集・流通システムと結びつくことで初めて大衆文化史上の一大現象となった。作家の独創性と版元のプロデュース力が互いに作用したことが、江戸後期の出版文化の革新性を生んだ主要因として評価される。一九は滑稽という手法を通して日常を描き続け、その作品は蔦屋を含む出版関係者の組織的な働きによって広く現代に伝わっている。
<参考記事>
べらぼう:こんなの誰にも予想できない! “源内生存説”の先に待っていたもの 「そう来たか!」まさかの展開に驚きの声やまず!!
2025年11月16日 20:45 MANTANWEB編集部
https://mantan-web.jp/article/20251116dog00m200039000c.html
<以上参考記事>
今回は、なかなか面白かった。いや、時代劇というよりは、ある意味で普通の現代ドラマを見ているような面白さがあったのではないか。ある意味で「考察系ドラマ」のような感じである、「考察系ドラマ」の面白さは、伏線やミスリードが巧妙に仕込まれており、視聴者が登場人物の中に入り込んで一緒に考えるというような感じになっている。今回のドラマは、蔦屋重三郎(横浜流星さん)が、流産してしまったてい(橋本愛さん)に気を使いながら、もう片方で歌麿(染谷将太さん)を失った心の穴を埋められないところからスタートするが、そこに、貞一(井上芳雄さん)がきて自分の本を売り込みながら、「源内凧」を見せることで「平賀源内(安田顕さん)が生きているのではないか」というようなことになる。ちなみに、「源内凧」は、実在しているもので、静岡県牧之原市(旧・相良町)に伝わる「相良凧」の一種で、平賀源内が考案したとされる凧に由来する伝承的な名称である。相良凧は、端午の節句や初子祝い、凧合戦などで揚げられる大型の長方形の凧で、家紋や吉祥文字、屋号などを力強く描いた意匠が特徴だ。平賀源内は、晩年、江戸での不遇から逃れ、田沼意次の領地である相良(現在の牧之原市)に身を寄せたという「生存伝説」が今でも地元に存在する。大河ドラマのスタッフはこの伝説を見つけて、ドラマを作ったという事であろう。
「考察系ドラマ」のように、蔦屋重三郎が様々なことを昔馴染みに聞いて回る。どれも、今までのドラマに出てきた人ばかりであろう。杉田玄白(山中聡さん)や太田南畝(桐谷健太さん)、北尾重政(橋本淳さん)、朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)など懐かしい顔が出てくる。そのうえで、街中で芝居では長谷川平蔵(中村隼人さん)にあい、また元田沼意次の家老であった三浦庄司(原田泰造さん)にも聞きに行くという感じだ。いずれも生きているような、また生きていないようないい加減な解党になり、視聴者を困らせる。しかし、決定的に最後の場面で「平賀源内しか知らない『死の手袋』についての戯作」の原稿が入り、そこに来てほしいというところに行くと、待っていたのは、松平定信(井上祐貴さん)、高岳(冨永愛さん)、長谷川平蔵(中村隼人さん)、三浦庄司(原田泰造さん)、柴野栗山(嶋田久作さん)だったというストーリーである。
はっきり言って、このようなことがあるはずがない。まあ、歴史小説などを書いていると、前後のつながりから、どうしても「架空の物語」を挟まないとどうにもつじつまが合わなくなってしまうということがあるのだが、今回の内容は「東洲斎写楽をどの様に登場させるか」ということが大きな課題であったのに違いない。また、十辺舎一九の登場のさせ方ということもあるし、今まで日との関係を大事にする蔦屋重三郎が歌麿ばかりであった所を、滝沢馬琴(津田健次郎さん)や一九にシフトするという事でも、そのような「きっかけ」を造らなければならなかったのであろう。
小説の場合もそうであるが、それまでのキャラクターの性格から、流れを突然切って次の物語につなぐ場合、そして、その時に大きな「心の動き」や「物語のつながり」を作るためにどうしても架空の部分を作り、そこに入れることで、より一層物語の感情を深めることがある。私の場合は庄内藩幕末秘話の西南戦争編で、西郷隆盛が実際には大阪に行っていないのに、わざわざ大阪の駐屯地に行かせて、四條隆謌に会話させている。ここが、西郷隆盛の西南戦争をする気がなかったが巻き込まれたということと、その後明治天皇が西郷のために泣いたというエピソードにつなげる大きな山場であるので、どうしてもこの場芽が必要だったのである。その様に考えると、今回の「源内は生きていた」ということも、そのような「終盤の重要な場面」であり「伏線」である「死の手袋」「源内の書いていた戯作」「大奥の戦い」「定信の一橋治済(生田斗真さん)への復讐」など様々な伏線をここで一気に回収するという役目も持っているのであろう。
今回はそのような、ある意味で貴重な回であったのではないか。
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