「宇田川源流」【土曜日のエロ】 「女の敵は女」という高市批判の差別発言を嗤う

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 「女の敵は女」という高市批判の差別発言を嗤う


 今週も土曜日のエロの日になった。まあ、今週は大きなニュースが多かったのでエロのネタが少ない一週間であった。まあ、それでも今までの蓄積もあるし、また性的なことを話題にしたネタは少なくないのが日本の良いところなのかもしれない。

さて、その大きなニュースを見てみよう。

先週、はトランプ大統領来日で様々なニュースがにぎわっていたし、その後の韓国で開催されたAPEC会議でも高市首相の外交に関する話題が多くあった。そして、今週は高市首相の初めての国会論戦であるということで、ニュースは様々なところが出てきていた。単純に言えば、臨時国家が始まっただけであり、また高市氏は、大臣として答弁側を経験しているので、あまり初めてのというような形容が正しいものではないのであるが、それでも一応初めてといえば初めてなのであろう。このように「初めての」と付けなければならないほど、ニュースとして伝えることがなかったということなのであろう。

国会論戦では、未だに「裏金議員」「森友学園」というようなことを言っており、いったいいつの事件を話しているのかというような感じになる。そもそも国会というのは、未来、将来の我々国民の生活に関してよりよくするために議論をする場であるはずなのに、過去の事件ばかりで呆れてしまう。よほど将来のことを考えていないのかまたは、他にネタがないのであろう。はっきり言って将来の日本の発展や姿を考えることができないし、そのことを話し合うこともできないのであろう。

まともな野党が質問しなければ、その内容に関して、しっかりとした答弁はできない。貴重な国会審議、それも代表質問の時間で、過去の事ばかりを話していること自体が、国民を愚弄している行為であると、何故野党の人々は気が付かないのであろうか。はっきり言って何も考えていないということが見えてきてしまうのではないか。

国会における「政策の批判」はいくらでもすべきであるし、また、政策に関しては様々な考え方があることは当然に理解できる。しかし、過去のことをあげつらってみたり、人格否定したりというような内容は、見ている国民が飽き飽きしてしまうのである。そのような国民感情も理解できないということなのであろうから、よほどせいぞのれっかというのは激しくなっているのであろう。

今回はその政治の「批判」の中から、見てみよう。久しぶりにまじめな内容になるかっも知れない。

<参考記事>

倉田真由美氏が指摘「女を使っている、と高市首相を非難した女性の多くが過去を掘り起こされ…」

11/3(月)日刊スポーツ

https://news.yahoo.co.jp/articles/d3cf05d67ddaf687d20907dd8dfc30038bb009d5

<以上参考記事>

 高市首相が、日本の政治権力者のトップとしているのは、以前にも話した通りに鎌倉時代初期の北条政子依頼であるというような事らしい。確かに、政治のトップで存在するというのは、女性はあまりいない。その前は推古天皇などの女性天皇であり、その前は卑弥呼くらいしかいないのかもしれない。一方で、北条政子以来の有名な女性ということでいえば、豊臣秀吉の正妻の寧々や側室の淀君なども有名であるが、残念ながら日本全てンい号令をしたという権力者ではなく、寧々の場合は権力者を支えた賢女であり、淀君はその寧々に比して少し劣るような形で徳川家康に対抗して豊臣家を滅ぼした人というような感じになったのではないか。江戸時代でいえば、春日局は有名であるが、やはり、大奥の中の権力者でしかなく、日本の隅々までその威光が届くような人物ではない。その様に考えれば、確かに女性で日本全体に政治的な意向をとどろかせた女性は北条政子依頼いないのである。

さて、女性がトップに立つことに関して、日本の男性たちは苦々しく思っているであろうか。実際のところ、あまり男性女性ということにこだわった人はいないような気がする。ある意味で女性であるというのは、うまくいかなかったり、自分たちと考え方が異なる場合の言い訳でしかなく、政治という場や社会に出てからの内容で、女性であることは実は男性社会では「よく頑張っているね」というようなプラス材料にはなるが、「女性だからダメだ」というようなマイナスに働くことは少ない。女性だからというのは、今でいえば前橋市長のラブホテル打ち合わせ疑惑や、歴史上でいえば、孝謙天皇の弓削道鏡専横事件など、そのような性的な問題が出てきた時に「女性だから」というような言い訳に通じる場合があり、男性が性的スキャンダルを持つよりも嫌悪感を持たれる場合が少なくないのであるが、それ以外の政治的な内容に関しては、あまり大きなマイナスはない。まあ、この性的なスキャンダルも、男性であれば側室をいくつも持つのが普通といわれていた時代に、道鏡の事件は大きな事件になり、そののちの桓武天皇は遷都してしまうくらいなのであるから、女性天皇に向けた嫌悪感は男性と女性で違いがあるようだ。

一方、やはり「女性の敵は女性」というように、まさに、女性から見た女性のトップというのは、女性特有の「女性だから」というような理想形が様々に変わってきてしまっており、そのことから、何かを行えば女性からの批判が多く来る。今回も「色仕掛け」「現地妻」など、いつの時代の何の話をしているのかというような感じでしかない。まあ、ちょうど大河ドラマが「べらぼう」で吉原遊郭を中心にした話題になっているので、その流行に乗ってそのような男女関係的な単語が出てくるのかもしれないが、それにしても女性の女性に向けた批判の下品であることには変わらない。たぶん、江戸時代の絵島事件などでも同じような感じであったのではないか。

私から見れば、「女性の女性に対する批判」は「嫉妬」も存在するようにしか見えない部分がなかなか興味深い。「私だったらもっとうまくやれる」「私の方があの女よりも優秀なはず」「私が最も注目を集めてもよい」「女性なのに同じ女性の気持ちをわからない」など、普段「女性」と言っている人が、いざ女性が権力の座に座った時には、より一層批判が強まるという面白い現象が見える。ある意味で女性が権力の座から嫌悪されるのは、このような「女性の女性に向けた下品で嫉妬にまみれた批判」からではないかといううような気がする。

女性の嫉妬(やきもち)、というのは昔から犬も食わないといわれていたが、まあ、そのようにして女性が女性の価値を会下げている状況が、今後も続くのかと思うと困ったものである。

宇田川源流

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