「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 歌麿と蔦重の間に亀裂が

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 歌麿と蔦重の間に亀裂が


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」について話をしている。本乙に視聴者のただの感想文でしかない。しかし、この「べらぼう」も予定では全48回、12月14日が最終回であるというから、今回が41回なので今回を含めてあと8回しかない。もちろん8州といえば2か月分なのであるが、さすがに終盤になってきている。そもそも蔦屋重三郎というのは、43歳で他界するのであるから、そろそろ蔦屋重三郎(横浜流星さん)の一生という観点でも、終盤である。そして、常に痛快ではなく最後は様々な夢を持ちながらその夢に届かずになくなってしまうということになるので、不遇の時代に入ってきているということになるのであろう。

さて、その不遇といえば井上裕貴さん演じる松平定信に関しても、徐々にその恐慌で原理主義的な政治の進め方に反対が出てきている。もちろんドラマの中である。日本人は、中庸を尊ぶ民族性があるので、どうも「朱子学原理主義」など、原理主義に関しては今日非反応が出る。それは今の政治でも同じではないか。

その松平定信の躓きの一つが、「尊号一件」という事件である。今回も、京都からの武家伝奏の公家を閉門させろというようなことを言っていたが、まさにその事件の事である。まずは歴史的な「尊号一件」を見てみよう。

 尊号一件は江戸時代後期、光格天皇が養父である典仁親王(典仁の名は典仁親王)に「太上天皇(上皇)」に相当する尊号を贈りたいと望んだことに端を発する朝幕の対立事件である。幕府側は慣例や体制上の制約を理由にこれを拒み、天皇側と幕府の間で呈された政治的・儀礼的な力の衝突が表面化した出来事として位置づけられている。

 朝幕の対立は最終的に将軍側の判断と幕府の政治的措置で決着を迎え、朝廷側の尊号贈与の要求は一時的に押しとどめられたが、事件の余波として公家や朝廷内での勢力調整や世論の動揺が生じた。幕府は事態収拾のために関係者を処分・調整し、最終的には天皇側の要求を完全には実現させないまま事件は終息したとされる。

尊号一件で松平定信は朝廷側の尊号贈与の動きに反対の立場をとり、事態の進展にともなって幕府内で責任を問われる立場に置かれた。最終的に彼は政治的に失脚し、老中としての主導的立場を離れて隠退に近い扱いを受けたと伝えられている。

 江戸ではこの種の朝幕対立が政治的不安や情報の拡散を促し、町方にも波及するかたちで関心と緊張を生んだ。尊号一件は、幕府の政治的権威と朝廷の伝統的権威という二つの力が実際に街の人々の話題や評判、寺社や公家・旗本間の立場の見直しにつながることを示した。江戸の政治的気配が変化するたびに、都市生活者は噂や討論を通じて自らの立場や期待を調整し、幕府の統治正当性や朝廷の象徴的権威に対する市中の感受性が強まった。

<参考記事>

「べらぼう」蔦重の“言ってはいけない一言”が物議

11/2(日) 20:55配信 シネマトゥデイ

https://news.yahoo.co.jp/articles/9d57cab00600cdeaf46337ff8d3c3a34c8a3fad6

<以上参考記事>

 蔦屋重三郎と喜多川歌麿(染谷将太さん)は当初、版元と画工という利益と才能が噛み合う典型的な協働関係だったが、寛政の頃から次第に齟齬が目立つようになった。第一に商業的圧力が強まったことがある。蔦屋は江戸出版界で新しい需要を取り込もうと積極的に版行を拡大し、売れ筋を追う方針を強めた。その結果、歌麿に対する制作スケジュールや版元側の仕様・原稿管理に対する介入が増え、制作上の自由が損なわれる場面が出てきた。第二に経済的な摩擦が生じた。売れ行きや増刷、版元と絵師の取り分をめぐる期待のずれが小さくなかったため、報酬や版権を巡る不満が蓄積した。第三に芸術的な方向性の差異があった。歌麿は表現の実験や新たな美人画の様式を追求し続けたのに対し、蔦屋は市場で確実に売れる図様やシリーズ化を重視する場面があり、作品選定や編集上の衝突が起きた。最後に時代的・社会的要因も影響した。寛政の風紀引締めや幕府の検閲動向、評判に関わるスキャンダルや噂が二人の関係に緊張をもたらし、蔦屋がリスク回避的に距離を取る判断をしたことが関係悪化を促進した。これらの要因が複合して、はじめの信頼関係が次第に薄れていった。

この関係は史実でもこのようになっているので、非常に忠実にその内容をドラマ化しているのではないか。ただし、芸術的なことを追求してしまう歌麿と、商業的な部分を重視する蔦屋重三郎との間では、やはり齟齬が生まれてしまうのではないか。

このドラマでは、その原因とされるもの、つまり歌麿と蔦重の齟齬の原因として二つのことを上げている。一つは、多くの人が指摘しているように、蔦屋重三郎の経済的な内容と、歌麿の純粋な芸術性であろう。上記の参考記事にもあるが、売れる絵を描くのと、描きたい絵を一つ一つ自分の手で丁寧に作りたいという歌麿とでは非常に大きな差がある。このことは芸術品を作っている人と、似たような内容を機械化し大量生産をしている経営者の感覚と似ている。現代のサラリーマンの中にも仕事を一つ一つ丁寧にするという若者と、効率性を求める会社側の齟齬は、常にある話だ。とくに蔦屋の場合は身上半減で経済的に苦しいということもありまた、吉原の「父」達の苦しさなどもあるので、経済性を追求しなければならず、歌麿の気持ちがわかりながらも、それを許容できないという事情もあったのではないかと思うのである。

もう一つは蔦屋重三郎のつまてい(橋本愛さん)の妊娠である。歌麿は、自分の妻は病気で亡くしてしまい、プライベートでは不遇な生活をしている。その時に感情的に違和感を感じていた蔦屋重三郎の子供ができるということはどのように思うのであろうか。その蔦屋との間を取り持ってきた重三郎の母つよ(高岡早紀さん)も亡くなってしまっている。そのような状態で蔦屋重三郎の幸せな姿を見て、何か自分の中にやりきれない思いがあったのではないか。

そのような意味で様々な齟齬が生まれてきているところに西村屋(西村まさ彦さん)が来て新たな仕事をお願いする。きっかけというかうまく重なるものである。

歴史的には、記録に残っている感じで二人は完全に絶縁したわけではなく、互いに利益とリスクを計算した実利的な距離を取るようになったと理解するのが実情である。蔦屋の側は版元としての存続と評判を優先し、歌麿の側は表現の自由と作家性を守ろうとしたため、良好な協働関係は崩れ、以後は慎重で事務的な関係が続いたということになる。

では、ドラマではどのようになるのか。

宇田川源流

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