「宇田川源流」【土曜日のエロ】 米ポートランドで全裸サイクリングデモ

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 米ポートランドで全裸サイクリングデモ


 毎週土曜日は「土曜日のエロ」を書いている。何といってもなかなか良い話になっているのではないか。

さて、そのエロの話の前に今週あったことを見てみよう。今週といえば、やはり憲政史上初の女性総理大臣である高市早苗内閣が発足した。ちなみに、日本のトップである天皇については、女性天皇が過去に存在する。推古天皇・皇極天皇・斉明天皇・持統天皇・元明天皇・元正天皇・孝謙天皇・称徳天皇・明正天皇・後桜町天皇と10代8人の女性天皇が存在する。明正天皇、後桜町天皇は江戸時代の天皇であり、1771年(明和7年)に後桜町天皇が退位しているて。1771年といえば、現在毎週水曜日に連載している大河ドラマ「べらぼう」の初期の時代であり、将軍は家治であった。浅間山の噴火は15年後の1786年であるから、まだ1771年は蔦屋重三郎が吉原で頑張っている頃の話であろう。そのころに今のとk路御最後の女性天皇が退位しているということになる。

一方女性の権力者ということにしよう。天皇はもちろん権力者であるが、しかし、例えば江戸時代であれば、実質的な権力者は将軍ということになる。よう数るに為政者という形になるが、この伊勢者では実は日本の場合女性がトップになっているのは、少なくとも形式上は存在しない。平安時代の摂関政治においても、将軍においても女性であったという記録はないのである。しかし、実質的に権力を握っている人はいる。その中で最も最近「女性の実質的権力者」となっているのは、北条政子である。ようするうに女性が実質的な権力者になるのは、約800年ぶりということになるのであろう。

このように考えれば、女性が権力の座に座ることはほとんどなかったと言って過言ではない。実際に日本の場合は女性が権力の座に座るということは、あまり良いことにならないというように考えられており、称徳天皇のときに「道鏡事件」が発生し天皇家を乗っ取られそうになったり、また、応仁の乱も足利義政の後継者選びに妻の日野富子が介入したことでおかしくなったと言われている。もちろん詳しく調べれば必ずしもそうではないし、また、紫式部や清少納言など、女性が文化を担っていた部分は少なくない。同時に、権力者でなければ、例えば木曽義仲の巴御前や、戦国時代の鶴姫、戊辰戦争の時の会津戦争の「嬢子隊」の中野竹子や鉄砲隊の山本八重(後の新島八重)など女性が活躍っしているところは少なくないが、やはり権力の座ではない。

今回は全く高市早苗に関して話していないが、まあ、それほど日本では「珍しい」ことが起きたということになる。

<参考記事>

米ポートランドで全裸サイクリングデモ。トランプ政権の州兵派遣に抗議「裸は恐れないというメッセージ」

10/18(土) ハフポスト日本版

https://news.yahoo.co.jp/articles/a79754fa26bb3a11e6004832a001f947c4ef63eb

<以上参考記事>

 今回は今週の出来事と、「エロネタ」とうまく結びつけることができなかった。まあ、そういうときもあるよなあ。

さて、アメリカは今、移民排斥で、州兵派遣を行っている。これは移民が暴力的に対抗するからということと、もう一つは移民を程する人々がやはり暴力的であるからである。左翼主義者というのは、なぜか「平和」と言いながら「暴力的な抵抗」を行うのである。「平和のための闘争」などという完全に矛盾したことを言いながら、一方で「日本政府は武装をするな」というのであるら、本当に何を言っているのかわからない。しかし、それらを結びつけるのが中国共産乙の文化大革命の「愛国無罪」という言葉であれば、本当にすっきりと納得できる。要するに、この「愛国」というものは「自分たちの信じる主義主張の国」という意味でしかなく、実態の国家ではないという定義さえわかれば、「その自分たちの理想のためには、何をやっても(人を殺しても・暴力をふるっても)、愛国心のためにやっているのであるから無罪である」という、近代法治国家とは全くそぐわない理念を行うのである。

さて、それでも敵わない場合はどうするのか。

日本の場合は、かなり多様性がある国なので、それでも温かくデモを見守っているのであるが、欧米の場合は治安維持に関しても軍隊を投入するのであるから、民間がかなうはずがない。そのような状態であるからテロが起きるのであるが、そのために、逆に「最も弱い」形で抵抗を示すことがある。まさにガンジーの無抵抗主義やキング牧師などがその代表格になる。

しかし、その様にメッセージ性の強くない一般人はどうするのであるか。

それが「全裸」である。

世界には、なぜか「裸になること」が「抵抗の印」というような形や「無垢の象徴」であるかのような話など、「裸」に関して、ないか特別な意味合い、それも政治的な意味合いを求める向きがある。日本の場合は、羞恥の対象であるのと同時に「見られてはいけない秘め事」という感覚があり、恥の文化であるからそのようなことはないが、西欧や日本以外の国では、どうもそのような「別な意味」を見出すようである。

そもそも「全裸」に対してあまり抵抗感がない。私などは差別的に「それだけ動物に近いのではないか」などと考えてしまうが、必ずしもそうではないらしく、全裸であることが「抵抗を封じる」とか「保護を求めている」などの内容になり、それが集団になることによって無政府状態の象徴性を持つような部分があるようだ。要するに「洋服が人間としての縛り」であり「全太はその縛り(束縛)からの解放」というようなことなのであろう。まあ、理解できないではないが、日本人には「感覚的に拒絶する」部分である。日本のデモなどで全裸になるデモは残念ながら見たことはない。

そのために「裸になる」ということが「あまり抵抗がない」民族であるということなのであろう。今回はトランプ政権の州兵派遣に対して、なぜか「全裸で自転車に乗ることで、軍隊を入れたくないという意思表示につながる」ということになるらしいのである。

何故全裸がそのような意味なるのか、また自転車に乗る必要があるのかということは、まったく意味が解らないが、集団で全裸で自転車に乗っているというのは、なんだか奇異に感じる。

同時に「見ている人が同様の感覚を持ってくれるのか」ということも意味が分からない。一応「裸は無防備になることで、移民を恐れていない、または軍隊を恐れていないという象徴性」らしいが、私などが見れば「変態が集団でいる」都しか考えないで、平和とか無防備というような感覚にはならず、興味本位で見てしまうであろう。その辺が文化性や民族性の違いなのであろうと考えてしまうのである。

まあ、本当に「ところ変われば品変わる」ではないが、「全裸もそういう意味」らしい。日本のデモで、集団で全裸になる人はいないのであろうか。見物に興味本位で見てみたいものである。

宇田川源流

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