小説 No Exist Man 2 (影の存在) 第三章 動乱 26

小説 No Exist Man 2 (影の存在)

第三章 動乱 26


「結局俺たちが行かされるのか」

「まあ、荒川と安斎ばかりがやっていたから仕方がないのではないか」

 自衛隊出身の葛城博久と藤田伸二は、中国に入って、まずは厦門に行き、その地獄絵図を見た後、荒川や太田の支持を受けて、大連、満州族の街にやってきた。面白いことに、国内の反乱は起きているのに、国内の民間航空はかなりスムーズに動いていた。もちろん撃墜される可能性も十分にあるが、中国はやはり物流が止まると大きな問題になるので、なぜか動いているし、反乱軍もそして人民解放軍も、民間機の攻撃をしないというような状況になっている。もちろん、厦門や北京の一部では、病原菌「死の双子」は蔓延していたが、それでも空港は機能していたのである。

「あなたが、葛城さん」

 大連の空港に降り立つと、一人の女性が近寄ってきた。

「はい。」

「愛新覚羅傅青と申します」

 女性は小声で、周囲を気にしながら言った。

「愛新覚羅。」

 葛城が声を上げると、女性は慌てて口元に一本指を立てた。声を出すなということのようだ。

「ここでは人目がありますので、他に行きましょう」

 愛新覚羅と名乗る女性は、駐車場に案内すると、本当に動くのかというようなトラックに二人を案内した。トラックは、かなり微妙な音を出しながら、黒い無理を排気管から出しながら動き始めた。トラックの荷台には数名が乗っているようであったが、葛城と藤田は荷台ではなく、運転席の隣に座らせてもらったがそのために愛新覚羅本人が運転することになる。

 愛新覚羅と名乗る女性の運転はかなり乱暴であり、車の中で会談できるような状態ではなかった。おかげで二人はかなり「車酔い」状態になってしまったようである。

「さて、ここが我々のアジトです」

 空港から、そのかなり揺れるトラックで、約1時間のドライブとなった。大連の街はずれというか、すでに旅順に近い場所である。周辺には自給自足できそうな家庭菜園が広がる。しかし、ここの作物で商売できるようなモノではない。それは品質的にも、また、作付面積的にも商売に適したような量ではないのである。この辺の村には、そのようなところが少なくなく、少しずつ距離が離れながら、各家が家庭菜園を挟んで隣同士になっている。少し汚いので「田園風景」とはならないが、一定ののどかさは存在する「集落」である。

 それにしても、アジトといわれても、家そのものが2DK程度の、土造りの家というよりは、小屋といったかんじ。日本でいえば「バラック」という単語を当てたほうが正しいのではないか。当然に「アジト」などといっても、ここで会議できるほどの場所ではないし、また人が集まる部屋もない。そもそもDKというように言っても、ダイニングと言っても4人掛けのテーブルがあるだけだし、キッチンといっても、江戸時代を思わせるかまどがあって、電気やガスは通っていない。水は庭にある井戸である。祖茂ともトイレが衝撃的で、小部屋の真ん中に壺が置いてあるだけである。その壺の中に用を足すのであるが、それを庭の家庭菜園にまいて、肥料にするということになるのである。とてもではないがそのようなところで用を足す気分にはならない。

「アジトといっても」

「ああ、そうですね。ここでは何もできません。でもね・・・」

 愛新覚羅は流ちょうな日本語でいうと、裏口、と言っても表の口から丸見えだが、そのトイレの隣の農機具小屋の中に入り、その床を上げた。農機具小屋は、少し散らかっていたが、その下はなぜか板敷になっており、その板のふたを開けると、地下に階段が通じていたのである。そして、その地下トンネルと通ると、大きな部屋が出てきた。いや部屋というよりは「武器庫」「備蓄庫」といわれるようなもので、藤田たちがパッと見ただけでも、装甲車が4台、戦車が1台格納されており、はっきり言って大隊程度の武器がここにある。

 そして、その横に会議室が存在するのである。

「これはすごいなあ」

 藤田はさすがに驚い手声を上げた。

「でしょ。武器の中には古いものもあるのですが、清国がなくなって、満州族が虐げられるようになってから、我々がいつかは反抗しようと思って武器をためてきたのです。このトンネルもすべて私たちが自力で、初めは手で掘っていたんですよ。私の祖父の代の話ですが」

「三代でこんなことを」

 葛城はさすがに驚くしかなかった。

「とくに、文化大革命以降はかなりひどくて、それで、様々な方法で満州族の純潔を守りながら、漢民族と敵対するチャンスをうかがっていたんです。」

 満州族の執念深さはかなり強い。

 そもそも中国の歴史を見てみれば、古代中国では、夏・商・周・秦・漢の各王朝が主に漢民族による政権として続いた。秦の中央集権的な法制度と漢の官僚・儒教体制が確立され、漢族主体の統治モデルが長期にわたり中国全土を統治した。後漢が滅亡すると三国時代を経て西晋が一時的に統一したものの、五胡十六国の乱や永嘉の乱により北方の騎馬民族が続々と華北に進出し、北魏・東魏・西魏・北斉・北周の北朝を建てた。一方、江南では劉宋・南斉・梁・陳の南朝が漢民族政権として存続した。この時期、多くの北方騎馬民族が中国で王朝を築いた。

 隋の再統一によって中国は再び短期的に統一を回復し、その後唐が国力を大きく拡大した。唐は李氏を中心とする漢民族皇帝が治め、科挙や律令を基盤に官僚制度を整備した。五代十国を挟み、宋は再び漢民族政権として内陸の中原を基盤に商業・文化を発展させた。

1 0世紀末から12世紀にかけて、契丹の遼・女真の金・チベット系の西夏など非漢民族の政権が中国北部や西域に建国された。契丹の遼は華北の広大な地域を支配し、金は華北を征服して北宋を滅ぼした。

 13世紀にモンゴル帝国が中国を征服して元を建国し、14世紀に漢民族の朱元璋が明を興して元を駆逐した。17世紀には満州の女真族が順治帝の下で清を建国し、明を滅ぼして清朝が中国全域を支配した。清は最後の王朝となり、1911年の辛亥革命で帝制は終焉を迎えた。

 異民族による征服王朝と漢民族政権が交互に登場する背景には、遊牧経済と農耕経済の衝突・融合や、各政権が官僚制度・儀礼・情報統制をいかに構築したかといった要因がある。

 そして中国共産党政権下で満州族や北方の騎馬民族が「迫害されている」と主張する内容は、かなり大きい。満州族に対する同化政策とアイデンティティの抑圧という点では清朝滅亡後、1911年の辛亥革命期から中華民国成立期にかけて、満州族は漢民族主体の国家体制の中で「反清勢力」とみなされ、政治的・社会的に弾圧されたと語られている。新政府は満州族の言語や文化的象徴を公的に排除し、アイデンティティの隠蔽を強いることで「民族浄化」に近い状況をつくり出し、結果として自らを満州族と申告する者が一時45万人ほどにまで激減したとする主張がある。

 そして拷問・強制労働・人格破壊の告発も後を絶たない。収容施設内では、拷問やレイプ(輪姦を含む)、洗脳教育、強制労働が常態化しているとウイグル族側が証言しています。施設外においても、監視カメラや生体認証を駆使した徹底的な監視網が構築され、家族がバラバラにされるケースも多発。宗教儀礼の禁止や言語教育の制限など、日常生活そのものを国家管理の下に置くことで民族的自律を根底から破壊しようとしているとの批判が絶えません。

 この事件まで国際的認識と「ジェノサイド」の訴えがあり、数十カ国の議会や国際人権団体が中国の新疆政策を「ジェノサイド(民族集団の破壊行為)」と認定・非難している。ウイグル族当事者やディアスポラは、家族の強制失踪、財産差し押さえ、拷問体験などを次々と公表し、「自分たちは民族そのものの存続を脅かされている」として、現在進行形の構造的迫害を国際社会に訴えているのである。

 愛新覚羅は、今こそそのような虐待をやめさせる最大のチャンスであると、笑顔を作った。

宇田川源流

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