「宇田川源流」【土曜日のエロ】 公党の当主が「女性はセクハラされても…」嗚呼!

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 公党の当主が「女性はセクハラされても…」嗚呼!


 今週も土曜日のエロの日になった。本当に面白いものだが、エロのネタは本当になくならない。しかし、あえてエロばかりといわれても困るので、今週何があったか見てみよう。

今週政治の世界では先週の高市自民党総裁が生まれたことを受けて、自民党の執行部人事などで話題になった。また自民党の新しい連立策は誰かということになっている。

しかし、いずれにせよ政治は停滞したままであろう。単純に、今まで野党は「自民党が石破おろしなどで政治を停滞させてきた」と言って非難していたが、しかし、実際に国会の首班指名を前にして、国民民主党の奪い合いのような形になってしまい、そのことから、国会開催を停滞させているのは野党も同じなのである。

先日、私は「X」に「政党にとって、国民との公約となっている政策を実現するならば、与党で連立を組むほうが良い。一方、政党として尖った好き勝手で無責任な発言と批判を行い、存在感を示すならば、野党でいたほうが良い。その政党が何を目指しているかが、その態度でわかる。」と投稿し、意外に多くの人の賛同を得たのであるが、その内容に関して、理解している政治家があまりにも少ないということになるのである。まあ、国民の方向を見て政治をしている人がいかに少ないかということが、今の日本の政治による「国家の不幸」が見えてくるのではないか。

まあ、そのような日本であるが、やはり今週の出来事としてノーベル賞を二つ取っている。はっきり言って医学と化学であるから、残念ながら私には全くわからない状態であり、これから勉強して「日本万歳!」に書かなければならないと思って焦っているのであるが、残念ながら、私には理解できず、多分解説文書をそのまま丸宇津井するようなブログを作ってしまうのではないかというような気がするのである。

さて、政治は動いていないので、基本的には政治家の発言は「不規則な内容」になってしまう。そのことから、普段から口が悪かったり、なんとなく「すでに先をあまり見ていない」政治家などは、適当なことを言うようになっている。その中には当然に「セクハラ発言」に近いものも出てきている。今回はその内容を当て擁護し、その擁護唐物事の本質を見極めてみたい。

<参考記事>

「女性はセクハラされても目瞑っとけばええ」保守党・百田尚樹氏の持論が”女性蔑視“と物議…昨年も「30超えたら子宮摘出」発言で炎上

2025年10月2日 15時50分 女性自身

https://news.livedoor.com/article/detail/29692795/

<以上参考記事>

 さて、今回はこの文章が「土曜日のエロ」ということなので、あえて百田氏を擁護してみよう。当然に現代ではこのような発言は物議をかもすことはよくわかっているし、また問題発言なのでしょう。しかし、その内容に関して、ただ社会的風潮に乗って、そのままセクハラという非案を踏襲しても面白くないので、あえて擁護して、エロの風潮をそのまま守ってみたい。

百田尚樹代表が「女性はセクハラされても目瞑っとけばええ」と発言したことは、現代の社会通念および法令が定める性的嫌がらせの定義に照らせば明らかにセクハラ発言です。相手の同意を無視し、被害者の感情や人権を軽視する発言は、職場や公の場で許容されるものではありません。

 しかし、昭和の高度経済成長期やバブル前夜には、職場文化や男性主導の社会構造において、こうした「冗談めいた」発言が深刻に問題視されない風土がありました。当時は「男同士の悪ノリ」「仕事のストレス解消」といった言い訳のもとで性的な軽口が黙認され、被害を訴えにくい雰囲気が常態化していました。

 あえて擁護するとすれば、百田氏の発言もその延長線上にあるもので、昭和的価値観が抜けきらない一種の「コミュニケーション様式」の名残ともいえます。彼自身が育ってきた時代背景や人間関係の距離感をそのまま口にした結果であり、悪意よりは「無自覚な思考停止」と見ることもできます。

 現代では「セクハラ」を取り締まるため、被害者の主観的な感じ方が重視される運用が主流です。これは一方で、加害行為の深刻度を被害者の視点から適切に把握する利点がありますが、他方で「どの程度で問題になるのか」「許容範囲はどこまでか」が曖昧になりやすいという側面もあります。近代法が掲げる「法の下の平等」という原則が、主観基準の導入によって揺らぎかねない構造的課題があると言わざるをえません。

 この結果、何かといえば「セクハラだ」「パワハラだ」と指摘される風潮が強まり、当事者間のやり取りが萎縮してしまうリスクもあります。加害と被害の線引きを巡る議論が成熟しないまま、主観の多様性のみが先行してしまうと、かえってコミュニケーションの活力を奪い、相互理解のための対話の場が失われる恐れがあります。

したがって、法制度の運用にあたっては、

・ 被害者保護の姿勢を堅持しつつ

・ 加害者の意図や社会的文脈を丁寧に検証し

・ 客観的な基準と主観的な感じ方をバランスよく組み合わせる

ことが求められます。そうすることで、軽率な発言が抑止されると同時に、過剰な萎縮も回避できる現実的な法運用が可能になるでしょう。

宇田川源流

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