「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 前半の影響を与えた人が皆死んでゆく展開

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 前半の影響を与えた人が皆死んでゆく展開


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」に関して、本当に好き勝手に感想を書いている。この辺の歴史はあまり得意ではなかったので、視聴者として本島に楽しく見ているのと同時に、このドラマを通して江戸の華やかであった時代の文化人を深く知るようになっている。

さて一応歴史小説家であるということから、毎回、何か歴史のうんちくを書いているのであるが、今回は、歌麿の師匠であり、片岡鶴太郎さんが熱演している鳥山石燕について少し見てみよう。もちろんドラマとは関係ない史実かもしれないが、一応知っていて損はないのではないか。

江戸時代中期に活躍した鳥山石燕(1712~1788)は、その名を一躍知らしめた絵巻『画図百鬼夜行』をはじめ、一連の妖怪画集によって日本の妖怪文化を体系化し、後世に多大な影響を与えた浮世絵師・画家である。彼の業績は単に奇怪なものを描くにとどまらず、民間伝承や古典文学、庶民の口承を丹念に汲み取り、妖怪という“存在”を分類・美術化した点にある。この試みは、後の妖怪学や大正・昭和の怪談ブーム、さらには現代の漫画・アニメ文化にも深く連綿と受け継がれている。

鳥山石燕は正徳2年(1712年)、江戸・根津の幕府御坊主の家に佐野豊房として出生したと伝えられる。幼少期より寺院に仕える家系に育ち、仏教典籍や和漢の古典に触れる機会が多かった。これが後年、彼が妖怪の由来を古文献に遡って調査し、図像化するときの学識的土壌を形成したと考えられる。

生来、名は豊房、姓は佐野であったが、画家として活動を始めるにあたり「船月堂」「零陵洞」「玉樹楼」「月窓石燕居士」など複数の号を用いた。特に「石燕」の二字は後世にまで残る代表的な号であり、妖怪図版の題箋にも揮毫された。俳諧の世界では東流燕志門人を名乗り、和歌や俳句にも通じた文化人でもあった。

石燕は江戸狩野派の画法を基礎とし、肉筆での美人画や風景画を手掛ける一方、当時の最先端技法であった木版摺りによる作品にも挑戦した。とりわけ「手抜きぼかし」と呼ばれる摺技法を発明・改良し、淡い墨色のグラデーションを生み出すことで、妖怪の幽玄な雰囲気を見事に表現している。

石燕を不朽の存在へと押し上げたのが、安永5年(1776年)刊『画図百鬼夜行』である。この画集は「百鬼夜行」という古い伝承を視覚化したもので、左ページに「童子」を、右ページに「河童」などを配した構成が特徴的だ。伝承の多くは見過ごされがちな庶民の口承や地方の伝説にまで遡り、古文献と現地調査を丹念に重ねたうえで、妖怪を「文化的存在」として再定義している。

『画図百鬼夜行』の大成功を受け、石燕はさらに三作の続編を刊行した。安永8年(1779年)の『新続百鬼』、天明元年(1781年)の『今昔画図続百鬼』、そして天明4年(1784年)の『百器徒然袋』である。これらは単なる増補版ではなく、それぞれが異なるテーマや分類法を設け、《動物由来》《古典由来》《生活風俗由来》といった切り口で妖怪を再整理し、百点以上の新版図像を提供した。

石燕の妖怪画は、従来の絵巻物的散逸を脱し、版元の意向も含めて「一冊にまとめる」ことで妖怪の体系的研究を可能にした。たとえば「河童」は河川の伝承から、「提灯お化け」は日常品の変化譚から、「土蜘蛛」は古代史の怪異譚から引き出されるなど、題材ごとに出典と成立過程を暗示させる分類システムを築いている。これが後の学術的な妖怪図鑑の先駆けともいえる。

石燕は兄弟子弟関係や、門下の画家たちとの交流を通じ、江戸後期の画壇に影響を与えた。たとえば喜多川歌麿や恋川春町、歌川豊春らが石燕図像を手本に美人画や戯画を描いたとされる。また「石燕門下」として固有の作風をもつ絵師集団が形成され、妖怪画の流行を支えた。その反面、画壇外にも妖怪絵は広く流布し、版本や肉筆を問わず多様なバリエーションが生まれた。

石燕は単なる“怪異描き”ではなく、妖怪という未知の存在を文化財へと変換し、世に問うた先駆者であった。東流燕志門人として俳諧・和歌にも通じ、美術・文芸・伝承がクロスオーバーしたその知的コスモロジーは、いまもなお「妖怪」を学ぶ者すべてにとっての原点となっている。

<参考記事>

「べらぼう」鳥山石燕が見た怪異に考察展開

2025年9月14日 21時29分 シネマトゥデイ

https://www.cinematoday.jp/news/N0150864

<以上参考記事>

 さて、鳥山石燕の解説が少し長くなったが、今回死んでしまうので、それはそれでよいこととしよう。またいわゆる「ナレ死」で、田沼意次(渡辺謙さん)も死んでしまった。平賀源内(安田顕さん)や田沼意次といった蔦屋重三郎(横浜流星さん)に影響を与えた人物、そして鳥山石燕という喜多川歌麿(染谷将太さん)に影響を与えた人物が亡くなってゆくことで、いやでも時代の変化や場面の変化が見えてくる。そしてナレーションでは「年号が寛政に変わった」といったので、名実ともに時代が変わったということになる。

今回は、「質素倹約」を主張する松平定信(井上祐貴さん)の寛政の改革を蔦屋重三郎や朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)作の「文武二道万石通」が笑い飛ばし皮肉を本にしたという事であったが、残念ながらその皮肉の本が、全く理解されないということが主題になっている。

ある意味で、「皮肉」や「からかい」ということは、「そのことが理解できる相手」でなければ、通用しないということがある。笑いや人の意思に対する感性が遭わなければならない。笑いのツボや悲しみのツボ、怒りのツボがあわない人とはお友達になれないというのも、まさにそのような人間の関係に関して非常にうまく「風刺」しているばかりか、その関係をひとたび自分の周辺に置き換えて見てみると、思い当たる部分が様々あるのではないか。相手が軽い気持ちで行ったのを重く受け止めてしまって絶交してみたり、その逆であったりということは、現代の若者、それもLINEなどで勘違いや思い違いで人間関係をおかしくしてしまった経験のある人は、この蔦谷重三郎と松平定信の関係が非常に参考になるのではないか。

そしてそのことから「相手にわからせるように」というように恋川春町(岡山天音さん)が『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)』を作る。これに対しててい(橋本愛さん)は反対するが、そこに松平定信が蔦屋重三郎の黄表紙本を好きだという情報が入って来るということになる。この極端にわかりやすく相手を「茶化す」が、いつの間にか恋川春町が「諭す」に変わったところが、大きな問題に発展するのであろう。その意識の違いは、そもそも人の感情に関する感性が異なるので、受け取り方は諭すのではなく批判したということになる。まさに「同じ内容の勘違いや解釈違い」が悲劇を生むということになってしまったのではないか。

次回の予告で、その悲劇の一端が見えたが、まさにその内容こそが、寛政の改革そのものなのである。「元の田沼の濁り恋しき」という川柳は、まさにすぐそこまで来ているのである。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000